宗像三女神は、なぜ「三」なのか|祓戸四神が「四」である理由を、数と配置から読む

宗像三女神は「三」、祓戸四神は「四」。

この違いを、性格や神格の差として読んでしまいがちです。

けれど、本当に数は性質を表しているのでしょうか。

前回の記事では、「通す神」と「祓う神」という配置の違いを見てきました。

今回はさらに踏み込み、が同じように分けられながら、なぜ別の数でなければならなかったのかを、配置と終わり方から考えてみたいと思います。

宗像三女神と祓戸神は、何が違うのか| 「通す神」と「祓う神」を、配置から読む

「分ける」ことは、三女神も四神も共通している

宗像三女神祓戸四神は、人数こそ異なりますが、まず大きな共通点があります。

それは、どちらも「一柱にすべてを背負わせていない」という点です。

役割を分け、力や働きを分散させる構造を取っています。

祓戸四神では、瀬織津比売神が穢れを引き受け速開都比売神がそれを外へ出し気吹戸主神が根の国へ吹き払い速佐須良比売神が根の国から消し去ります

一柱で完結させない、明確な分業です。

宗像三女神もまた、三柱が同時に同じことをする神ではありません。

沖・中・辺という分離配置は、役割が重なり合わないことを前提にしているように見えます。

この共通点だけを見ると、「三でも四でも、分けていれば同じではないか」と感じるかもしれません。

けれど、分け方と、その “終わり方” に目を向けると、決定的な違いが浮かび上がってきます。

それでも宗像三女神が「三」で止まっている理由

宗像三女神の役割は、祓いや処理ではありません。

人や物、神が行き交う場所で、それを「通す」ことにあります。

海上交通、境界、媒介。

宗像の神々は、何かを消すのではなく、行き来を成立させる側に立っています。

このとき必要なのは、始まり・途中・外へ抜ける出口という三つの地点です。

三という数は、流れが成立するための最小単位のようにも見えてきます。

もしここに四柱目を置いてしまうとどうなるでしょうか。

流れは「処理」に近づき、「ここで終わった」という印象を帯びはじめます。

という数は、流れを先へ送るというより、四方をそろえて、一度区切る(境界をつくる)数です。

そのため用いられる場面によっては、「ここまでで一区切り」という感覚を生みやすくなります。

境界を定め、内と外を分ける働きを持つため、配置として用いられると、流れはそこで完了したものとして受け取られやすくなります。

宗像三女神は、終わらせてはいけない役割を担わされた神だと考えられます。

三で止まっているのは未完成だからではなく、あえて完了させないため。

流れを閉じず、循環に戻す余地を残すための三柱配置なのではないか、そう考えたくなります。

なぜ祓戸四神は「三」で止まれなかったのか

一方で、祓戸四神は三柱では足りなかったように見えます。

瀬織津比売神が祓いを起こし、速開都比売神が流し、気吹戸主神が散らす。

ここまでで、確かに「動き」は成立しています。

けれど、三柱までだと必ず残るものがあります。

「どこかに行った」「どこかに散った」という痕跡です。

ぽの

正直、最初は「流して散らせば、それで終わりなんじゃない?」と思っていました。
でも、それだと “どこかに残る” 感じが、どうしても拭えなかったんです。

祓いが循環に戻ってしまう余地が残る。

そこで配置されるのが、速佐須良比売神です。

穢れを根の国から消し去るという役割は、視界から消し、世界から切り離すためのものに見えます。

四という数は、流れを次へ渡すためではなく、四方をそろえて一区切りをつける配置として働きやすく、祓いを循環に戻さず終わらせる役割と相性がよい数でもあります。

四柱目は、祓いを強めるための追加ではありません。

祓いを終わらせるための切断点です。

祓戸四神が四でなければならなかった理由は、この「循環させない」必要性にあったのではないでしょうか。

「三」は循環を許し、「四」は循環を断つ

ここまでを整理すると、の違いは象徴的な数の意味というより、結果として現れる働きの違いだと感じます。

三は流れを成立させますが、終点を固定しません。

戻る余地を残し、循環を許します。宗像三女神の配置は、まさにその構造です。

四は、流れを分解した上で、そこで完了させます。

祓戸四神は、祓いを循環に戻さず、根の国へ送ることで切り離します。

同じ「分散」でも、目的は正反対です。

次へ渡すための分解であり、終わらせるための分解。この違いが、人数の差として現れているように見えてきます。

三と四は「似ている」のではなく、役割が反転している

宗像三女神祓戸四神は、どちらも一柱にすべてを背負わせない設計を持っています。

けれど、それだけで同じだと考えると、肝心な部分を見落としてしまいます。

宗像三女神は、流れを止めないために三で止まりました。

祓戸四神は、流れを止めるために四まで分解されました。

共通しているのは「分ける」という姿勢ですが、決定的に違うのは「終わらせるか、終わらせないか」です。

三と四は似た数ではなく、役割が反転した配置の数。

そう読んだとき、宗像三女神が四女神にならなかった理由も、祓戸四神が三神で終わらなかった理由も、配置の必然として見えてくる気がします。

では、祓戸四神の中で最初に祓いを起こす瀬織津比売神は、どこまでを担い、どこからを他の神に委ねているのでしょうか。

また、水と深く結びつくミズハノメとの違いは、どこにあるのか。

次の記事では、祓いの起点に立つ女神たちを、もう少し近くで見てみたいと思います。

瀬織津姫とミズハノメは、何が違うのか|「祓う水」と「めぐる水」を、役割から読む

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
瀬織津姫
<参考資料>
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
記紀神話
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
宗像三女神

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です