オシラ様の記事のあとで、常世岐姫の話をすると、「なぜ関係のなさそうな神を並べるのか」と感じるかもしれません。
実際、両者は同じ土地で祀られてきた神ではなく、信仰の層や文化圏も異なります。
それでも並べて読む理由は、神の系譜ではなく、「終わらせたあと、すべてを戻す必要があるのか?」という工程上の問いを共有しているからです。
この記事では、その問いを手がかりに、「戻さない」という選択がどのように配置されてきたのかを考えていきます。
オシラ様は、何を「戻す」神なのか|瀬織津姫の後に置かれた「春の工程」
目次
なぜ、関係なさそうな神を並べることになったのか

オシラ様の記事の流れで常世岐姫を取り上げると、「この二つは関係があるのか」と感じる人もいるかもしれません。
・Wikipedia:オシラ様
・Wikipedia:常世岐姫神社
実際、両者は同じ土地で祀られてきた神ではありませんし、信仰の層や文化圏もはっきり異なります。
(オシラ様は東北、常世岐姫は大阪と埼玉がメイン)
直線的な系譜や後継関係として読むと、むしろ違和感の方が強くなります。
私自身も、最初からこの二つを並べて考えようとしていたわけではありません。
オシラ様の話を書き進める中で、瀬織津姫によって一度終わらせ、オシラ様によって生活へ戻す、という工程が見えてきたとき、ふと立ち止まる感覚がありました。
その流れを追っていくと、どうしても一つの問いが残ったのです。
終わらせたものは、本当にすべて戻す必要があるのか、という問いでした。
神話や信仰の中には、「戻す」働きだけでなく、「戻さない」という選択が組み込まれているように見える場面があります。
ただ、その役割を担う存在が、すぐに思い浮かんだわけではありません。
東北においてのオシラ様関連の工程を知る中で、ふと思い浮かんだのが「常世岐姫」でした。
ぽの
そう思って、改めて調べたり、これまで見てきた配置と照らし合わせて考えてみました。
常世岐姫は、神同士を結びつけたいからではなく、この問いを考えるために、同じ工程上に置き直してみたくなった存在でした。
ここでは、信仰の連続性ではなく、問いの連続性として話を進めていきます。
古墳のそばの常世岐姫を前に、分からなかったこと

埼玉で、古墳の近くにある常世岐姫の神社を見たとき、私が最初に思ったのは、とても素朴なことでした。
常世岐姫という名前なのだから、古墳のそばにある以上、「常世に行った人…つまり、ここに埋葬された人を鎮める神なのかな」と、まずはそう考えました。
・Wikipedia:埼玉古墳群
・Wikipedia:常世岐姫神社
ただ、その理解はすぐに引っかかります。
「常世姫」ではなく、「常世岐姫」。
この「岐」は、何を意味しているのだろう、と。
常世そのものを表す神であれば、わざわざ「岐」という字を入れる必要はありません。
ぽの
道の分かれ目、分岐、分かつ場所。
そうした意味を持つ字が使われていることが、逆に気になってしまったのです。
結局、その場では答えは出ませんでした。
鎮めの神なのかもしれないけれど、それだけでは説明しきれない。
「よく分からない」という感覚だけが、妙に強く残りました。
「常世岐」という名は、何を示しているのか

その違和感を抱えたまま、常世岐姫について改めて調べたり、これまで見てきた神々の配置や工程と照らし合わせたりしてみました。
すると、「常世」と「岐」が並んでいること自体が、何かを示しているように思えてきます。
常世という世界そのものではなく、そこへ向かう分かれ目、あるいは分岐点としての位置です。
もしそうだとすると、常世岐姫は「常世に属する存在」ではなく、此岸と彼岸のあいだに置かれた存在として見えてきます。
鎮めるために留める神というより、「ここから先は戻らない」という分岐を成立させるための配置です。
もちろん、これは最初から分かっていたことではありません。
名前に引っかかった違和感を、後から工程として置き直してみた結果、そう読めるかもしれない、という段階です。
常世とは、場所ではなく処理の考え方なのか

常世という言葉は、異界や理想郷のように説明されることも多いですが、実際の配置を見ていくと、特定の場所というよりも、死をどう扱うかという考え方に近いように感じます。
常世岐神社が置かれている場所(大阪・埼玉)は、中心から外れすぎてもいなければ、生活の場に近すぎるわけでもありません。
水系の分岐点や古墳地帯と重なることも多く、「戻す」ための場所というより、「戻らない前提で送り出す」位置に見えてきます。
常世とは、死者を祖霊にも怨霊にもせず、生者の世界に引き戻さないための処理思想。
そう考えると、常世岐姫が「岐」に立つ存在として祀られてきた理由も、少しずつ輪郭を持ち始めます。
「戻さない」という選択が、工程を支えていた可能性

すべてを戻そうとすると、かえって社会は不安定になります。
戻せないもの、戻してはいけないものがあるからこそ、戻す工程が安心して機能する。
常世岐姫は、その外側で「ここから先は戻らない」という分岐を、静かに成立させていた存在だったのかもしれません。

