坂口安吾|飛騨・高山の抹殺 ⑫|壬申の乱に出てこない飛騨

坂口安吾 の 新日本地理「飛騨・高山の抹殺」について。(その ⑫)

安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺 ⑫

「安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺」というお話は、「青空文庫」で、読むことが出来ます。

\ 全文はこちら /

おねがい:古代飛騨ついて
飛騨の口伝 をはじめとした「古代飛騨」の話は、えてして「飛騨の何かを隠したい相手」への 批判 を伴いがち です。

私としては(当事者ではないからこそ言える事ではありますが)何か や 誰か へ対する 批判 は 目的としていません。

その点を、ご理解の上、読んでいただけると有難いです。

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「白黒の文字」だけだと、情報が上手く入らない「ポンコツ脳」なので、自分の為にちょっと整理してみました。↓↓↓

壬申の乱に出てこない飛騨

青空文庫編:安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺――中部の巻――坂口安吾

↑↑↑ 上記の内容に「改行」「空白」「…」「リンク」「補足」「画像」等 をプラスさせていただきました ↓↓↓

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※ 「斜体」が「坂口安吾」の文章です。↓↓↓

信濃 美濃遷都 だとか 行幸 という目的は、実は その温泉が目当て のようだ。

ここに思いだされるのは、日本武尊 が 伊吹山 で気を失って死にかけたとき、清水 をのんだら、いったん目がさめた という。

それで サメ井の美泉 とか称されて 天下に名高い 美泉伝説 がある。

醒井の清水・居寤の清泉


大友皇子 の運命は 日本武尊 の悲劇 によく似ている。

どちらも天皇に殺されてるし、殺された場所が 伊吹山 を中にはさんで 東 と 西ミノ近江 に分れているだけだ。

おまけに 日本武尊の死体は 白鳥 となってなくなり、大友皇子 は首を敵に持って行かれてしまう。


さて、ここで 壬申の乱天武天皇大友皇子の戦争のところの文章を見ていただきたいのです。

天武天皇美濃 に陣をかまえて 近江 へ攻めこみます。

…が、この文章の順だと、近江 に近い方から、不破野上ワサミ の順に陣をかまえた筈でなければならないが、ワサミ に大軍がおってこれを握ってる 高市皇子近江の方へは 全然動いた記事がありません


のみならず、近江方 羽田公矢国 という 大将 が 帰投すると、これを 味方の大将 に任命 して、コシ へ攻め入らせています。

<メモ>
・羽田公矢国=「八国」とも書く

近江に 敵がいるのに を攻めるとはワケが分りません。


まア、そのへんはどうでもいいのですが、

ぽの

ええんかい!

伊勢伊賀尾張美濃 などの大軍がうごき、近江 の方も 九州東国 へ援軍を送るように 使者 をだしている

それによると、東の方 天武 の領分 で、西の方 の諸国は 近江方 の領分 のように思われますが、大友皇子 の命で 筑紫 へ援軍をもとめにゆく使者が アズミムラジです。

一番変テコなのは、すぐ お隣の国で、そしてどちらの陣にとっても 一番ちかい お隣りの ヒダに、どちらも援軍をもとめない

それどころか、信濃 という言葉はでてきても、ヒダ という言葉は 完全に一度もでてきません

これはどういうわけでしょうか。


すでに申上げたように、両面神話 はたいがい一応アベコベにひッくり返してあるものだ。

壬申の乱では 伊吹山 を中心に 敵味方が 西 と になってるが、筑紫 へ行く使者が 明かに 信濃 の生れたる アズミ氏 だから、これも恐らくアベコベになっているのだろう。

<メモ>
アズミ氏の生まれが(通説のように九州ではなく)信濃だったとしても。

 

アズミ氏が「九州に縁を持つ一族」であることは間違いないので、アズミ氏が 筑紫へ行くのはそんなにおかしい事ではないような…?

それも 伊吹山 が中心ではなくて、両方にとって 隣国 でありながら 全然タブーの如くに一度も名が現れない ヒダ という ひみつの国 が実は中心であって、ヒダ中心 西 が逆になっている。

こう見ると多くのことが大そう分り易くなって参ります。


それ以前の歴史で見ても、日本武尊 東征の順路 とか 群蠅の飛んだ順路 などで、ヒダシナノ上野常陸奥州  などが 皇威 に服さぬ 一連の エミシどもの住む土地 であることが分る

すると、実は 東国の方が 大友皇子の側だ ということが分るでしょう。

<メモ>
アベコベについて「???」な部分はありつつも、「(飛騨から)東国の方が大友皇子※」というのは「さもありなん」?

※「東国を(大友皇子自身が)拠点としていた」という意味ではなく、「大友皇子側の勢力は東国にいた」という意味で

したがって、日本書紀 に現れる 戦争の地名 は、むろん 戦場がその土地ではない筈 だから全然デタラメな コシラエモノにきまってる。

しかし、両面神話 というものは、それが 各時代の いろいろの両面人 となって現れてるうち、そのどこかに 真実が 隠され 暗示 されているものだ。

すると、大友皇子 によく似ているのは 日本武尊 であるから、この戦争の陣立が アベコベになってるように、日本武尊 も 東征の往路と 復路の 二ツがあるから、

その復路の方が、そして 日本武尊信濃坂 で道に迷い 伊吹山 で死ぬまでのところが 大友皇子 の場合を 現しているのかも 知れない。

一応は、こう見るのが自然かも知れません。

私は しかし そうではない と思うのです。

ぽの

ちゃうんかい!(ややこしいわ!)

なぜなら、日本武尊大友皇子 の話は 伊吹山を 境に アベコベ になっています。

ところが 壬申の乱  の陣立 は、必死に隠されているのが ヒダ ですから、この ヒダ を中心アベコベ になっているらしい のです。

ところが ヒダマンナカ には ヒダ ミノ の国境に接するあたりに 重大きわまる 両面神話 がある のです。

 

 

※ ↑↑↑「斜体」が「坂口安吾」の文章です。

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参考サイト

安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺 ⑫|まとめ

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以上、

「安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺 ⑫」についてのブログ記事でした。

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