古代の中国:呉・越・楚…滇…東鯷人について

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古代のの中国「呉・越・楚」と「」そして「東鯷人」について。

呉・越・楚…滇

魏志倭人伝の時代、倭人 と 中国(の一部の国…とくに「越」の人々)とは 似た文化が見られました。↓↓↓

(画像引用:弥生人の衣装 風俗博物館  図解古代史)

↑↑↑

魏志倭人伝の「倭人」は上記の ような感じ +「入れ墨(文身)」となります。

(この時代、日本全体の人々すべてが「(魏志倭人伝 をの元となった人が見た)倭人」だったわけでは無いので、他の 地域では「入れ墨」が無かったりは普通にあったと思われます。

基本的に「入れ墨」があったのは「海人系=渡来人」だったと思われます)


古代日本…縄文時代から弥生時代への変化の時代に、中国から人々が その文化 と共に 日本へ入ってきていました。

そんな「古代日本」を知るにあたって 重要な 「呉・越・楚(滇)」について ザックリ調べてみました。

関連して 同時期に登場している「東鯷人」についても。

」はもともと「」の領土の一部でしたが、春秋時代 に独立し、その後は楚と対立関係にありました。

  • (BC585年~BC473年 ※)
  • 春秋時代(BC770年~BC453年頃)に存在した国
  • 始祖は 太伯タイハク(泰伯 とも)(BC 12世紀~BC11世紀頃の人物※)
  • 太伯タイハク と 弟の 虞仲グチュウ は 共に 古公亶父ココウタンポ の子であったが、末弟である 季歴 の子 ショウ文王ブンオウがめちゃくちゃ優秀だったので、王位を断り  から離れ  (句呉コウゴ句呉)を作った
  • 姓は「」(宗家と同じ)
  • BC473年:王の勾践 により滅ぼされた
  • 苗系民族
  • トーテム:龍(角の生えた蛇・牛+蛇・鹿+蛇)
  • 「コソ、クス、クサ」という音はは「」に関連する(草部…など)

※ 国(呉)が始まった年代と、始祖が存在した年代がだいぶ離れてるけど「そういうもの」なのか?

▼ 楚に敗れたあとの復活話↓↓↓

【越】礎に滅ぼされた後も消えたわけじゃなかった(東甌:とうおう・閩越:びんえつ)


▼ 越とヤオ族のついて↓↓↓

越とヤオ族・苗族・民家族・土家族(蛇・狗・鹿…)

  • (~BC223年)
  • 春秋戦国時代(BC770年~BC221年頃)に存在した国
  • 王の名前にはほぼ「」が入っている
  • 苗系民族
  • に滅ぼされた
  • 楚の「荘蹻」は雲南に「テン」を建国
  • トーテム:猿・牛・蛇・亀・熊・雷電・青・石・楽器・橘・竃神

  • テン(BC3世紀頃)
  • テン」の字は「マス」の意味をもつ
  • トーテムナマズ

東鯷人(トウテイジン)

東鯷人トウテイジン については、ザックリ書くと以下の通りです。(諸説あります)

  • トーテム:ナマズ
  • 遅れて渡来した「呉系楚人」(秦氏でもある)※
  • BC200年頃~(←ザックリ)渡来
  • (↑↑↑ 始皇帝 が韓を滅ぼす→ 長城を作る → 逃げたり新しい国作る…が起きたあたり)
  • 居住地は「九州 から 沖縄諸島 に至る南方の島々」
  • AD107年に、倭の国王帥升が後漢に献じた生口(奴隷)160人とは「東鯷人」と思われる
  • (↑↑↑ 東鯷人 が歴史から消えたのはここ)

※「遅れて渡来」…というのは、弥生期に渡来した呉人の「第一弾」は「BC470年頃~(←ザックリ:「呉」が「越」に滅ぼされたあたり)」で、「東鯷人」はこのタイミングではなく「第二弾(BC200年頃)」以降に渡来した人々


詳しくはこちらにまとめました。↓↓↓

東鯷人(トウテイジン)は呉系楚人?いつ渡来していつ消えた?

呉・越・楚…滇 そして 東鯷人|まとめ

メモ

  • 呉、越(南方系)では、死者の魂は「地下の冥界」へ行く
  • 北方系民族では、死者の魂はは「天」に昇る
  • 日本の「記・紀」ではその両方が混在している

参考サイト

<Wikipedia>




春秋時代
東鯷人

<参考サイト>
古代史レポート:弥生の興亡、2:中国、朝鮮史から見える日本、1
古代史レポート:堂谿氏と金属器文化:堂谿氏(秦氏の源流)塚田敬章

古代日本のルーツ・長江文明の謎(その7):長江文明の流れをくむ滇王国(鳥が龍蛇を食べる話)

以上、

古代のの中国・朝鮮「呉・越・楚…滇 そして 東鯷人」についてのブログ記事でした。

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