和邇・和珥・丸邇・丸・ワニ氏 について

和邇・和珥・丸邇・丸・ワニ氏 について。

ワニ氏

和邇氏 は、和珥丸邇 とも。

5世紀から6世紀 にかけて 奈良盆地東北部 に勢力を持った 古代日本の中央豪族です。

「和邇氏」は、2世紀頃に 日本海側から 近畿地方に進出した 太陽信仰 の朝鮮系の 鍛冶集団、または 漁労や航海術にすぐれた海人(アマ)族 とする説があります。

「和邇氏」といえば、出自に謎が多い氏族ですね。

阿田賀田須命(アタカタス)が祖とも言われていますが、その アタカタス がよくわからない存在だったりするもので。(←私にとって)

ワニ の祖

和珥ワニ和邇ワニワニ の祖>
※1:世襲足媛ヨソタラシヒメ

<メモ>
ワニといえば、なんだかんだで辿り着く「飯肩巣見命」も要チェック(子が 甕槌命なんだけれども、あの 鹿島神宮祭神の甕槌命 なのか?とか。ん?鹿ワニどこいった?)

和珥と 和邇 と は 別物なのか?同じなのか?(結論:わかりません!)

「邇」と「珥」

「和邇」と「和珥」で 漢字の意味は違うのでしょうか?ちょっと調べてみました。↓↓↓

「邇」の意味

▼ 邇(ジ):引用(コトバンク:邇

  1. 字は、に作り、産土神の社、生まれた地
  2. ちかい、ちかく、ちかづく

きを柔らげ邇(ちか)きを能(をさ)む」

きを(やは)らげ(ちか)きを能む」

は、主の上にを植え、犬牲イヌイケニエ を供えて祀る形で、ときには が ひざまずいて拝する 形を加えている例もある。

「邇」の読み

「邇」の、基本の読み方は「ジ」ですが、その他の読み方は以下の通りです。↓↓↓

<古辞書の訓:邇>
  • 名義抄:チカシ・マタ・ユヅル・ハカル
  • 篇立:チカシ・ウツル・ミジカシ・トキニ・セム・ススム・マタ・ユヅル・トキ・マハルカ

「邇」の 神様

名前の「」のつく神様 ↓↓↓

「邇邇芸」と「瓊瓊杵」
邇邇ニニギ
  • 岐志国 岐志 天津日高 日子 番能 邇邇芸命アメ ニギシク ニギシ アマツヒコ ヒコ ホノ ニニギノミコト
  • 天津日高 日子 番能 邇邇芸能命アマツヒコ ヒコ ホノ ニニギノミコト
  • 天津日子 番能 邇邇芸命アマツヒコ ホノ ニニギノミコト
  • 日子 番能 邇邇芸命ヒコ ホの ニニチノミコト
※↑↑↑上記「」を使う名称は、いずれも「古事記」による。日本書記」では以下の通り(「」ではなく「」を使用) ↓↓↓
瓊瓊ニニギ
  • 天津彦 彦 火 瓊瓊杵尊アマツヒコ ヒコ ホノ ニニギノミコト
  • 天津彦 国光彦 火 瓊瓊杵尊アマツヒコ クニテルヒコ ホノ ニニギノミコト
  • 石国 石 天津彦 火 瓊瓊杵尊アメ ニギシク ニギシ アマツヒコ ホノ ニニギノミコト
  • 天 国 石 彦 火 瓊瓊杵尊アメ クニ ニギシ ヒコ ホノ ニニギノミコト
  • 天津 彦根 火 瓊瓊杵根 尊アマツ ヒコネ ホノ ニニギネノ ミコト
  • 瓊瓊杵尊ホノ ニニギノミコオト
  • 天之 杵火火 置瀬尊アメノ ギホホ ギセノミコト
  • 天 杵瀬命アメノ キセノミコト

<メモ>
・古事記:712年頃(国内向け)
・日本書記:720年頃(国外向け)

「邇芸速日」と「饒速日」
芸速日ニギハヤヒ
  • 芸速日命ニギハヤヒノミコト
※↑↑↑上記「」を使う名称は、いずれも「古事記」による。日本書記」では以下の通り(「」ではなく「」を使用) ↓↓↓
速日ニギハヤヒ
  • 速日命ニギハヤヒノミコト
  • 櫛玉 速日命クシタマ ニギハヤヒノミコト

<メモ>
・古事記:712年頃(国内向け)
・日本書記:720年頃(国外向け)


ちなみに「先代旧事本紀」(成立901年~923年)では以下の通りです。↓↓↓

  • 速日命ニギハヤヒノミコト
  • 天照 国照彦 天火明 櫛玉 速日尊アマテル クニテルヒコ ホアカリ クシタマ ニギハヤヒノミコト
  • 天火明命アメノホアカリノミコト
  • 天照 國照彦 天火明尊アマテル クニテルヒコ ホアカリノミコト
  • 胆杵磯 丹杵穂 命イキシ ニギホ ノミコト

その他、ニギハヤヒの別名として以下があります。↓↓↓

  • 神 饒速日命カム ニギハヤヒノミコト
  • 天照御魂神アマテルミタマノカミ
  • 天照皇御魂大神アマテラス ミタマノオオカミ

「珥」の意味

▼ 珥(ジ):引用(コトバンク:珥

  1. みみだま、みみかざり
  2. さしはさむ、耳にさしはさむ、耳に貫く
  3. まるい玉、剣のつば
  4. ひがさ、日のかさ
  5. (ジ)と通じ、左耳 を切りとる
  6. (ジ)と通じ、イケニエを 割いて血ぬる

「珥」の読み

「珥」の、基本の読み方は「ジ」ですが、その他の読み方は以下の通りです。↓↓↓

<古辞書の訓:邇>
  • 名義抄:サシハサム・ミミタマ
  • 字鏡集:ミミタリ・ミミニアルタマ・サシハサム・カク・オホタマ

「丸」ワニ について

『日本書紀』には、ワニの表記 に「和邇」が当てられているが、より古い表記は『古事記』に見られる「」である。

には、グアンクァンに先立つ古音として、ワン が存在した(藤堂明保:学研大漢和辞典)。当時の日本語には,」という撥音は 未だ無く、n の後には、u や iをつけて二音節化する習慣があった。

」の音は wan であるが、語尾の n に i をつけて、ワニと 読み 日本語化したのである。

「銭」の 呉音、ゼン を ゼニ と読んだのも その一例である。

ワニ氏が 伝えていた古い記祿類には、古い用字法が残っていたのであろうが、(ワニ)は、和(ワ)や邇(二)に比べると、すでにその使用が廃れ始めていた。

古事記に 登場する 稲羽の素菟 の話に が出てくるがその 鰐にしても和邇である。

(ワニ)は、恐らく人名以外には使われていないとみられるほど、使用頻度は ゼロに近い。

「和」や「邇」が文書で頻繁に使われ、ワ や 二 の音が定着したのに比べて、「」は、その発音が ワニ であることさえ知られなかったと言ってよい。

更に追い打ちをかけるように、「」の発音は ワン から グアン に変化した。

そうなると ワニ氏 を当てるのを避けるようになり、代わって 和邇 を用いることが習慣化し、春日臣 に改姓されるまで、ワニ氏 は一貫して 和邇の祖和邇 と表記された。

引用:古樹紀之房間:丸子部と丸部

読み進めていると、サラッと「春日臣 に改姓されるまで、ワニ氏」とありますが、「ワニ氏」ここら辺が知識不足で上手く理解できずにいるんですよね。(もう少し勉強します…)

和邇氏メモ

以下、「和邇氏についての情報」メモ。

<メモ>
  • 小野家から和邇家が出る
  • 登美家第八代当主「阿田賀田須(アタカタス)」の分家が和邇家の始まり(①)
  • 6代孝安大王国押人)の兄「天足彦国押人命」が和邇の祖(②)
  • ①と②は矛盾?

参考サイト

<Wikipedia>
和珥氏
天足彦国押人命

ワニ氏|まとめ

以上、

「和邇氏」についてのブログ記事でした。

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