坂口安吾|飛騨・高山の抹殺 ⑧|重大な史実は各地へコピペ分散?!

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坂口安吾 の 新日本地理「飛騨・高山の抹殺」について。(その ⑧)

安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺 ⑧

「安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺」というお話は、「青空文庫」で、読むことが出来ます。

\ 全文はこちら /

おねがい:古代飛騨ついて
坂口安吾の「飛騨に関する文章」や 飛騨の伝承 は、えてして「何かを隠したい相手」への 批判 を伴いがち です。

が、私がこれらを記事にする目的は「誰かや何かへ対する批判」ではありません。

複数の立場から書かれた異なる伝承(「記紀」含む)の内容から「そうした言葉が残された背景を知りたい」という思いがメインです。

その点を、ご理解の上、読んでいただけると有難いです。

(堅苦しくなりましたが、要は「和やかにいこうね」っておねがいです)

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「白黒の文字」だけだと、情報が上手く入らない「ポンコツ脳」なので、自分の為にちょっと整理してみました。↓↓↓

重大な史実は各地へコピペ分散?!

青空文庫編:安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺――中部の巻――坂口安吾

↑↑↑ 上記の内容に「改行」「空白」「…」「リンク」「補足」「画像」等 をプラスさせていただきました ↓↓↓

前の記事:その ⑦

赤:飛騨国・緑:東山道(引用:Wikipedia

※ 「斜体」が「坂口安吾」の文章です。↓↓↓

神武紀 に 於ては その敵 は ウカシ兄弟 である。

これも 両面スクナ と同じであって、攻撃される方する方 とは、一方が クマソ的 であれば一方は 日本武尊的 で、神武天皇の兄弟たり分身たる 五瀬命 の運命は 日本武尊的 ですが、その 敵将の運命 は クマソ的 で、合せると スクナの両面 になる

<兄猾・兄宇迦斯(エウカシ)>
  • オトウカシの兄
  • 菟田県ウダノアガタ魁帥ヒトゴノカミ(首長)
  • 菟田ウダ宇陀ウダ宇陀ウダ:奈良県(大和国)の郡
  • 磐余彦(神武天皇)が 菟田 に辿り着いた際、もてなしをするかに見せかけて殺そうと企んだ
  • しかし、この奸計は オトウカシによって報告された
  • 打たれる(死亡)
<弟猾・弟宇迦斯(オトウカシ)>
  • エウカシの弟
  • 菟田県ウダノアガタ の 豪族
  • エウカシによる 磐余彦(神武天皇)暗殺を 事前に防ぐ
  • 磯城邑シキノムラ の、各 八十梟帥ヤソタケル高尾張邑タカオワリノムラ赤銅アカガネ八十梟帥ヤソタケル の存在を教た
  • 天香具山の埴土を取り、天平瓮アメノヒラカ を造ることで、天社アメツヤシロ 国社クニツヤシロ の神を祭ることを進言
  • 宇陀の 水取(もいとり)の祖先
※「宇陀 の 水取(もいとり)」とは?

そして実際は クマソ日本武尊 の運命を一身に合せた 悲劇的な運命の者の 方が実は征服した方の 正理をもつものでもあった、

即ち 日本の本来の首長 であった、ということを 五瀬命兄弟分神 たるものが 征服者 で 正統 の 日本の第一祖たる 神武天皇 であることによって示されてもいると解しうるのであります。

これと同じことを 暗示していると 思われる 分身的兄弟 の例は 崇神垂仁時代 をはじめ その他の 諸々にも その例を見ることができますが、それらがみんな 同一の事件 と、同一の人物 をさしているものと見て さしつかえないかと云えば、私は然りと思う。

つまり 日本の神様 も、天智以前 の 天皇様 も、実は何人もいなかったのです。

何代もどころか、本当の 神代のはじめから、天智以前までは 百年にも足らないぐらい短いのだ。

だが、重大な秘密、たとえば 国譲りの問題 などで、何をおいても隠さねばならぬ という、緊急重大 きわまる大事があった

それほどの大事は せいぜい 二ツ か 三ツ か、多くても 五ツ ぐらいのことでしかない。

その秘密が 重大で 隠す必要があるのは、それぐらい現実的で 生々しくて、つまり時間的に 遠からぬ 短期間のうちに起った問題だということで、つまり 隠すべき重大な秘密国譲り クーデタ戦争 なら、その 全部がとにかく 遠からぬ事件 である

そして神話も 天皇紀も、ダブリに ダブらせて、その重大なことを、あの神様、あの天皇、あの悪漢にと 分散してかこつけて、くりかえし、くりかえし、手を代え、品を代えて 多くの時代の 多くの人物にシンボライズした。

それは 正しい真相を 知る者がよんでも、どこかで 正しい真相 と ひッかかりがあって、彼らをも、また自分の良心をも、どこかで満足させる必要があったせいだろう。

また 諸国の伝説に ツジツマを合せたり、帰順した諸国に 史家を派して、郷土史に合せて 重大な秘密を諸国へ分散 させ、また記紀に合わせて、適当な 地名 や 神名 を 各地につくらせる ようなこともした のではないかと思われます。

新しい統治者が そこまで苦心して、自分の新しい統治に 有利な方策を あみだして実行するのは 理の当然で、その利巧さが賞讃されても、それだから その子孫たる現代の天皇がどうだこうだ、という。

そんなバカげた理論は毛頭なりたたない。

ただ神代以来 万世一系などゝはウソであって、むろん亡ぼされた方も神ではない。

しかし当時は 神から位を譲られたというアカシ をみせないと統治ができにくい 未開時代 だから、そこで こういう歴史ができた

これは 当時における 当然で 必至の方便であるが、現代には通用しないし、

それが 現代に通用しないということは、天皇が神でなくとも 害は起らぬだけの 文明になったという意味であるのに、

1200年前の 政治上の方便が 現代でも まだ政治上の方便でなければ ならぬように思いこまれている 現代日本の在り方や 常識がナンセンスきわまるのですよ。

この原始史観皇祖即神論 はどうしても歴史の常識からも日本の常識からも実質的に取り除く必要があるだろうと思います。

さもないと、また 国全体 が 神ガカリ になってしまう。

私は 学者じゃないから、重たい本をひッくり返していると すぐ目マイがして頭痛もする、

まことに 大そうツライのですが、本職の先生方が おやりになる気配がないから、仕方なくやってる次第です。

子供の時から 学問というのはニガ手なのですよ。

※ ↑↑↑「斜体」が「坂口安吾」の文章です。

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参考サイト

安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺 ⑧|まとめ

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以上、

「安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺 ⑧」についてのブログ記事でした。

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