坂口安吾 の 新日本地理「飛騨・高山の抹殺」について。(その ⑰)
- ① 飛騨には重要な古代史記事がない?
- ② 古い交通路は海ではなく山だった?
- ③ 飛騨の諏訪 と 信濃の諏訪
- ④ 山を越えて飛騨から穂高(信濃)へ
- ⑤ 両面宿儺は日本の主であり大和の敵?!
- ⑥ 両面宿儺とヤマトタケルの類似性
- ⑦ 日本神話は「二面性の暗示」だらけ
- ⑧ 重大な史実は各地へコピペ分散?!
- ⑨ 美濃(岐阜)は古代地名原形の宝庫?!
- ⑩ 身内のケンカと日本神話
- ⑪ 元明天皇が行った妙テコリンな事
- ⑫ 壬申の乱に出てこない飛騨
- ⑬ 敗者の大友皇子と蘇我赤兄
- ⑭ 飛騨と大和と廣瀬と龍田
- ⑮ 大津皇子と美濃トキミチツクリ
- ⑯ 死をまぬがれる聖泉
- ⑰ 謀反と飛騨千光寺と両面宿儺
- ⑱ 両面宿儺と飛騨の匠
・「坂口安吾:飛騨・高山の抹殺」記事一覧
※ 当記事は、上記シリーズ「⑰」です
安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺 ⑰
「安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺」というお話は、「青空文庫」で、読むことが出来ます。
\ 全文はこちら /
が、私がこれらを記事にする目的は「誰かや何かへ対する批判」ではありません。
複数の立場から書かれた異なる伝承(「記紀」含む)の内容から「そうした言葉が残された背景を知りたい」という思いがメインです。
その点を、ご理解の上、読んでいただけると有難いです。
(堅苦しくなりましたが、要は「和やかにいこうね」っておねがいです)
「白黒の文字」だけだと、情報が上手く入らない「ポンコツ脳」なので、自分の為にちょっと整理してみました。↓↓↓
謀反と飛騨千光寺と両面宿儺
・青空文庫編:安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺――中部の巻――坂口安吾
↑↑↑ 上記の内容に「改行」「空白」「…」「リンク」「補足」「画像」等 をプラスさせていただきました ↓↓↓

長野県筑摩郡の範囲
(引用:Wikipedia)
※ 「斜体」が「坂口安吾」の文章です。↓↓↓
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まもなく 諸国に 国分二寺を建てさせたが、ヒダ にも建てた。
このころから、どうやら 税 も命令するようになった。
ヒダだけ 按察使 の支配に属していたのが、どうやら 他国なみに 国守を送るようになったのは 称徳天皇(48代) の時からです。

しかし、ヒダの統治 はなかなか 思うようにいかなかったようです。
ヒダ と 出羽 に風が吹いた、とか、ヒダ に 慶雲 が現れた、とか、一喜一憂で、
(気象台にきかなくたって ヒダ と 出羽 にだけ 大風が吹くのは 妙でしょうが)
ヒダの国分寺 がたちまち焼けたのも、焼かれたのかも知れませんナ。
- 741年:聖武天皇により国分寺建立の詔が発せられた
- 746年頃:行基によって建立
- 819年:火災で焼失
- 855年頃:再建
空海も 巡錫 したが、そう効果もなかったようです。
・巡錫:僧が教化(キョウケ)などのため各地をめぐり歩くこと
【千光寺】両面宿儺が開山したと伝えられる
私の見解では 空海 の弟子の 真如 が ヒダ へ行って 千光寺 をつくった。(Wikipedia)
この時から 次第に 好転 して、ヒダ がだんだん 他国と同じような 領国 になったように思います。
平城上皇に 薬子の乱 が起ったために、高岳親王 は廃せられて、空海の弟子 となって仏門にはいった人です。
しかし、廃太子の 真如 が ヒダ へ行って 千光寺 をつくる前に 皇太子 恒貞親王 の ムホン に連座して ヒダへ左遷 された 橘末茂 がおります。
この ムホン というのが、また、どうも、これも ヒダ を相手にしてのカラクリ のようだ。
先に帝たりし 嵯峨上皇 の死をキッカケに 恒貞皇太子 がムホンして捕った。
ところが 死んだ 嵯峨上皇は かつて自ら 高岳親王 真如を廃太子にしているし、おまけに ちょッと前に 淳仁上皇(47代) の 死を送ったばかりで、ここ何代というものは 誰の代も 例外なしに 皇太子のムホンだなんだと 廃太子つづき である。
これも ヒダ のタタリ かというような考えが 強かったようだ。
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彼(=52代 嵯峨天皇)の 遺言 をよむと、それがハッキリします。
人間死ぬのは当り前で 厚く葬るほど愚なることはないから、棺はうすいのでタクサンだし、ムシロで包むがいい。
着物もフダン着てるのでタクサンだ、という。
まさか、首と胴を二ツにチョン斬って棺に入れろ、とは言わないけれども、殺された ヒダのミコが 自分の先祖を埋められたと同じような扱いで 自分の葬式をやれ と遺言しているようです。
こういう 遺言 のあとで、すぐ ムホン が起って、誰の目にも 無実 らしかったというのは、やっぱり ヒダ相手のカラクリ だったのだろう。
そして、それに連座したカドであると称して タチバナ末茂 が ヒダ権守 となって 左遷 された。
そして、ずいぶん長く ヒダ にとどまって、官位 も上っていますが、廃太子 高岳親王 真如 が 千光寺 を建てるに至ったのも、それとレンラクあってだと考える余地はありそうです。
そして、まさしく、このころから、ヒダ は 次第に 支配しやすくなってる のです。
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私は ケサ山 千光寺 へ 登ってきました。
これがまた 大変なところで、八町坂 とか云うそうですが、その 八町 が胸をつくような 急坂で、拙者のようなデブには 登るのが大変なところです。
この寺は 変った寺で、本堂の隣に 両面堂と云って スクナ を祭っている。
そして、この寺の開祖は スクナである と縁起にある。
仁徳天皇(16代) 時代に 殺されたスクナが、当時仏教もないのに 開祖というのはおかしいようだが、彼が 天武天皇に殺された その人 なら、彼が開いた寺であっても 全然フシギはありません。
彼は 人民にしたわれた 威徳ある統治者 であったらしいから、立派な 社寺を建てたにしても フシギはないでしょう。
しかし、彼は建てなかったかも知れない。
ぽの
私は この寺の後の山が どうも気になるので
(と申すのは、ヒダの 社寺の 後にある山の上には 古墳らしいのが多い のですよ)

(引用:飛騨 千光寺:諸堂案内)
そこで 寺のうしろの 山上にある アタゴ社 の ホコラを 見物に登りました。
一目リョウゼンですよ。
ホコラのうしろは ヒョウタン型か 前方後円か 形はハッキリしないが 古墳 にマチガイありません。
たぶん アタゴ社 の下を掘ると 羨道 の入口があるのだろうと思いますよ。
・羨道:横穴式の古墳で、玄室に通ずる道
この古墳は、まッすぐ 御岳サンと向い合っております。
御岳サンの 頂上の ちかいところにも クラガリ八町 という 高いガケがきりたった暗い坂があって 古来有名だそうですね。
千光寺 の老樹ウッソウとして 昼もなお暗い 八町坂 とこの点も対になっております。
あの山中では 日本武尊 が遭難しかけていますが、そして あそこに 濁江温泉 というのがあって、日本武尊の 遭難に合せると、そこにも 霊泉 を考えてもよろしいのですが、しかしそこまでのコジツケはやめにしても、
ぽの
山岳崇拝 が 持ち前の宗教だったヒダ人 が 御岳サンと高貴な人の墳墓を はるかに向い合せに造るのは 全くフシギがない。
※ ↑↑↑「斜体」が「坂口安吾」の文章です。
関連場所の地図
参考サイト
安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺 ⑰|まとめ
- ① 飛騨には重要な古代史記事がない?
- ② 古い交通路は海ではなく山だった?
- ③ 飛騨の諏訪 と 信濃の諏訪
- ④ 山を越えて飛騨から穂高(信濃)へ
- ⑤ 両面宿儺は日本の主であり大和の敵?!
- ⑥ 両面宿儺とヤマトタケルの類似性
- ⑦ 日本神話は「二面性の暗示」だらけ
- ⑧ 重大な史実は各地へコピペ分散?!
- ⑨ 美濃(岐阜)は古代地名原形の宝庫?!
- ⑩ 身内のケンカと日本神話
- ⑪ 元明天皇が行った妙テコリンな事
- ⑫ 壬申の乱に出てこない飛騨
- ⑬ 敗者の大友皇子と蘇我赤兄
- ⑭ 飛騨と大和と廣瀬と龍田
- ⑮ 大津皇子と美濃トキミチツクリ
- ⑯ 死をまぬがれる聖泉
- ⑰ 謀反と飛騨千光寺と両面宿儺
- ⑱ 両面宿儺と飛騨の匠
・「坂口安吾:飛騨・高山の抹殺」記事一覧
※ 当記事は、上記シリーズ「⑰」です
以上、
「安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺 ⑰」についてのブログ記事でした。