桔梗紋にまつわるあれこれ|五芒星も桔梗から?

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ちょっと気になる「桔梗紋」について。

「桔梗紋」関連記事一覧

桔梗紋

霧島神宮 の「神紋」をみてから気になっている「桔梗紋」について調べてみたところ…

安倍晴明(陰陽道)で有名な「五芒星」も「桔梗」から来ていると知ってビックリ。

というわけで、「桔梗紋」についてまとめてみました。

桔梗の花

桔梗の花

桔梗紋は、桔梗の花に由来する家紋で、美濃の 土岐トキ氏族明智光秀 で 有名な家紋です。

参考 桔梗紋家紋のいろは


ちなみに 私が「桔梗紋」に興味を持ったきっかけについては、こちらの記事です。↓↓↓

\ 霧島神宮の神紋について /

霧島神宮の神紋は菊と何?桜?桔梗?何だこの花は?

↑↑↑『 霧島神宮 の紋の「菊」じゃない方の 花』が「桔梗」かは 不明です。

(知ってる人いたら教えて下され~)

桔梗紋と五芒星

晴明桔梗

桔梗紋」について調べるまで、全く知らなかったのですが。

陰陽師 の 安倍晴明 の「五芒星」は「晴明桔梗」と呼ばれ、桔梗の花をモチーフ にした「桔梗紋」のひとつなのだとか。

晴明桔梗は、安倍晴明が創り出した陰陽道の呪符の一つで、五芒星とも呼ばれます。

これは 天地五行を象徴し、万物の 除災と 清浄を表し、魔除けの呪符 として広く使われてきました。

晴明桔梗は、桔梗の花を モチーフにした文様で、安倍晴明の 霊力を感じさせる象徴として知られています。

確かに綺麗な「星型」の 花ですね。↓↓↓

桔梗★星型

<参考>
京都きもの巡り:晴明神社の御朱印と不思議な五芒星と桔梗の関係
和樂web:画像クイズ!この花な~んだ?ヒントは明智光秀・坂本龍馬
和樂web:アイツは悪魔とお友達!宣教師ルイス・フロイスが見た明智光秀の姿
ミューゼオ:加賀藩の古地図に残る「五芒星」の怪、そして、織田・豊臣・前田の連携の証~加賀に生きるもうひとりの細川家・明智一族の末裔が明かします

桔梗紋の戦国武将

桔梗紋 と言えば「明智光秀」がよく目につきます。

…というか、ここらへん(とか武将とか) 詳しくないので、知ってる名前が「明智光秀」しかいないだけかもしれません、汗

<桔梗紋の戦国武将>
明智光秀、脇坂安治、金森長近、揖斐政景、桑山重晴、清水政吉、知久則直、妻木頼忠、徳山則秀、朝比奈信置、高力清長
(引用:家紋のいろは:桔梗


(前略)これらのことから、土岐氏 の代表家紋と なっている。

また、同族の 明智光秀水色の桔梗紋 を用いていた。

これが主君織田信長 の激怒をかい、本能寺の変(天正 十年=一五八二)の遠因となったという 逸話もある。

その後、この紋は 美濃の出 といわれる 加藤清正 らも用い、全国に広がった。
(引用:玄松子の記憶:桔梗紋

上記に「これが 主君織田信長 の 激怒をかい、本能寺の変の遠因となった」…とあるけれども、なぜ 激怒したんだろうか?

「キリスト教を積極的に取り入れていた 織田信長」と対象的に、「明智光秀はキリスト教に対して冷淡」であったとされるので、その辺が関係しているのかもしれません。

<参考>
★ 明智光秀が「キリスト教に冷淡であった」という話 ↓↓↓
和樂web:アイツは悪魔とお友達!宣教師ルイス・フロイスが見た明智光秀の姿

桔梗紋の神社

香山カゴヤマ神社(福井県大飯郡)


香山カゴヤマ神社福井県 大飯郡 高浜町 下車持 44 高森7−1

<御祭神>
天香山命

<配祀>
猿田彦命
蛭子命
事代主命

<摂社:牛尾神社>
・天日槍命
・八王子命

<由緒>

『神社明細帳』に「延書式神名帳に 大飯郡香山神社」と記載。

社伝に「香山神社(下杜)は、神武天皇の 功臣天香山命を 当地方の 国土開発の祖神と仰ぎ、古来から香具加来の霊地に鎮め給うという。

天香山命の 後裔の氏人が、養老年間(七一七~七二三)に この地に氏神として奉祀したと推定される。

『延喜式神名帳』に「香山神社 小一座」と撰上され、『若狭国神名帳』に「正五位香子山明神」と 記載されている 古社である。

摂社の 牛尾神社(上社)は、第十一代 垂仁天皇 の 御代に 渡来帰化した 新羅国王子天日槍命 の 末裔が、始祖を「氏の神」として、延暦十年(七九一)頃に当地に 創祀したという。

『若狭国神名帳』に「正五位 杜本明神」と あるのが、当社と 推考される古社である。

暦応元年(一三三八)に 神意があって 丹後国大川十六所大明神天日八王子御前大和国吉野蔵王権現 が 高森に 飛遷し給うたので、翌二年、右衛門中尉助教 が 社殿を改築し遷座したと 棟札に記してある。

以後、香山神社 を 下社 高森十六所明神社

牛尾神社を上社 高森 天日八王子社と尊称した。

永享五年(一四三三)から 三年がかりで 河上肥前守 沙弥道應公が 社殿と小宮を造替えたと棟札に記してあり、亦、荒木家文書に「若狭 国守護職因幡守安部泰俊が鰐口を奉納」と記載してあるが、行方不明である。

鎌倉室町時代には 上下社合せて十五○石を賜り社運隆昌を極めたが、太閤検地の時 に 社領は没収されて山林を残すのみとなった。

正保二年(一六四五)から 三年にかけて 藩主 酒井讃岐守忠勝公 が 社殿の造営補修等の料を寄進された。

文化一〇年 (一八一三)に氏子の奉賛により上下社の社殿を改築したのが現社殿である。

明治五年に 下社高森十六所明神社を 香山神社 に改め、上社高森天日八王子社を 牛尾神社 に 改められた。

大正十五年に 延喜式内社撰上一千年祭を執行。

昭和五二年に 御鎮座一千一百五十年と 式内山社撰上一千五十年の式年大祭を斎行し、五年計 画の記念事業を完成した。

同六十年に天皇陛下在位六十年記念に社前の玉垣を改築した。

平成二年に 今上陛下御大礼記念に第一鳥居を大鳥居(石材)に改築し、 第一社号標(石材)を新設した。

東参道駐車整備と各参道に七基の照明燈を新設した。

かくて、鎮守の杜の樹々は亭々と聳え、緑いや増す中に氏子の赤誠は、次 々と具現され神威赫赫と輝き、崇敬の念いよいよ深い。

下境内の 西側の桧林の中に在る「鶏塚」は、御祭神 事代主命 が「鶏の声の聞ゆる里は、わが有縁の地なり」祖代々、下車持の人々は 鶏を神使として大切にして来た

早朝に参詣して神鶏の鳴く声を聞くと「福が授かる」と喜び、殊に、正月元旦に、神鶏の声を聞こ うと早朝に参詣する習慣がある。

約五百年以前に 農夫が参詣中に 神鶏の声を聞き、神の御声を聞き、御姿を 拝して賢き霊威を 受けて誠に有難く 感謝報恩の念から 境内の森に「金鶏」を埋納して「鶏塚」を創し祀ったと伝えられている。

境外社笠掛神社は 本社西方一キロの笠掛谷に鎮座し、木匠と 山野の神々を祀り、尊崇 奉斎している。(旧社格無格社)

<参考>
名古屋神社ガイド:アメノカグヤマ《天香山命》
・Wikipedia:天香山命
・Wikipedia:安倍泰親ヤスチカ安倍泰俊の祖父)

御霊神社(京都府福知山)


御霊神社京都府 福知山市 西中ノ町238

<御祭神>
宇賀御霊大神
明智光秀命

創建は1705年(宝永2年)。
元々は 宇賀御霊大神を祀る 稲荷社と 光秀を祀る 菱屋町の 常照寺と分かれていた。
福知山城主である 朽木氏が、かつて当地を「福智山」と命名し、福知山城を 近世の城に 改修するなど善政をしいた 明智光秀の合祀を許したことが始まりとされており、社号もこれに由来する。
そのため、明智光秀にまつわる数多くの史料を有する。

御霊神社の祭神は 宇賀御霊大神であって 元来稲を主宰し給う神を祀ったことから 五穀豊穣商売繁昌の神として崇められてきました。
しかし この本社を御霊神社と云うのは 明智光秀公を祀ったことに由来しています。

光秀公は 織田信長公を倒したことから 逆臣の名を史上に遺していますが、彼は 丹波に於て 諸豪が所々に割拠していたものを平定し その拠点として福知山城を修造し、由良川に長い堤防を構築して 其流路を転じ、氾濫を防ぎ、ここに城下町を建築するに当たっては 地子を命ずるなど、種々善政を施したので 郷民は悦服しました。

生前人々に慕われて居たものが 冤罪(エンザイ)を蒙った様な場合に、その御霊を慰めようとした 御霊社が各地にあり、本社もその一例であります。

清明桔梗紋の神社

清明神社(京都府京都市)


清明神社京都府 京都市 上京区 堀川通 一条上る 晴明町806-1

<御祭神>
安倍晴明

<安倍晴明>

安倍晴明は、孝元帝(こうげんてい)の皇子・大彦命(おおびこのみこと)の 御後胤 で、幼い頃から 非常に多くの道に 秀でておられました。

特に、天文暦学の道を 深く極められ、式神を思いのままに操る霊術をも 身に付けられておりました。

成人されてからは、天文陰陽博士 としてご活躍。

天体を移り行く星や 雲の動きを観察し、宮殿の異変や 遠方での 吉凶を言い当てられ、朝廷を始め 多くの人々の 信望を寄せられたと伝えられています。

晴明公は、朱雀帝 から 村上冷泉円融花山一条 の6代の天皇の側近として仕えられ、数々の功績をたてられます。

村上帝 に仕えておられた際には、へ渡り、はるか城刑山にて 伯道仙人の神伝を受け継がれ、帰国後、これを元に 日本独特の 陰陽道を確立されました。

今日、私たちの 日常生活の基準となる 年中行事暦術占法 は皆、この時に創られたものです。

そして、一条帝 に仕えておられた 寛弘2(1005)年9月 26日、85歳で お亡くなりになりますが、晴明御霊神 として祀られた後も、我が国の 陰陽道の祖 として広く世の中の尊敬を集めます。

「晴明公にお祈りすれば、不思議な霊の利益を受けることができ、さまざまな災いから身を守り、病気や怪我が治る……」。

そうした評判が、今も多くの人々に語り継がれています。
(引用:清明神社【公式】

清明神社(福井県敦賀市)


清明神社福井県 敦賀市 相生町8−20

<御祭神>
・保食神
安倍晴明
・春玉稲荷

<由緒>
当社は往古より 保食神(食物を守護する神)の 旧跡で 安倍晴明 は正暦年間(九九〇―九九四一条帝) 当地に住み天文、地文の研究をし、日夜この神祠に 参詣、信仰心甚だ篤かった。

天文の奥義を究 めるに供した霊石(晴明の祈念石)がある。

南北朝 金ヶ崎戦、天正の織田朝倉の兵乱にも災禍を 免れたのはその霊験によるとして益々尊信敬拝した。

明治十一年社号を 晴明神社 と改称、春玉稲荷 は 明治二十四年頃合祀し、大正五年西側の元朝市場 より現在地に遷座した。

崇敬区域東、中、西晴明 (旧名一向堂、中橋、観世屋町)はじめ区外崇敬者 も多数である。

桔梗紋にまつわる土地(市町村)

桔梗紋にまつわる神社などを見ていると「福知山市」や「福井県」など「福」が目につきますね。

(それが「何を意味するのか?」は、わかりませんが…)

京都府福知山市

桔梗紋とは別件(日子坐王)について調べていていた時に出てきた福知山市ホームページの「明智光秀」。

…で、福知山市ホームページ を見て見たら…目に入ったのが、その「市章」 ↓↓↓

↑↑↑『 福知山市 の「福」からカタカナの「フ」を9つ組み合わせて形どったもの』だそうですが。

なんだか「意味深な形」してますね…。汗

それにしても、「桔梗紋」はその花の形から、安倍晴明により「晴明桔梗」の紋が作られたということで「五芒星」と縁があるようなのにも関わらず、市章は「六芒星(っぽい形)」とはどういう事でしょうかね?

参考サイト

<Wikipedia>
霧島神宮
天香山命
土岐トキ
吉備真備(695~775年)
吉備真備(695~775年)
安倍晴明(921~1005年)
明智光秀(1516~1582年)
織田信長(1534~1582年)
清明神社(京都府京都市)
安倍泰親ヤスチカ安倍泰俊の祖父)

<参考サイト>
【公式】霧島神宮
【公式】霧島神宮:インスタ
【公式】霧島神宮:ツイッター
玄松子の記憶:霧島神宮
玄松子の記憶:桔梗紋
家紋のいろは:桔梗紋
玄松子の記憶:香山カゴヤマ神社
【公式】清明神社
玄松子の記憶:清明神社(京都府京都市)
玄松子の記憶:清明神社(福井県敦賀市)

桔梗紋|まとめ

以上、

「桔梗紋」についてのブログ記事でした。

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