坂口安吾|飛騨・高山の抹殺 ⑦|日本神話は「二面性の暗示」だらけ

坂口安吾 の 新日本地理「飛騨・高山の抹殺」について。(その ⑦)

安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺 ⑦

「安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺」というお話は、「青空文庫」で、読むことが出来ます。

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おねがい:古代飛騨ついて
飛騨の口伝 をはじめとした「古代飛騨」の話は、えてして「飛騨の何かを隠したい相手」への 批判 を伴いがち です。

私としては(当事者ではないからこそ言える事ではありますが)何か や 誰か へ対する 批判 は 目的としていません。

その点を、ご理解の上、読んでいただけると有難いです。

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「白黒の文字」だけだと、情報が上手く入らない「ポンコツ脳」なので、自分の為にちょっと整理してみました。↓↓↓

日本神話は「二面性の暗示」だらけ

青空文庫編:安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺――中部の巻――坂口安吾

↑↑↑ 上記の内容に「改行」「空白」「…」「リンク」「補足」「画像」等 をプラスさせていただきました ↓↓↓

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赤:飛騨国・緑:東山道(引用:Wikipedia

※ 「斜体」が「坂口安吾」の文章です。↓↓↓

日本武尊 をこういう方と見ると、ヒダに伝わる 両面スクナ の一生に似てくる。

両面スクナを 退治したのは仁徳 65年、武振熊タケフルクマ であるが、この人物は その百何十年前の 神功皇后 時代 にも 他にただの一度だけ 史上に現れて、この時は 武内スクネ の命令で 麛坂皇子カゴサカノオウジ忍熊王オシクマノキミ の 二兄弟を殺している

麛坂皇子 の「」拡大)

この二兄弟は 仲哀天皇 の次に 皇位に即く筈のところ、神功皇后仲哀の崩御を隠して 他に知らせず、それは 誰か他の人に 皇統をつがせる手段らしく思われたので 二人の兄弟は 反乱を起した。

そして兄は 山中で 赤猪 に殺され、(山中で 白猪 に会ったのが落命のもととなった 日本武尊 に似ている)弟は 武振熊 にあざむかれて武器をすてたところを 敵軍に追いつめられて ビワ潮へ 身投して自殺し、長く屍体があがらなかった

この最後は 日本武尊の屍体が 白鳥となって飛び去り、墓がカラ だというのに 半分だけ似ています。

尚、先帝の 仲哀天皇 自身 も 熊襲退治 のとき 敵の毒矢で死 に、これが ヒダ スクナ伝説 の スクナの最後(敵の矢で死ぬ)に半分似ているし、兄大碓が サナケ山で 毒蛇にかまれて死んだというのにも半分似て、を合せると同じ一ツになる

なお 似た話は タクサンあって 全部はとてもここに書ききれません。

武振熊タケフルクマ は 国史上に たッた二度 それも百何十年も距てて 突如二度だけ現れて 忍熊二兄弟 の一方を ダマシ討ち にし、次に 両面スクナ を退治 しています。

二度しか 現れんのも 双児や 兄弟と 同じ意味や 同じ原則を示していると 解し得るでしょう。

そしてまた 双生児や その類型の兄弟は 一方が 他の一方の カギの暗示 である場合もあるし、兄弟二人の運命が まったくアベコベ であるという 意味を寓している場合もあって、つまり一方は 被害者、一方は 加害者の アベコベの二つを示す意味もある。

つまり 日本武尊熊襲兄弟を殺した

その殺し方は 女に変装して安心させておいて刺し殺した。

ところが 武振熊忍熊王をだまして 武器をすてさせて殺した。

全く同じです。

しかも 熊襲タケルは 死ぬ時にミコトに向い、自分が 一番強いと思っていたらあなたはもっと強いから 私の名の タケル をとって日本タケルとよびなさい と自分の名を彼に伝えさせている。

それは 熊襲タケル の運命を そッくり負うてるものが 日本武尊 でもあって、つまり 日本武尊 が 実は クマソと同じ運命の人 であると暗示している如くにも解せられる。

そして 両面スクナ忍熊王 とはともに 武振熊 によって殺されているが、スクナ熊襲タケル的に、忍熊王 は 猪に殺された兄の方と合せると日本武尊的に殺されている。

これを綜合すると クマソを殺した日本武尊は、自分が クマソを殺した方法で 武振熊に殺されてる。

また 武振熊に殺された スクナは、書紀 では 日本武尊 に殺された クマソ的 であるが、ヒダの伝説では 日本武尊 の殺され方と同じで、

要するに 日本武尊兄弟忍熊王兄弟両面スクナ は同一人物 で、スクナは 一体で顔二ツ というのが変っているだけですが、このことは、これらの 兄弟の神話は 二人一組で一人をさし、もしくは、たった一人の史実を いろいろの兄弟や 双児の二人組にダブらせて、その綜合で その一人の真相を 暗示していると見ることもできます。

ほかに 兄弟神話 は というと大ナムチ スクナヒコナ が同一神の 大国主 をさしているらしいのが 神話中 の 第一の大物で、次に 神武天皇紀 が登場人物の多くにわたって両面的に、フタゴ的である。

神武天皇自身 すでに 五瀬命イセノミコト という兄があって、神武と共に力を合せて戦ううち 日本平定直前に チヌ山城水戸で 敵の矢に当り、古事記によると 途中血だらけの手を洗ったところを 血沼チヌ海と云い、人に負われて 紀国男水門に行って 雄叫びをあげて死んだ と云うが、書紀は 紀伊カマ山まで行って死んだ

とにかく死に場所はハッキリしないが、その カマ山に葬った とある。

これも 両面スクナの 正史 と 伝説 の両面、つまり 正史 においては クマソ日本武尊 の二ツによく似ています。

五瀬命は 恐らく 伊勢大神宮 の重大な隠し神様荒ミタマ だろうと思います。

そして  実際は 今の天皇系 ではなく反天皇系 の大親分の運命を 暗示する一ツでもあって、伊勢が 内実はそういう面をもつ神でもあることは、伊勢吉野近江、それから 隠され里 のような ヒダスワ 等 のその後の史実が 語っております。

つまり主として 天智後 の戦争のたび、又は その 平定後、そして 平安京 が本当に安定する頃までの 期間というもの、それらの国々に対し、またその時々の事情に対応して 朝廷方 からワケの分らぬ方法で 利用 だか 慰撫 だか オベッカ だか 判断しにくい待遇 をうけているので見当がついてくるのであります。

それは 後で説明しますが とにかく、伊勢 は ここに祭られた神本当の故郷 ではありません

それは文句なしにハッキリしておりましょう。

神武紀に 於てはその敵は ウカシ兄弟 である。

<メモ:ウカシ兄弟>
兄猾・兄宇迦斯(エウカシ)
弟猾・弟宇迦斯(オトウカシ)

これも 両面スクナ と同じであって、攻撃される方する方 とは、一方が クマソ的 であれば一方は 日本武尊的 で、神武天皇の兄弟たり分身たる 五瀬命 の運命は 日本武尊的 ですが、その 敵将の運命 は クマソ的 で、合せると スクナの両面 になる

そして実際は クマソ日本武尊 の運命を一身に合せた 悲劇的な運命の者の 方が実は征服した方の 正理をもつものでもあった、

即ち 日本の本来の首長 であった、ということを 五瀬命兄弟分神 たるものが 征服者 で 正統 の 日本の第一祖たる 神武天皇 であることによって示されてもいると解しうるのであります。

これと同じことを 暗示していると 思われる 分身的兄弟 の例は 崇神垂仁時代 をはじめ その他の 諸々にも その例を見ることができますが、それらがみんな 同一の事件 と、同一の人物 をさしているものと見て さしつかえないかと云えば、私は然りと思う。

つまり 日本の神様 も、天智以前 の 天皇様 も、実は何人もいなかったのです。

何代もどころか、本当の 神代のはじめから、天智以前までは 百年にも足らないぐらい短いのだ。

だが、重大な秘密、たとえば 国譲りの問題 などで、何をおいても隠さねばならぬ という、緊急重大 きわまる大事があった

それほどの大事は せいぜい 二ツ か 三ツ か、多くても 五ツ ぐらいのことでしかない。

その秘密が 重大で 隠す必要があるのは、それぐらい現実的で 生々しくて、つまり時間的に 遠からぬ 短期間のうちに起った問題だということで、つまり 隠すべき重大な秘密国譲り クーデタ戦争 なら、その 全部がとにかく 遠からぬ事件 である

そして神話も 天皇紀も、ダブリに ダブらせて、その重大なことを、あの神様、あの天皇、あの悪漢にと 分散してかこつけて、くりかえし、くりかえし、手を代え、品を代えて 多くの時代の 多くの人物にシンボライズした。

それは 正しい真相を 知る者がよんでも、どこかで 正しい真相 と ひッかかりがあって、彼らをも、また自分の良心をも、どこかで満足させる必要があったせいだろう。

また 諸国の伝説に ツジツマを合せたり、帰順した諸国に 史家を派して、郷土史に合せて 重大な秘密を諸国へ分散 させ、また記紀に合わせて、適当な 地名 や 神名 を 各地につくらせる ようなこともした のではないかと思われます。

新しい統治者が そこまで苦心して、自分の新しい統治に 有利な方策を あみだして実行するのは 理の当然で、その利巧さが賞讃されても、それだから その子孫たる現代の天皇がどうだこうだ、という。

そんなバカげた理論は毛頭なりたたない。

ただ神代以来 万世一系などゝはウソであって、むろん亡ぼされた方も神ではない。

しかし当時は 神から位を譲られたというアカシ をみせないと統治ができにくい 未開時代 だから、そこで こういう歴史ができた

これは 当時における 当然で 必至の方便であるが、現代には通用しないし、

それが 現代に通用しないということは、天皇が神でなくとも 害は起らぬだけの 文明になったという意味であるのに、

1200年前の 政治上の方便が 現代でも まだ政治上の方便でなければ ならぬように思いこまれている 現代日本の在り方や 常識がナンセンスきわまるのですよ。

この原始史観皇祖即神論 はどうしても歴史の常識からも日本の常識からも実質的に取り除く必要があるだろうと思います。

さもないと、また 国全体 が 神ガカリ になってしまう。

私は 学者じゃないから、重たい本をひッくり返していると すぐ目マイがして頭痛もする、

まことに 大そうツライのですが、本職の先生方が おやりになる気配がないから、仕方なくやってる次第です。

子供の時から 学問というのはニガ手なのですよ。

※ ↑↑↑「斜体」が「坂口安吾」の文章です。

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参考サイト

安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺 ④|まとめ

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以上、

「安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺 ⑥」についてのブログ記事でした。

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