坂口安吾|飛騨・高山の抹殺 ③|飛騨の諏訪 と 信濃の諏訪

坂口安吾 の 新日本地理「飛騨・高山の抹殺」について。(その ③)

安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺 ③

「安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺」というお話は、「青空文庫」で、読むことが出来ます。

\ 全文はこちら /

おねがい:古代飛騨ついて
飛騨の口伝 をはじめとした「古代飛騨」の話は、えてして「飛騨の何かを隠したい相手」への 批判 を伴いがち です。

私としては(当事者ではないからこそ言える事ではありますが)何か や 誰か へ対する 批判 は 目的としていません。

その点を、ご理解の上、読んでいただけると有難いです。

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「白黒の文字」だけだと、情報が上手く入らない「ポンコツ脳」なので、自分の為にちょっと整理してみました。↓↓↓

飛騨の諏訪 と 信濃の諏訪

青空文庫編:安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺――中部の巻――坂口安吾

↑↑↑ 上記の内容に「改行」「空白」「…」「リンク」「補足」「画像」等 をプラスさせていただきました ↓↓↓

前の記事:その ②

赤:飛騨国・緑:東山道(引用:Wikipedia

※ 「斜体」が「坂口安吾」の文章です。↓↓↓

ヒダ の一の宮を 水無ミナシ神社 という。

<メモ>
祭神は 以下の15柱で、水無大神ミナシノオオカミ と総称される

<主祭神>
・御歳大神:「水無神」と呼ばれる

<配神>
大己貴命
三穗津姫命
応神天皇
・高降姫命 ※1
神武天皇
須沼比ウマヌイ命 ※2
天火明命
少彦名命
・高照光姫命
天熊人アメノクマヒト
天照皇大神
豊受姫大神
大歳神
・<ruby大八椅オギヤギ命

※1 高降姫命:『先代旧事本紀』地祇本紀では、大国主神は、辺都宮の高降姫神(高津姫神)と婚して事代主神を生んだとしている。これを胸形三女神の多岐都比売と解し、神屋楯比売をその別名かと疑う説もある。

※2 須沼比神:大年神が娶った「伊怒姫」の親神(=神活須毘カムイクムスビ神?)

水無ミナシ神社 は)一の宮だが 現社格は近代まで 県社ぐらいの低いものだったらしく、祭神 が今もハッキリとしない

神武天皇 と云い、大国主 と云い、その他色々で、水の神サマ であるか 風の神サマ であるか、それもハッキリはしていない。


ヒダの伝説 によると、

神武天皇 へ位をさずくべき神 が この山の主で、身体が一ツで 顔が二ツ、手足四ツ の 両面四手 という人が 位山の主 である。

両面宿儺
(引用:Wikipedia

彼は 雲の波 をわけ、天ツ舟にのって この山に来て 神武天皇 に位をさずけた

そこで 位山 とよび、船のついた山を 船山 という」

これはヒダの国守であった 姉小路基綱 の ヒダ八所和歌集 裏書きの意訳ですが、これがだいたい ヒダの伝説の筋です。


現に 水無神社 のすぐ近く位山船山 とあり、山上には 巨石群古墳群 があるそうです。

が、しかし 前文の作者 は、

位山 は 諸木の中 でも 笏に用いる 一位木イチイノキ が多い。

麓をまわれば 二十余里宮殿(水無神宮の由)の奥、また府(現高山市)から麓まで 七里余

…とある。

位山船山 は 高山 や 水無神社 から頂上まで でも 一里半 か 二里ぐらい。

里数が違う。

<メモ>
・一里:約 4キロメートル


そこで、位山乗鞍 だというのが 郷土史家 の 定説 である。

むかしは 乗鞍位山 と云った。

乗鞍岳は淡山(アワヤマ)だった?|天と地のはじまり

位山乗鞍 を指すのであると 多くの史料に見られる 位山 の記事にピッタリする。

その代り、こまったことには 船山 がない。

\ ??? /

水無神社の歴史 という本には、八所和歌集の記事からだと 乗鞍 にも当るし現在の 位山 にも当ると云っている。

しかし乗鞍の麓 には 船山 はないが 船津 がある。

今は 神岡町 であるが、昔から有名な船つき場で、今の町名の 神岡 が古い名かどうか知らぬが、船津 が同時に 神岡 なら、これを 船山 と解して悪くもなかろう。

神通川 をさかのぼって 船津 で船をのりすてて 乗鞍 へ登った。

天ツ船 は 神話では 山上へ到着 するが、神通川 をさかのぼって 舟行の限界点 として適当な 船津 でのりすてた。

そう俗に、現実的に解して悪くはないであろう。

<メモ>
・坂口安吾は 1906年(明治39年)生~1955年(昭和30年)没
・荒城郡 → 吉城郡神岡町 1950年(昭和25年)発足(吉城郡 船津町阿曽布村袖川村 が合併)


船津の隣り字は 石神 だの 阿曾布 だのと この氏族 にふさわしい 古い地名 が多い。

このあたりは昔は スワ と云い、今に古 スワ の地名がある由。

舟をすてた最初の聚落 が スワ で、乗鞍 を越えた 信濃側 にもスワがある。

↑↑↑
<メモ>
「船津」周辺に「スワの 地名」を(ネット上から)見つけることは出来ていないが「大津神社」(諏訪系の神社:江戸時代までは諏訪大明神と称していた)は あった。↓↓↓


大津神社】住所:岐阜県 飛騨市 神岡町 大字船津

玄松子の記憶:大津神社(紋:立梶の葉
・その他 全国の「大津神社」はこちら →

<補足>
愛知県側の岐阜県に「諏訪山」「諏訪町」など スワの地名 が見えるが、この文章で言っている場所はここのことではないと思われる。(文章中の場所は「乗鞍岳 の 岐阜側麓」なので違う)

<余談>
持統天皇に謀反の疑いをかけられて死に至ったのは「大津皇子」だったっけ。

大津皇子:父:天武天皇、母:大田皇女持統天皇 の姉

※ ↑↑↑「斜体」が「坂口安吾」の文章です。

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関連場所の地図

参考サイト

安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺 ③|まとめ

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以上、

「安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺 ③」についてのブログ記事でした。

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