坂口安吾|飛騨・高山の抹殺 ⑭|飛騨と大和と廣瀬と龍田

坂口安吾 の 新日本地理「飛騨・高山の抹殺」について。(その ⑭)

安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺 ⑭

「安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺」というお話は、「青空文庫」で、読むことが出来ます。

\ 全文はこちら /

おねがい:古代飛騨ついて
飛騨の口伝 をはじめとした「古代飛騨」の話は、えてして「飛騨の何かを隠したい相手」への 批判 を伴いがち です。

私としては(当事者ではないからこそ言える事ではありますが)何か や 誰か へ対する 批判 は 目的としていません。

その点を、ご理解の上、読んでいただけると有難いです。

前の記事:その ⑬
次の記事:その ⑮

「白黒の文字」だけだと、情報が上手く入らない「ポンコツ脳」なので、自分の為にちょっと整理してみました。↓↓↓

飛騨と大和と廣瀬と龍田

青空文庫編:安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺――中部の巻――坂口安吾

↑↑↑ 上記の内容に「改行」「空白」「…」「リンク」「補足」「画像」等 をプラスさせていただきました ↓↓↓

前の記事:その ⑬

赤:飛騨国・緑:東山道(引用:Wikipedia

※ 「斜体」が「坂口安吾」の文章です。↓↓↓

さて 大友皇子 を征伐した一行は 24日 ササナミ に集合して、26日に、大友皇子 の頭を持って 不破宮 へ戻って 天武天皇 にこの首をささげております。

フワ宮?


彼らが集合した ササナミ の地名は ヒダの国府 から 二三里のところに実在しております

が、細江 と書くのがそれに当るそうです。

ササナミ?

<メモ:ササナミ>



七日町】岐阜県 高山市

さて、ここに問題なのは、ヒダには国造くにのみやつこ、つまり 朝廷の任命した ヒダ長官 のすむ都が 今の 高山市内七日町 というのに当っていて、ここには これを無言で証明する如くに 国分寺趾惣社(飛騨の惣社=飛騨総社) がある。

<メモ>
飛騨総社Wikipedia):岐阜県 高山市 神田町 2丁目 114番地


ところが、もう一ツ 昔からヒダの 首府と伝えられている 現在の国府 があって、ここは昔は 広瀬 と云っていた。

この 広瀬 というのは、恐らく ヒダの 古代における 最も重大な名 の一ツ のようです。

その附近は大きな 古墳がタクサン あります。

そして 広瀬神社 というのがある。

また今の 荒城の神 というのが、当時の 広瀬の神 かも知れないということでもあります

廣瀬の神?

<メモ>
荒城神社Wikipedia):岐阜県 高山市 国府町 宮地1464地の1

<主神>
・大荒木之命(高御牟須比命の13世の孫)
・国之水国分神
・彌都波能売神

<末社>
・秋葉神社
・稲荷神社
・津島神社
・荒神社

ところが ヒダの地 を平定した天皇 は、天武4年に、風の神龍田 の立野 に祭らせ、大忌神広瀬 の河曲カワク に祭らしめたということが 書紀に 現れております。

その祭った場所は 大和国 三郷村 立野 の 龍田神社大和国 河合村 の 広瀬神社 でありますが、決して ヒダの地 で祭ったのではありません

大和の国 へ祭った。

<メモ>

ぽの

確かに この2社は 謎が多く かなり 気になってはいた…


そして 天武天皇史 を見ると ビックリなさると思いますが、一年間に 何回となく 勅使をだして、この 風の神大忌神 を祭っておって、実際 キチガイじみているくらい この二神 にこだわっておる のです。

天武天皇が こんなに熱心にこだわってる神様は もちろん外にはありません。

この二神が ヒダの神様 なのは ハッキリしているようです。


広瀬 というのは、ヒダの国 の首府の名だ。

よその国の首府は 政府の知事たる 国造が居る、ところが、ヒダの国造が 居たのは 今の高山の 七日町 で、広瀬 の方ほ それとは 別なミヤコ なのである。

さすれば 広瀬の神ヒダの王様 を祭ったもの だということは 当然分ることで、もしも 天武天皇 が自分の手でその人を殺しているなら、それは タタリを 怖れる必要があって 大忌の神 に当る というのはハッキリしています


もう一ツの 龍田の神 という 風の神様 がやや問題で、これは ヒダ 一の宮 たる 水無神社 に当るように思われる。

ところが、そうではないらしい。

ぽの

ちゃうんかい!

伝説的に 今の 一の宮 のほかに もう一ツ、ヒダの一の宮 と伝えられている 神様 があるのです。

下原村中津原 というところに 郷社八幡様 があるが、ここは 昔は 水無神社 のあったところ だと伝えられている


下原八幡神社】かつて 水無神社 があったところ=龍田神社

<メモ>
下原八幡神社Wikipedia):岐阜県 下呂市 金山町 中津原 940番地

<主祭神>
・応神天皇

<摂末社>
・神明神社
・春日神社
・天満宮
・山神
・稲荷神社


この地は どういう 土地ガラ であるかというと、ヒダ の最南端 でミノ に接するところ だが、昔は ミノの国 に所属して、壬申の乱 のころは、この辺を ワサミ郷 と云ったらしい。

つまり 天武天皇行在所 があったところかも知れない。

先程 そう申しておいた場所です。先程ひとつ前の記事 ⑬

<メモ>
行在所(アンザイショ):天皇が お出ましの時の 仮の御殿 = 行宮(アングウ)

(詳細は ひとつ前の記事 を参照)

坂口安吾|飛騨・高山の抹殺 ⑫|壬申の乱に出てこない飛騨


広瀬の河曲 というが、ヒダの 広瀬神社ヒダ広瀬の川 が合流して曲ったところ にあったもののようです。

廣瀬の川?合流して曲がったところ?

<メモ:廣瀬の川とは?>
※ 荒城川 の 別名「カブラ川 」の由来は二つあり、「荒城川と 宮川の合流点 にあること」もう一つは「秋に 漬物用の蕪を洗う 水清らかな場 として知られていたこと」だとか。

…って、なんで「川と川の合流点」にあったら「蕪」やねん?!(「株分けする」とか、そういうこと?イヤ、蕪ちゃうし。合流の逆やし…)

ちなみに、「カブの名前の由来」は、『“かぶり” という事からきていると言われ、かぶりとは、“頭の事” をさします。』…だって。

ぽの

蕪=頭とか、意味深すぎるやろ!

大和の 広瀬神社 は その地形の特徴をとって 大和の 河合村 に 鎮座することになったようです。


ところが 龍田神社 の 所在地 は 大和の三郷村 という。

一見したところ ヒダ の ワサミの神様に 関係した地名では ないようですが、このヒダワサミという地名は 下原中原上原、という 三ツの村を合せて ワサミ郷 と云う大きな総称で、さすれば 三郷村 というのと通じるところがあるのです。

しかし、こういう コジツケめいたことは よしましょう。

ぽの

よすんかい!

※ ↑↑↑「斜体」が「坂口安吾」の文章です。

次の記事:その ⑮

関連場所の地図

参考サイト

安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺 ⑭|まとめ

前の記事:その ⑬
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以上、

「安吾の新日本地理:飛騨・高山の抹殺 ⑭」についてのブログ記事でした。

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