古代のの中国「呉・越・楚」と「滇」そして「東鯷人」について。
呉・越・楚…滇
魏志倭人伝の時代、倭人 と 中国(の一部の国…とくに「越」の人々)とは 似た文化が見られました。↓↓↓

(画像引用:弥生人の衣装 風俗博物館 図解古代史)
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魏志倭人伝の「倭人」は上記の ような感じ +「入れ墨(文身)」となります。
(この時代、日本全体の人々すべてが「(魏志倭人伝 をの元となった人が見た)倭人」だったわけでは無いので、他の 地域では「入れ墨」が無かったりは普通にあったと思われます。
基本的に「入れ墨」があったのは「海人系=渡来人」だったと思われます)
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古代日本…縄文時代から弥生時代への変化の時代に、中国から人々が その文化 と共に 日本へ入ってきていました。
そんな「古代日本」を知るにあたって 重要な 「呉・越・楚(滇)」について ザックリ調べてみました。
関連して 同時期に登場している「東鯷人」についても。
呉
「呉」はもともと「楚」の領土の一部でしたが、春秋時代 に独立し、その後は楚と対立関係にありました。
※ 国(呉)が始まった年代と、始祖が存在した年代がだいぶ離れてるけど「そういうもの」なのか?
越
▼ 楚に敗れたあとの復活話↓↓↓

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▼ 越とヤオ族のついて↓↓↓

楚
滇
- 滇(BC3世紀頃)
- 「滇」の字は「鱒」の意味をもつ
- トーテム:鯰
東鯷人(トウテイジン)
東鯷人 については、ザックリ書くと以下の通りです。(諸説あります)
- トーテム:鯰
- 遅れて渡来した「呉系楚人」(秦氏でもある)※
- BC200年頃~(←ザックリ)渡来
- (↑↑↑ 始皇帝 が韓を滅ぼす→ 長城を作る → 逃げたり新しい国作る…が起きたあたり)
- 居住地は「九州 から 沖縄諸島 に至る南方の島々」
- AD107年に、倭の国王帥升が後漢に献じた生口(奴隷)160人とは「東鯷人」と思われる
- (↑↑↑ 東鯷人 が歴史から消えたのはここ)
※「遅れて渡来」…というのは、弥生期に渡来した呉人の「第一弾」は「BC470年頃~(←ザックリ:「呉」が「越」に滅ぼされたあたり)」で、「東鯷人」はこのタイミングではなく「第二弾(BC200年頃)」以降に渡来した人々
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詳しくはこちらにまとめました。↓↓↓

呉・越・楚…滇 そして 東鯷人|まとめ
メモ
- 呉、越(南方系)では、死者の魂は「地下の冥界」へ行く
- 北方系民族では、死者の魂はは「天」に昇る
- 日本の「記・紀」ではその両方が混在している
参考サイト
<Wikipedia>
・呉
・越
・楚
・滇
・春秋時代
・東鯷人
<参考サイト>
・古代史レポート:弥生の興亡、2:中国、朝鮮史から見える日本、1
・古代史レポート:堂谿氏と金属器文化:堂谿氏(秦氏の源流)塚田敬章
・古代日本のルーツ・長江文明の謎(その7):長江文明の流れをくむ滇王国(鳥が龍蛇を食べる話)
以上、
古代のの中国・朝鮮「呉・越・楚…滇 そして 東鯷人」についてのブログ記事でした。