坂口安吾 の 新日本地理「飛騨・高山の抹殺」について。(その ⑭)
- ① 飛騨には重要な古代史記事がない?
- ② 古い交通路は海ではなく山だった?
- ③ 飛騨の諏訪 と 信濃の諏訪
- ④ 山を越えて飛騨から穂高(信濃)へ
- ⑤ 両面宿儺は日本の主であり大和の敵?!
- ⑥ 両面宿儺とヤマトタケルの類似性
- ⑦ 日本神話は「二面性の暗示」だらけ
- ⑧ 重大な史実は各地へコピペ分散?!
- ⑨ 美濃(岐阜)は古代地名原形の宝庫?!
- ⑩ 身内のケンカと日本神話
- ⑪ 元明天皇が行った妙テコリンな事
- ⑫ 壬申の乱に出てこない飛騨
- ⑬ 敗者の大友皇子と蘇我赤兄
- ⑭ 飛騨と大和と廣瀬と龍田
- ⑮ XXXXX
- ⑯ XXXXX
- ⑰ XXXXX
※ 当記事は、上記シリーズ「⑭」です
安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺 ⑭
「安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺」というお話は、「青空文庫」で、読むことが出来ます。
\ 全文はこちら /
私としては(当事者ではないからこそ言える事ではありますが)何か や 誰か へ対する 批判 は 目的としていません。
その点を、ご理解の上、読んでいただけると有難いです。
「白黒の文字」だけだと、情報が上手く入らない「ポンコツ脳」なので、自分の為にちょっと整理してみました。↓↓↓
飛騨と大和と廣瀬と龍田
・青空文庫編:安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺――中部の巻――坂口安吾
↑↑↑ 上記の内容に「改行」「空白」「…」「リンク」「補足」「画像」等 をプラスさせていただきました ↓↓↓

赤:飛騨国・緑:東山道(引用:Wikipedia)
※ 「斜体」が「坂口安吾」の文章です。↓↓↓
さて 大友皇子 を征伐した一行は 24日 ササナミ に集合して、26日に、大友皇子 の頭を持って 不破宮 へ戻って 天武天皇 にこの首をささげております。

フワ宮?
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彼らが集合した ササナミ の地名は ヒダの国府 から 二三里のところに実在しております
が、細江 と書くのがそれに当るそうです。

ササナミ?
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【七日町】岐阜県 高山市
さて、ここに問題なのは、ヒダには国造、つまり 朝廷の任命した ヒダ長官 のすむ都が 今の 高山市内 の 七日町 というのに当っていて、ここには これを無言で証明する如くに 国分寺趾 や 惣社(飛騨の惣社=飛騨総社) がある。
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ところが、もう一ツ 昔からヒダの 首府と伝えられている 現在の国府 があって、ここは昔は 広瀬 と云っていた。
この 広瀬 というのは、恐らく ヒダの 古代における 最も重大な名 の一ツ のようです。
その附近は大きな 古墳がタクサン あります。
そして 広瀬神社 というのがある。
また今の 荒城の神 というのが、当時の 広瀬の神 かも知れないということでもあります。

廣瀬の神?
<メモ>
・荒城神社(Wikipedia):岐阜県 高山市 国府町 宮地1464地の1
<主神>
・大荒木之命(高御牟須比命の13世の孫)
・国之水国分神
・彌都波能売神
<末社>
・秋葉神社
・稲荷神社
・津島神社
・荒神社
ところが ヒダの地 を平定した天皇 は、天武4年に、風の神 を 龍田 の立野 に祭らせ、大忌神 を 広瀬 の河曲 に祭らしめたということが 書紀に 現れております。
その祭った場所は 大和国 三郷村 立野 の 龍田神社 と 大和国 河合村 の 広瀬神社 でありますが、決して ヒダの地 で祭ったのではありません。
大和の国 へ祭った。
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そして 天武天皇史 を見ると ビックリなさると思いますが、一年間に 何回となく 勅使をだして、この 風の神 と 大忌神 を祭っておって、実際 キチガイじみているくらい この二神 にこだわっておる のです。
天武天皇が こんなに熱心にこだわってる神様は もちろん外にはありません。
この二神が ヒダの神様 なのは ハッキリしているようです。
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広瀬 というのは、ヒダの国 の首府の名だ。
よその国の首府は 政府の知事たる 国造が居る、ところが、ヒダの国造が 居たのは 今の高山の 七日町 で、広瀬 の方ほ それとは 別なミヤコ なのである。
さすれば 広瀬の神 が ヒダの王様 を祭ったもの だということは 当然分ることで、もしも 天武天皇 が自分の手でその人を殺しているなら、それは タタリを 怖れる必要があって 大忌の神 に当る というのはハッキリしています
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もう一ツの 龍田の神 という 風の神様 がやや問題で、これは ヒダ 一の宮 たる 水無神社 に当るように思われる。
ところが、そうではないらしい。
ぽの
伝説的に 今の 一の宮 のほかに もう一ツ、ヒダの一の宮 と伝えられている 神様 があるのです。
下原村 の 中津原 というところに 郷社 の 八幡様 があるが、ここは 昔は 水無神社 のあったところ だと伝えられている。
【下原八幡神社】かつて 水無神社 があったところ=龍田神社?
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この地は どういう 土地ガラ であるかというと、ヒダ の最南端 でミノ に接するところ だが、昔は ミノの国 に所属して、壬申の乱 のころは、この辺を ワサミ郷 と云ったらしい。
つまり 天武天皇 の 行在所 があったところかも知れない。
先程 そう申しておいた場所です。(先程=ひとつ前の記事 ⑬)

(詳細は ひとつ前の記事 を参照)

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広瀬の河曲 というが、ヒダの 広瀬神社 は ヒダの 広瀬の川 が合流して曲ったところ にあったもののようです。

廣瀬の川?合流して曲がったところ?
※ 荒城川 の 別名「蕪川 」の由来は二つあり、「荒城川と 宮川の合流点 にあること」もう一つは「秋に 漬物用の蕪を洗う 水清らかな場 として知られていたこと」だとか。
…って、なんで「川と川の合流点」にあったら「蕪」やねん?!(「株分けする」とか、そういうこと?イヤ、蕪ちゃうし。合流の逆やし…)
ちなみに、「カブの名前の由来」は、『“かぶり” という事からきていると言われ、かぶりとは、“頭の事” をさします。』…だって。
ぽの
大和の 広瀬神社 は その地形の特徴をとって 大和の 河合村 に 鎮座することになったようです。
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ところが 龍田神社 の 所在地 は 大和の三郷村 という。
一見したところ ヒダ の ワサミの神様に 関係した地名では ないようですが、このヒダの ワサミという地名は 下原、中原、上原、という 三ツの村を合せて ワサミ郷 と云う大きな総称で、さすれば 三郷村 というのと通じるところがあるのです。
しかし、こういう コジツケめいたことは よしましょう。
ぽの
※ ↑↑↑「斜体」が「坂口安吾」の文章です。
関連場所の地図
参考サイト
安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺 ⑭|まとめ
- ① 飛騨には重要な古代史記事がない?
- ② 古い交通路は海ではなく山だった?
- ③ 飛騨の諏訪 と 信濃の諏訪
- ④ 山を越えて飛騨から穂高(信濃)へ
- ⑤ 両面宿儺は日本の主であり大和の敵?!
- ⑥ 両面宿儺とヤマトタケルの類似性
- ⑦ 日本神話は「二面性の暗示」だらけ
- ⑧ 重大な史実は各地へコピペ分散?!
- ⑨ 美濃(岐阜)は古代地名原形の宝庫?!
- ⑩ 身内のケンカと日本神話
- ⑪ 元明天皇が行った妙テコリンな事
- ⑫ 壬申の乱に出てこない飛騨
- ⑬ 敗者の大友皇子と蘇我赤兄
- ⑭ 飛騨と大和と廣瀬と龍田
- ⑮ XXXXX
- ⑯ XXXXX
- ⑰ XXXXX
※ 当記事は、上記シリーズ「⑭」です
以上、
「安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺 ⑭」についてのブログ記事でした。