まさかり担いだ金太郎 について。
金太郎の伝承

歌川国芳画:『坂田怪童丸』 天保7年(1836年)頃
引用:Wikipedia
♪ マサカリ担いだ金太郎、クマにまたがりお馬の稽古
♪ 足柄山の山奥で、ケダモノ集めてすもうの稽古
…の歌で有名な、金太郎。
ザックリしたプロフィールはこんな感じです。↓↓↓
- 母に孝行する元気で優しい子供
- 金太郎 の 母は八重桐(山姥とも)
- 金太郎 の 父は坂田蔵人(酒田氏とも)
- 金太郎 の 通称は坂田金時
- 金太郎 は 足柄神社・芦柄神社・栗柄神社に祀られている
- 金太郎 は 熊・鹿 と仲良し
- 金太郎 は 鯉 と共に 出世 のモチーフ
そんな、金太郎には「各地」微妙に違う様々な伝承がありますので、少しご紹介しますね。
一番有名な伝承:静岡県小山町
【金時神社】静岡県 駿東郡 小山町 中島217−1
【金時神社:御祭神】
・坂田金時(さかたのきんとき)※通称「金太郎」
幼児向けの絵本などで流布しているものに近い、静岡県 駿東郡 小山町 の 金時神社 の伝説は 以下のとおり。
金太郎は 天暦10年(956年)5月に誕生した。
小山町の 金時神社 には金太郎の伝説のある ちょろり七滝 や第六天社がある。
<メモ:第六天神社>
- 関東地方(旧武蔵国)を中心としてその周辺に存在する神社
- 元々は神仏習合の時代に 第六天魔王(他化自在天)を祀る神社として創建されたものであるが、明治の 神仏分離の際、多くの 第六天神社が その社名から 神世七代 における第六代の オモダル・アヤカシコネ(面足命・惶根命)に祭神を変更した
ちょろり七滝 の水は金太郎が産まれたとき、産湯として使ったといわれており、住まいである 金時屋敷(現在の金時神社)の裏にある。
・参考:小山町観光情報:金太郎ゆかりの地
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彫物師十兵衛の娘、八重桐(やえぎり)が京にのぼった時、宮中に仕えていた坂田蔵人(くらんど)と結ばれ懐妊した子供であった。
八重桐は 故郷に帰り 金太郎を産んだが、坂田が亡くなってしまったため、京へ帰ら ず故郷で育てることにした。
成長した金太郎は 足柄山で 熊と相撲をとり、母に孝行する元気で優しい子供に育った。
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頼光と出会った場面を描いた月岡芳年の作
引用:Wikipedia
天延4年3月21日(976年4月28日)、足柄峠 にさしかかった 源頼光 と出会い、その力量を認められて家来となった。
名前も坂田金時(きんとき)と改名し、京にのぼって 頼光四天王 の一人となった
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【大江山】京都府 福知山市 大江町 佛性寺
当時、丹波の国 の 大江山(現在の京都府福知山市)に 住む鬼の頭目、酒呑童子 が都に来ては若い男女を誘拐するなどの悪事をなしていた。
永祚2年3月26日(990年4月28日)、源頼光 と 四天王たちは 山伏 に身をかえて大江山に行き、 神変奇特酒(神便鬼毒酒、眠り薬入りの酒)を使って 酒呑童子 を退治 した。
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坂田金時 は寛弘7年12月15日(1011年1月21日)、九州の賊 を征伐するため筑紫(つくし・現在福岡県)へ向かう途中、美作(みまさか)勝間田荘(現在の岡山県勝央町)の 仮陣屋滞在中に重い熱病にかかり、享年55で死去した。
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【栗柄神社】岡山県 勝田郡 勝央町平125−1
村の人々は金時を慕い、倶利伽羅権現(くりから:剛勇の意)として祀った。
その神社は現在、栗柄神社と称する。
<メモ:熱田神宮と倶利伽羅剣>
- (※「金太郎」と直接結びついている話ではないが、「倶利伽羅」繋がりで一応メモ…)
- 熱田神宮は 同名の刀剣を所蔵しており、別宮八剣宮(熱田神宮境内)の神宝として『張州雑志』にも記載されている
倶利迦羅剣
<時代>室町
<詳細解説>拵全長 79.5㎝ 刀身長41.7㎝
刀身は無銘。両鎬造、身幅広めで寸延びて鋒に横手を付けた剣で、鍛えは板目に柾がかり、地沸つき白気映りが立つ。刃文はのたれに互の目ごころ交じり、ほつれて二重刃状となり、小沸つき大きく焼落し風となる。帽子は表裏共直ぐに焼詰める。茎は生ぶで先は角張った栗尻、
鑢は鷹ノ羽である。地刃・茎仕立てから室町期の美濃物とみられる。
拵は真鍮包鞘三鈷柄剣で、両鎬形の鞘に火焔を付し、柄には鎺形縁金具を付し、全面に渡金が施されている。
熱田神宮の別宮八剣宮神宝として『張州雑志』巻41にも記載されている。
・(引用:文化財ナビ愛知)

引用:文化財ナビ愛知
<メモ>
・名刀幻想辞典:坂田金時(さかたのきんとき)
・コトバンク:八重桐廓話(やえぎりくるわばなし)
異伝:神奈川県南足柄市
小山町(金太郎の一番有名な伝承を持つ町)と 足柄峠をはさんで 隣り合う 神奈川県南足柄市 にも金太郎の伝説は多くありますが、その内容は 小山町と 微妙に 相違点 があります。
その内容は以下の通り。↓↓↓
地蔵堂に四万長者がおり、その名前を足柄兵太夫と言います。
この長者に八重桐 という一人の娘がいました。
八重桐 は縁あって 酒田氏 に嫁ぎましたが、酒田一族 の争いから逃れるため、地蔵堂の屋敷へもどり 金太郎 を産みました。
金太郎が産まれた時に、屋敷近くにある 夕日の滝 の水を産湯に使いました。
こうして 足柄山 に金太郎が誕生し、やがて金太郎は人一倍元気に育ち、長者屋敷の庭石である「かぶと石」や「たいこ石」に登って遊んだり、「金時山」へ出かけたりして足柄山を自分の庭のように遊びまわり、山の動物たちもいつしか金太郎の遊び相手になったのでした。
やがて金太郎は、足柄山の怪童と人々から、うわさされるほどのたくましい青年に成長し、ある日、足柄山中にて源頼光と運命的な出あいをしました。
そして、頼光の家来として取りたてられ 坂田金時 と改名し、京の都へ上り 渡辺綱、碓井貞光、卜部季武 らとともに、源頼光 の 四天王 の一人として 大江山 の 酒呑童子 退治をしたりして、その名前を天下にとどろかせました。
その後、源頼光 が亡くなると三ヶ月間、日夜、頼光のお墓参りをした後、都を去り、ふるさとの足柄山 へもどり、その行方をくらましてしまったのでした。
(引用:南足柄市:金太郎伝説)
「神奈川県南足柄市」と「静岡県小山町」の伝承の違いは以下の通り。↓↓↓
- 結婚相手:坂田氏/坂田蔵人
- 産湯:夕日の滝/ちょろり七滝
- 亡くなった場所:足柄山へ戻りその後行方不明/栗柄神社(岡山県)
異伝:滋賀県長浜市と米原市
滋賀県 長浜市 と 米原市 は、昔は 坂田郡 であり、坂田金時は 坂田郡 の人であると伝えている。

滋賀県坂田郡の位置(黄:明治期 薄黄:後に他郡に編入された区域 水色:後に他郡から編入した区域)
引用:Wikipedia
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今も 長浜市 には 足柄神社 や 芦柄神社 が何カ所もあり、子ども相撲が今も連綿と行われている。
【足柄神社】滋賀県 長浜市 七条町 700
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【芦柄神社】滋賀県 長浜市 本庄町1078
・神紋:三つ巴
※気になるポイント:本田の瓦に兎(ウサギ)がいるらしい↓↓↓
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なお、この地域は 古代豪族 息長氏 の本拠地 であり、金時はその一族であるという。
王の文字はマサカリの象形文字で、腹掛け姿は 鍛冶 を象徴することから、いち早く鉄文化 を手に入れた豪族 と考えられている。
伊吹童子(いぶきどうじ)
近江(おうみ)伊吹山麓にすんだとされる伝説上の人物。母の胎内に33ヵ月もいて,生まれたときには歯もはえそろい,言葉もはなし,大酒をのんだ。
鬼子として伊吹山にすてられるが,動物にそだてられる。
のち大江山にうつり,都に出没して人を殺し美女や財宝をうばう盗賊となった
(引用:コトバンク:伊吹童子)
異伝:金太郎の墓(兵庫県川西市)
兵庫県川西市にある「満願寺」にも「坂田金時の墓」が残されています。
・参考:【公式】満願寺
気になるポイントメモ
金太郎に関する気になるポイントメモ

喜多川歌麿画:『山姥と金太郎 頰ずり』
引用:Wikipedia
- 金太郎の母は「山姥」とよばれている
- 「猿」「鳥」「鯉」「兎」「熊」「鹿」を何を意味するのか?

左から右へ:山姥と金太郎と源氏の武士
引用:Wikipedia

月岡芳年画:『金太郎捕鯉魚図』
引用:Wikipedia

月岡芳年画:『金時山の月』
引用:Wikipedia
関連場所の地図
参考サイト
<Wikipedia>
・金太郎
<参考サイト>
・小山町観光情報:金太郎ゆかりの地
・神社人:金時神社(静岡県小山町)
・小山町観光協会:金時神社
・岡山観光Web:栗柄神社
・滋賀県神社庁:足柄神社
・滋賀県神社庁:芦柄神社
・世界巡礼烈風伝外伝:日本昔ばなしシリーズ(3)~金太郎の墓
まさかり担いだ金太郎|まとめ
以上、
「まさかり担いだ金太郎」についてのブログ記事でした。