大物主神と異名同体(異名同神)説がある神・人(モノ・生き物)

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大物主 と同体説がある人・神(異名同神)について。

大物主と同体説がある人・神(異名同神)

大国主と大物主

大国主の国造り の話において、大国主の国造りを助けに現れた神 ※1(=海から現れた「光り輝く神」※1 )は、「日本書紀」でも「古事記」でも同様に、

「私は あなた(大国主)の 幸魂サキミタマ奇魂クシミタマである」

…と、答えています。


その神 ※1 について、

「古事記」では、

自らはそう名乗っていないものの、文章中では「大物主」と書かれています。

ですが、大物主神の 出自について詳しい説明は無く、大国主命とは別の神である様 に述べられています。


「日本書紀」では、
この国造りのシーンにおいて、大物主」という名前は書かれていません。(=大三輪の神

そして、「大己貴神(大国主)の 別名とする説」と「大己貴神の 幸魂奇魂とする説」と「(大己貴神とは)別個の国津神とする説」が併記されています。

大物主神とは?

事代主と大物主

神武天皇 が 東征して 初代天皇 として即位した後に迎えた 皇后 について。

日本書紀 では 「事代主 の娘」とされています。

一方で

古事記 では、「大物主の娘」とされています。

これが、事代主大物主は 同神?…とされる 一因となっていいます。

日本書紀
  • 神武天皇の即位後の皇后
  • 比売多多良伊須気余理ヒメタタラ イスケヨリ比売
  • 富登多多良伊須須岐ホトタタラ イスケ比売
  • 事代主 の娘
古事記
  • 神武天皇の即位後の皇后
  • 媛蹈鞴五十鈴ヒメタタラ イスズ
  • 大物主神 の娘

すなわち、こう…? ↓↓↓

神武天皇の即位後の皇后
  • 比売多多良伊須気余理ヒメタタラ イスケヨリ比売 ←の娘
  • 富登多多良伊須須岐ホトタタラ イスケ比売 ←の娘
  • 媛蹈鞴五十鈴ヒメタタラ イスズ媛 ←の娘
  • 事代主★大物主神★

墨坂の神と大物主

「大国主」や「饒速日」と比べると とてもマイナーではありますが、

以下の逸話から、「墨坂の神=大物主神」とも言われています。↓↓↓

  • 即位7年:雄略天皇は、少子部連チイサコベノムラジ蜾蠃スガル に言った

三諸岳ミモロタケ(=三輪山)の神を見たい

一説によると、この山の神は「大物主神」だという
また一説によると、「菟田ウダ墨坂スミサカ」だともいう

この神を捉えて来い」と

蜾蠃スガルは、三諸岳で「大蛇」を捉えてきた

大蛇はのような音を立て、目は光を放った

天皇は畏れ入って、目を覆い、大蛇を見ずに、殿中に隠た

大蛇は山に放たれ、今回のことによって 蜾蠃スガルは「」という名を与えられた

饒速日命と大物主

よく目にする説のひとつとして「饒速日ニギハヤヒ命」と「大物主神」が同神であるというものです。

この説が最初に展開されたのは、1976年(昭和51年)に、原田常治 氏 が 著書「古代日本正史」において。

饒速日ニギハヤヒ命は、東征した 神武天皇よりも先に 大和を治めていた者として 記紀に記されています。

大物忌神と大物主

江戸期の国学者や 近代の神道研究者は、大物主神大物忌神と 考えることが多いそう。

出雲地方では「大物主神」として王権や国土の守護神として祀られ、

東北(出羽地方)や山岳信仰の場では「大物忌神」として祀られることが多い。

つまり、地域・祭祀形態による呼称の違いであると考えられる。

大物主と同体説がある人・神(異名同神)|まとめ

以上、

大物主 と同体説がある人・神(異名同神)」についてのブログ記事でした。

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