坂口安吾 の 新日本地理「飛騨・高山の抹殺」について。(その ⑯)
- ① 飛騨には重要な古代史記事がない?
- ② 古い交通路は海ではなく山だった?
- ③ 飛騨の諏訪 と 信濃の諏訪
- ④ 山を越えて飛騨から穂高(信濃)へ
- ⑤ 両面宿儺は日本の主であり大和の敵?!
- ⑥ 両面宿儺とヤマトタケルの類似性
- ⑦ 日本神話は「二面性の暗示」だらけ
- ⑧ 重大な史実は各地へコピペ分散?!
- ⑨ 美濃(岐阜)は古代地名原形の宝庫?!
- ⑩ 身内のケンカと日本神話
- ⑪ 元明天皇が行った妙テコリンな事
- ⑫ 壬申の乱に出てこない飛騨
- ⑬ 敗者の大友皇子と蘇我赤兄
- ⑭ 飛騨と大和と廣瀬と龍田
- ⑮ 大津皇子と美濃トキミチツクリ
- ⑯ 死をまぬがれる聖泉
- ⑰ 謀反と飛騨千光寺と両面宿儺
- ⑱ 両面宿儺と飛騨の匠
・「坂口安吾:飛騨・高山の抹殺」記事一覧
※ 当記事は、上記シリーズ「⑯」です
安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺 ⑯
「安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺」というお話は、「青空文庫」で、読むことが出来ます。
\ 全文はこちら /
が、私がこれらを記事にする目的は「誰かや何かへ対する批判」ではありません。
複数の立場から書かれた異なる伝承(「記紀」含む)の内容から「そうした言葉が残された背景を知りたい」という思いがメインです。
その点を、ご理解の上、読んでいただけると有難いです。
(堅苦しくなりましたが、要は「和やかにいこうね」っておねがいです)
「白黒の文字」だけだと、情報が上手く入らない「ポンコツ脳」なので、自分の為にちょっと整理してみました。↓↓↓
死をまぬがれる聖泉
・青空文庫編:安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺――中部の巻――坂口安吾
↑↑↑ 上記の内容に「改行」「空白」「…」「リンク」「補足」「画像」等 をプラスさせていただきました ↓↓↓
※ 「斜体」が「坂口安吾」の文章です。↓↓↓
持統天皇 即位前記の条に「この年 蛇 と 犬 と交ってニワカに ともに死んだ」とありますが、これは ヒダ と シナノ が反乱したことを表していると思います。
日本武尊 は 信濃 では犬に助けられて その兄 大碓 は ヒダで 蛇で死んでますが、だいたい シナノ は 犬養 だの カラ犬 だのと 犬 に縁が多いところ で、ヒダ は ヘビ に縁が多いところ です。
<ヤマトタケルと信濃の犬>
東国を平定して帰還途中の日本武尊一行は、山深い信濃の道中で迷ってしまった。そこに山の神が白い鹿に姿を変えて現れ、道をさえぎる。・日本武尊は蒜(ひる)を投げて白い鹿を倒したものの、急に道も方角もわからなくなってしまう。
・そんな時、どこからともなく白い山犬が現れて、導かれるように一行は美濃へ出ることができた。
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<大碓と飛騨の蛇>
大碓命は 美濃に封じられてのち 当地方の開拓に尽くしたが、景行天皇52年に 猿投山 に登る中途で 蛇毒 のため42歳で亡くなったという。(大碓命の墓が 猿投山の山中、猿投神社 の西宮後方に所在する)・(※ ただし「大碓命 もしくはそのモデルとなった王族が ヤマト王権の 美濃平定において 重要な役割を果たして そのままこの地を支配した」であろうものの、猿投神社 説は 記紀にも延喜式諸陵式にも記載されていない。
・→ 比較的後世に作られた説
・→ 大碓命の事績からして 美濃国内に 陵墓があった と考えるのが適切
・→ 大碓命の墓としては、規模と築造年代から 岐阜県大垣市にある 昼飯大塚古墳 がその有力な候補であるとしている)
・(引用:Wikipedia大碓皇子)
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次の 文武、元明 両帝は 各々 信濃坂 が険しいからと、ミノ 木曾 間の道 をひらいております。
つまり 今までの ヒダ、シナノ間 の道が 危険で通れなくなったからでしょう。
- 岐蘇路・吉蘇路・木曽路(コトバンク)
- 木曽街道(Wikipedia)
- 民宿松尾:史料による木曽の歴史
- 木曽郡(Wikipedia)
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そして、これによって 知りうる 他の一ツは、
平地の道や 川の舟行 よりも アルプス越えの道 の方が 早くできていた、
…という一事で、
ヒダは 馬の国 だと云われ、ヒダ の 騨 の字はそのせいで後日改められたと云われるぐらいですが、書紀にも スクナの早業 という特徴が書き加えられていた如くに、彼ら ヒダ人は この アルプスの難路を 馬にのって 風のように 走りまわっていた のではないでしょうか。
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そして次の 元正女帝 に至って、ミノの行宮へ行って タド山の 美泉をのんで、あんまり 霊験イヤチコだからと、年号を変えて大赦を行っている のです。
なるほど、書紀に表現された 日本武尊の伝によると、近江ざかいにちかくて 伊吹山 にもちかい タドの美泉が 死なんとする日本武尊を 一度正気に返した清水 だということになります。
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しかし実際に 日本武尊、否、大友皇子、否、天武天皇 との戦に敗走した さる高貴な人 が 美泉 をのんで いったん死をまぬかれた 聖泉 というのは、前述の如くに 書紀の記述が 両面神話の要領により アベコベであって信用できないとすると、書紀の示す 美泉は 正しいタドの美泉ではない ことになる。
ぽの
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スクナ伝説ならば 藍見の 喪山の近所にあるべき泉であろうし、ワサミを下原村あたりとするなら、下呂に当るかも知れん。
二ツのどちらか、それは 見当がつきかねますが、とにかく 書紀の示す美泉が タドの美泉でないこと は確かだ。
しかし、自分の 御手製の史書 では それが タドの美泉 に当るから、それは 自分の言ってることに従うべきで、さもなければ 自分のウソを広告するようなもの だ。
そこで、タドの美泉 は 霊験イヤチコで、改元し、大赦を行う に価いするほどであると云って、ヒダ人が 神聖なる霊地とする泉 を トコトンまでほめあげた。
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天武帝 が 筑摩 の温泉へ 行宮をつくろうとしたのも、シナノ側にもある 神聖なる霊泉を ほめたてて 敵を喜ばせて 敵にとりいる コンタンであったかも知れません。
養老三年に ヒダの位山のイチイの木 で笏をつくることを故実ときめたのも、ヒダ を喜ばせて ヒダにとりいる コンタンらしい。
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しかし、それから二年後には 信濃 から 諏訪 を分離して、ヒダ と スワ の二国を合せて ミノの 按察使 の支配下においた。
その時までは ヒダには 国守 を送った記事は 一度もなくて、養老五年に 至って、ヒダ と スワ の二ツを、一まとめにしてミノの按察使の 支配下においた。
そして 国守 は 送っておりません。
<メモ:国司と国守と按察使>
按察使は、それまでの 巡察使 に代わる 国司監察 の制度。・有力な国守に近隣の数国を管轄させ、国司の政治の状況を監視させるものであった。
・(引用:多摩市デジタルアーカイブ:国司と按察使)
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甚しい 特別扱いですが、それでも一歩前進して、とにかく、ヒダ に カントク者らしき者 をきめ、ヒダの支配者 たる形式に一歩ちかづいたものと見られましょう。
敵の霊泉をほめたたえた計略が だんだん図に当ってきたのでしょうかナ。
次の 聖武天皇 の時代には、ミノの 不破頓宮で 新羅楽 と ヒダ楽 をやらせたという。
この不破頓宮 は 元正行幸 の タド に近い 不破の関 ではない筈です。
これは ワサミ か ワサミに近い 実際の 前線指揮処だった 行在所 で、つまり その地点で 天皇が 大友皇子 の 首実検をしたところ だ。
そこも ヒダ人 の 聖地中の聖地 であった筈であります。
ヒダ楽 は分りますが、新羅楽 の方は 大和朝廷側 の 音楽 なのかも知れませんな。
両者の霊なる楽の音で 死せるミコ を 慰めた のでしょうか。
※ ↑↑↑「斜体」が「坂口安吾」の文章です。
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参考サイト
安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺 ⑯|まとめ
- ① 飛騨には重要な古代史記事がない?
- ② 古い交通路は海ではなく山だった?
- ③ 飛騨の諏訪 と 信濃の諏訪
- ④ 山を越えて飛騨から穂高(信濃)へ
- ⑤ 両面宿儺は日本の主であり大和の敵?!
- ⑥ 両面宿儺とヤマトタケルの類似性
- ⑦ 日本神話は「二面性の暗示」だらけ
- ⑧ 重大な史実は各地へコピペ分散?!
- ⑨ 美濃(岐阜)は古代地名原形の宝庫?!
- ⑩ 身内のケンカと日本神話
- ⑪ 元明天皇が行った妙テコリンな事
- ⑫ 壬申の乱に出てこない飛騨
- ⑬ 敗者の大友皇子と蘇我赤兄
- ⑭ 飛騨と大和と廣瀬と龍田
- ⑮ 大津皇子と美濃トキミチツクリ
- ⑯ 死をまぬがれる聖泉
- ⑰ 謀反と飛騨千光寺と両面宿儺
- ⑱ 両面宿儺と飛騨の匠
・「坂口安吾:飛騨・高山の抹殺」記事一覧
※ 当記事は、上記シリーズ「⑯」です
以上、
「安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺 ⑯」についてのブログ記事でした。