古墳は「お墓」、そして「権力を示すための巨大建造物」だと、なんとなく分かった気になっていました。
けれど、それだけで本当に説明しきれているのでしょうか。
なぜ、あの形で、あの規模で、「古墳」という装置が必要だったのか。
この記事では、クシロの役割を手がかりに、古墳を思想ではなく構造として読み直してみます。
目次
なぜ「古墳」なのか、という違和感

古墳について調べ始めると、まず出てくるのは「墓」や「王の権威」を示す装置だ、という説明です。
もちろん、それが全く的外れだとは思いません。
けれど、クシロの役割を追ってきた後だと、どうしても引っかかる点が残ります。
なぜ、あれほどの労力をかけて、わざわざ「土地を盛り上げる」という形を選んだのか。
なぜ、埋めるだけではなく、形を与え、周囲から見える構造にしたのか。
そして、なぜそれが、ある時期から急激に広がっていくのか。
「死者を大切にしたから」「権力者を目立たせたかったから」
それだけでは、少し説明が軽すぎるように感じてしまいます。
ぽの
むしろ、古墳は「気持ち」より先に、「必要」があった構造ではなかったのか。
そんな違和感から、この記事は始まります。
クシロが抱えていた限界

クシロは、一般には「魔除け」や「護符」として説明されることが多い装身具です。
ゴホウラ製 のクシロなどを見ると、身を守るための道具だったという理解は、自然だと思います。
ただ、それだけでは説明しきれない使われ方や配置も、各地に残っています。
身につけることで「境界」を引き受け、個人が、ある役割や工程の一部として位置づけられていた可能性です。
もしクシロが、魔除けであると同時に、役割を身体に重ねる装置でもあったとしたら、その仕組みはとても柔軟で、同時に不安定なものだったはずです。
身体は、死にます。
失われます。
そして何より、「戻ってきてしまう」。
役割が、再び個人へと回収されてしまう、ということです。
役割を担った人が亡くなったとき、その役割はどうなるのか。
次の誰かが同じクシロを身につければ、それで同じ役割が再現されるのか。
実際には、そう単純にはいかなかったはずです。
クシロは優れた装置でしたが、「個人に依存してしまう」という限界を抱えていました。
役割が循環し、戻ってきてしまう。
それは、ある段階までは許容できても、制度として固定したい工程にとっては、不安定すぎたのではないかと思います。
身体から土地へ|役割を固定するという選択

そこで選ばれたのが、「土地」だったのではないでしょうか。
身体ではなく、物でもなく、土地に役割を担わせるという選択です。
土地は、死にません。
失われにくく、持ち運べず、簡単には動かせない。
つまり、「戻らない」条件を、最初から満たしています。
古墳は、その土地に「これはここだ」と宣言する構造です。
人の役割、制度、境界を、地面の中に沈める。
そして、二度と同じ形では戻らないようにする。
この視点で見ると、古墳は「死者のため」というより、「生きている側のため」の装置だった可能性が見えてきます。
役割を循環させず、工程を終わらせるための構造。
それが、古墳という選択だったのではないか、と。
古墳は、役割や制度を「ここで終わらせる」と宣言する装置

古墳を「祀る場所」と考えると、どうしても信仰や感情の話に寄ってしまいます。
けれど、ここでは一度それを横に置いてみます。
古墳は、役割や制度を「ここで終わらせる」と宣言する装置。
クシロ、埴輪、須恵器といった要素が、次々にこの構造の中へ回収されていくのは、偶然ではないように見えます。
埴輪は、人殉の代替として語られます。
須恵器は、葬送や祭祀の器として使われます。
それらはすべて、「戻らせない」ための工夫とも読めます。
古墳は、再生の装置ではありません。
循環を止め、工程を固定し、「もう戻らない」と宣言するための構造。
そう考えると、古墳の重たさが、少し違って見えてきます。
土師氏という名前に回収されていく工程

ここで、土師氏 の話に触れておきます。
ただし、この記事では深く踏み込みません。
土師氏には「二流あるとされる※」という見方があります。
※「西出雲・神門系」と「野見宿禰系」
それを血族の違いとしてではなく、担っていた工程の違いとして見ると、整理しやすくなります。
土を扱う現場。
制度を設計する立場。
それらが、古墳という巨大な装置の中で分業され、のちに「土師」という一語にまとめられていった可能性。
古墳は、役割を土地に固定する装置であると同時に、異なる工程を、一つの名前へ回収していく装置でもありました。
次の記事では、その具体例として土師氏を扱っていく予定です。
ここから先は、神話設計だけでは足りない。
生身の人間に、もう少し近い話に入っていきます。
<これまでに書いた関連記事>
ponologの前提
大物主・中心・沈黙
水・祓い・循環
クシロ連載
※ 身体に役割を引き受けさせる装置としての「釧(クシロ)」を、段階的に読み解いてきた連載です
- 第0回:田能遺跡とは何か|腕輪(釧)と管玉が語り始める、尼崎の弥生
- 第1回:釧(クシロ)とは何か|血族ではなく「役割」として読む、その手前
- 第2回:クシロがつく地名を、並べてみる|名が残った場所から見えてくる配置
- 第3回:釧(腕輪)とゴホウラは、何を意味するのか|身につける形と素材から読む、クシロの役割
- 第3.5回:なぜゴホウラなのか|貝が担った「境界をまとう」という役割
- 第4回:クシロと死・遺体・埋葬は、関係あるのか|身につけられた釧の、その後を考える
- 第4.5回:久久能智神が担う「木」の役割|クシロに至る工程
- 第5回:忌部・物部・中臣と「クシロ」|血族ではなく、役割として比べる
- 第6回: クシロを血族として読む|役割が系譜に回収される過程
- 第7回:なぜクシロは消えたのか|古墳へ回収されていく役割
