大物主神社の注連柱は、何を向いているのか| 本殿を向かないという選択

兵庫県尼崎市に鎮座する 大物主神社 には、本殿を向かない注連柱があります。

では、その注連柱は、何を向いているのでしょうか。

由緒には特別な聖域が述べられておらず、周辺は現在、住宅街が広がっています。

私はかつて、地形的に「海」の影響を大きく受けるこの地(尼崎)に暮らしていたからこそ、この配置に違和感を覚えました。

この記事では、注連柱が本殿にも海にも向けられていないという選択が、この場所で何を示しているのかを読み解いていきます。

本殿を向かない注連柱に、なぜ足が止まるのか

尼崎にある大物主神社の注連柱

境内に立ったとき、注連柱の向きに違和感を覚えました。

注連柱とは、神聖な領域を示す「結界」の役割を果たす存在です。

本殿を正面に据え、そこへ導くように配置されることが多い注連柱が、ここではその役割を強く果たしていないように見えたからです。

大物主神社の注連柱の向こうに広がるのは住宅街…。

もちろん、都市化や地形、後世の改変といった可能性は考えられます。

ただ、実際にその町に住んでいた者(私)からすると、「地形が変わったからわからなくなった」とは考えにくいのです。

というのも、大物主神社が鎮座しているのは、尼崎の中でも水害に合いやすい土地なのです。

「地形や街並みが変わること」は頻繁にあったであろう場所。

そこに「流されてしまう場所」を、神域の中心として据える構造は、少し想像しにくく感じました。

もし、仮に「海に流された魂」などを祀る意味であれば、海側を示すのではないかと思うのです。


注連柱の示す先…尼崎の西側には、何があるか…と思いを巡らせたとき、ふと…子どもの頃の記憶が 呼び出されたのでした。

生活の中で毎日のように見ていた「六甲山に夕日が沈むその光景」に抱いていた不思議な感覚の記憶。

そこから「もしかして、注連柱が示す先は 六甲山 なのでは?」…との仮説に至ったのでした。

津波と水害の土地で、六甲山を見るということ

大物主神社の近くには、六甲山が良く見える場所(歩道橋)がありました。

そこからは、見える「六甲山とそこに沈む夕日」の美しさは、子どもながらに不思議と「大切なモノ」として記憶に残っています。


尼崎は、水と切り離せない土地です。

川が流れ、海に近く、津波や水害の記憶が重なっています。

ここでは、地形も境界も、決して固定されたものではありません。

そうした場所で暮らしていると、世界は「流れるもの」「変わるもの」として体感されます。

消え、削られ、更新されることが、日常の前提になる土地です。

子どもの頃は、「六甲山とそこに沈む夕日」に抱いた不思議な感覚を言語化できていませんでした。

が、今だと なんとなくわかるような気がします。

それは「高い」「美しい」といった評価ではなく、流れる世界の外縁に、毎日 変わらず在り続ける「モノ」がちゃんと “ある” という確認 に近いものです。

これは信仰というより、生存感覚です。


きっと、尼崎で感じる「六甲山と夕日」の美しさは、「それそのもの」のみで生み出されたものではないのでしょう。

「尼崎港方面(海)」が横手にある土地であるからこそ感じる「六甲山と夕日」の美しさなのだと思います。

変わらないものが「残っている」という事実そのものが、世界を把握するための基準になっている。

その感覚が、配置を見る目にも影響していたのだと思います。

尼崎港は、なぜ「拝む対象」にならなかったのか

尼崎という水辺の町で暮らしておりましたが、海に対しては 六甲山に感じるような「大切なモノ」である感覚を抱いたことがありませんでした。

私にとって「海はただそこにあるもの」でした。

尼崎港は工場街ですので、海周辺が「物理的にわかりやすい美しさを持っていなかった」ということはあります。

視覚的・環境的に、信仰と結びつきにくい場所だった、という感覚はあります。

けれど、問題は「そこ(視覚的・環境的なもの)」ではありません。

「〇〇」だから「大切としない」「大切とする」ではないのです。

港は、流れる役割を担っています。

土砂を運び、洲を削り、形を変え、消え、また作られる。

津波や洪水によって姿を失うこともある場所です。

海自体を大切なモノと認識してしまうと、流された方に否定的な意味が生まれてしまいます。

だからこそ、港は「意味がない」のではなく、流れる側としての役割を持っている。

ここに固定された聖性を与えてしまえば、流れること自体が否定されてしまいます。

尼崎という土地が 六甲山を見るとき、それは港(海側)を「悪」だとか「下」だとかとして見て切り捨てるためではありません。

流れる世界の内部と、その外縁に残るものを、同時に成立させるための視線です。

注連柱は、何を遮り、何を結ばないのか

注連柱は、内と外を分ける装置です。

しかし同時に、「ここが聖である」という意味を固定する力も持っています。

大物主神社の注連柱は、その固定を強く行っていません。

仮説として、注連柱が示す先は「六甲山」ではないか、とは先に書きました。

が、神社側が由緒でそれを語ってはいません。

本殿へ向かわせるでもなく、特定の場所を唯一の中心として強調するわけでもない。

それは、意味を拒んでいるのではなく、意味を固定しすぎないための配置に見えます。

仮に「六甲山=残るもの」という読みを強く固定してしまえば、「残らないモノ=流れるもの」が一気に「劣った側」になってしまうからです。

語らない事で「六甲山」ではなく、神社の西側にある「庄下川」「武庫川」などの川を示している可能性も消えることなく残ります。


これは、出雲的とも言える境界思想ではないでしょうか。

真ん中を定めない出雲思想|八・渦・数に残る感覚

山を「山」として残し、海や川を「流れるもの」として生かす。

注連柱は、そのバランスを壊さない位置に立っているように感じます。

大物主という神が、「中心を向かせない」理由

大物主という神は、力ある存在として語られながら、「誰の山か」「何の神か」を強く固定されてきませんでした。

それは弱さではなく、むしろ慎重さに近いものです。

六甲山もまた、「〇〇大神の山」と強く語られることはありません。

語った瞬間に、世界の上下や中心が決まってしまうからです。

尼崎という流れる土地において、山は拝まれるけれど、神格化されすぎない。

注連柱も立つけれど、中心を断言しない。

それは、変わらず在るものを、そこに “置く” ためではなく、変わらず在ることを “確認する” ための配置(役割)なのだと思います。

大物主の沈黙は、その確認を、奪わないための沈黙なのかもしれません。

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尼崎の大物主神社について書いた記事は、以下のページにまとめています。

尼崎・大物主神社をめぐる考察

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