なぜ、兵庫県の尼崎に大物主神社なのか|中心から外れた土地に残る、沈黙の神

兵庫県尼崎市に、大物主神社 があります。

<参考>
尼崎市神社あんない:大物主神社

大物主 といえば、奈良の 三輪 や、出雲 と結びつけて語られることの多い神です。

真ん中を定めない出雲思想|八・渦・数に残る感覚

それだけに、「なぜ尼崎に?」という疑問が、どうしても残ります。

尼崎は、古代国家の中心でもなければ、神話の主舞台として語られる土地でもありません。

それでも、この場所には、確かに大物主 という名が残っています。

しかも、それは誇示されることもなく、静かに、当たり前のように存在しています。

この違和感は、単なる由緒の問題ではありません。

大物主という神が、なぜ語られず、前に出ず、それでも消えずに残り続けてきたのかという問いへと、自然につながっていきます。

大物主は、なぜ沈黙しているのか|日本神話での「語られなさ」を読む

本記事では、「なぜ、兵庫県の尼崎に 大物主神社 があるのか」という問いを起点に、中心から外れた土地に残された、沈黙の神 の姿を追ってみたいと思います。

なぜ、尼崎に大物主神社があるのか

兵庫県尼崎市:大物主神社

兵庫県尼崎市の 大物主神社 は、かつての私の 氏神様 でした。

【大物主神社】

〒660-0823 兵庫県尼崎市大物町2丁目7−6

<参考>
尼崎市神社あんない:大物主神社

七五三をはじめ、子どもの頃から 大変お世話になっておりまして。

私にとっては「とても身近な存在」だったわけなのですが。

その、主祭神である 大物主 については、正直 長年「何の神様なのだろう…?」と、よくわからないまま過ごしておりました。

配神である、宗像三女神(市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命)については、尼崎は 海が近いので、尼崎に祀られてる意味はよくわかるのですが。

大物主 については、「なぜここに…?」という素朴な疑問を 感じ続けていました。

この問いは、単なる「地元史の話」では終わりません。

尼崎という土地を調べるためのものではなく、大物主 という神の在り方そのものを問い直す入口なのです。

中心ではない土地、尼崎という場所

尼崎は、京でもなければ、奈良(飛鳥)でもありません。

難波でもありません。

政治や宗教の「中心」として語られることは、ほとんどない土地です。

尼崎市内の神社一覧を見ると、尼崎が「中心ではない土地」であるからこその、特徴が見えてきます。

<参考>
尼崎市神社あんない:尼崎市内66社

尼崎には、出雲系、王権系、渡来系、生活神が、排他的にならず、並ぶように存在しています。

「特定の系統の神」が、土地を一色に染めていないのです。

尼崎は、政治や宗教の「中心」としては存在していませんが、これは、尼崎が「選ばれなかった土地」だったからではありません。

むしろ、その位置の利便性から、海路を通じて様々な勢力が流入してくる土地なのです。

そんな尼崎は、次々にあらゆる勢力を受け入れつつも、どの勢力にも独占はさせなかった土地だった…と読めてくるのです。

そんな土地である尼崎の役割が、この神社配置には、今も静かに残っています。

そしてこの配置は、「なぜ尼崎に 大物主 がいたのか」という問いにも、示唆を与えてくれます。

尼崎は「中心として選ばれなかった場所」ではなく、大物主の存在と共に「最初から別の役割を担っていた土地」だった可能性があります。

尼崎は「あらゆる勢力を いったん 受け止める」場所だったのかもしれません。

争わないための「安全装置」のような役割を、担っていたとも読めそうです。

そこには、まさに大物主 と同じ役割が、読めてくるのです。

語られない神・大物主

大物主は 争いを生まない為の 安全装置であったのではないか?

…という点については、記事「大物主は、なぜ沈黙しているのか|日本神話の「語られなさ」を読む」にも 書いた通りです。

大物主は、なぜ沈黙しているのか|日本神話での「語られなさ」を読む

重ねて書きますと、

大物主安全装置 でありえた理由は、大物主が「語られない神」であり「その存在の意味が 固定されていない神」だから。

大物主 は、日本神話の中で重要な位置を占める神ですが、それにもかかわらず、その性格や物語は、驚くほど多くを語られていません。

主役のようでいて、いつも一歩引いた場所にいる。

語られなさは、忘却ではなく、この神が前に出ることを拒んできた痕跡とも読めそうです。

尼崎の 大物主神社は 由緒によると、大田田根子の子孫「鴨部祝カモベノハフリ」、あるいは氏族の一人がこの尼崎の海辺の大きな三角州に大神さまをまつったのだという口伝があります。

が、尼崎の大物主神社では、大物主 は 長いあいだ 主祭神として明示されていなかった可能性があります。

というのも、江戸時代までは「大物社」「大物若宮」「若宮社」「若宮弁財天」と呼ばれており、その頃の主祭神は、勧請した厳島神社と同じ 市杵島姫命 であったと伝えられています。

それでも、神社の名は「大物社」と呼ばれ、土地の名も「大物ダイモツ町」として残りました。

大物主は、
祀られていなかったのではなく、
語られていなかった。

存在は確かにそこにあった。

これは、大物主 という神の沈黙が、土地の側に引き受けられていた一例と考えることもできそうです。

沈黙は欠落なのか、それとも意志なのか

神話に語られないことは、情報が失われた結果なのでしょうか。

それとも、語られないままでいること自体に、意味があるのでしょうか。

大物主の沈黙 を「空白」と見るか、「態度」と見るかで、この神の姿は大きく変わって見えてきます。

もし沈黙が 意志 だとしたら、大物主は「語られないことで在り続ける神」だったのかもしれません。

中心から外れた場所に、神が残る理由

尼崎という土地と、大物主という神。

その二つを重ねて見ると、ある共通点が浮かび上がってきます。

どちらも、中心に立つことを選ばなかった存在です。

そして、その「外れた場所」にこそ、今も消えずに残っているものがあります。

中心から外れた場所にこそ、語られなかった神が、今も静かに残っているのです。

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尼崎の大物主神社について書いた記事は、以下のページにまとめています。

尼崎・大物主神社をめぐる考察

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