大物主神の年表

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大物主神 の周辺で「いつ何があったか?」…についての年表です。

大物主神の年表

ぽの

「古事記」「日本書紀」の内容を中心にまとめてみました

大国主

まず、大国主の国造り において、大物主神 は登場します。

国造りと大物主神

大物主神の登場

  • 大国主が 出雲の美保岬にいると、天乃羅摩アメノカガミノ(=カガイモノの実)乗り、ヒムシ(=蛾)の皮の着物(※1)を着て波の彼方より小さな神が来訪した(古事記)
    ※1:「日本書紀」では、着ていたのは ミソサザイの皮の着物

カガイモの実

ミソサザイ(溝三歳とも)

  • この「小さな神」は 少名毘古那スクナビコナ(※2)
    ※2:『古事記』では 神産巣日カミムスビの子とされ、『日本書紀』では 高皇産霊タミムスビの子とされる。
  • 大国主少名毘古那スクナビコナ は協力して(義兄弟の関係 となって)葦原中国の国造りを行った
  • ある程度、国造りの目途がたつと、少名毘古那スクナビコナ は常世へと去った
  • 大国主 が国造りに悩み途方に暮れていると、海を照らしてやって来る神 がいた
  • その神は、「私は、あなた(大国主)の 幸魂サキミタマ奇魂クシミタマ で、私を祀るなら、この国は必ず平和に治まるだろう。」と、言った
  • この神が、御諸山三輪山)に鎮座する 大三輪の神大物主である

国譲り

天照大神高木神(高御産巣日神)が 大国主へ 国(葦原中国)を譲る(返却する?)よう申し入れた。

  1. 天菩比アメノホヒ を大国主の元に派遣 → 失敗
  2. 天若日子アメノワカヒコ を大国主の元に派遣 → 失敗
  3. 建御雷タケミカヅチ天鳥船神アメノトリフネ を大国主の元に派遣 → 大国主の息子である 事代主 が許諾 → 国譲り成功

天孫降臨

  • 天照大神高木神(高御産巣日神)は 葦原中国を邇邇藝命ニニギに治めさせることにした

初代 神武天皇

  • 初代 神武ジンム天皇神日本磐余彦カム ヤマトイワレヒコ天皇’
  • 諱:彦火火出見ヒコホホデミ狭野サヌ
  • 天照大御神 の五世孫・高御産巣日神 の五世の外孫
  • 筑紫の日向で誕生
  • 15歳で立太子
  • 吾平津アイラツ を妃とし、手研耳命タギシミミ が生まれる

神武東征

  • 45歳時に兄や子を集め東征を開始

神武天皇即位と大物主神

  • 橿原宮で天皇に即位して初代天皇となる
  • 媛蹈鞴五十鈴ヒメタタラ イスズ(← 大物主神 の娘:古事記)比売多多良伊須気余理ヒメタタラ イスケヨリ比売=富登多多良伊須須岐ホトタタラ イスケ比売(← 事代主の娘:日本書紀)を 皇后に迎える

2代綏靖天皇~9代開化天皇

  • 第2代 綏靖スイゼイ天皇神渟名川耳カミ ヌナカワミミ天皇
  • 第3代 安寧アンネイ天皇磯城津彦玉手看シキツヒコ タマデミ天皇
  • 第4代 懿徳イトク天皇大日本彦耜友オオヤマゴヒコ スキトモ天皇
  • 第5代 孝昭コウショウ天皇観松彦香殖稲ミマツヒコ カネシエ天皇
  • 第6代 孝安コウアン天皇日本足彦国押人ヤマトタラシヒコ クニオシヒト天皇
  • 第7代 孝霊コウレイ天皇大日本根子彦太瓊オオヤマトネコヒコ フトニ天皇
  • 第8代 孝元コウゲン天皇大日本根子彦国牽オオヤマトネコヒコ クニクル天皇
  • 第9代 開化カイカ天皇稚日本根子彦大日日ワカヤマトネコヒコ オオヒビ天皇

10代 崇神天皇と疫病と祭祀

  • 10代 崇神スジン天皇御間城入彦五十瓊殖ミマキイリヒコ イニエ天皇
  • 即位5年:疫病が流行し人口の半数が失われた → 祭祀で疫病を治めようとする

天照大神と倭大国魂

  • 即位6年:天照大神倭大国魂ヤマトオオクニタマ を 宮中の外に出す → 結果、うまくいかず

大物主神


(↑↑↑「神浅茅原カムアサジハラ」の場所は比定されていないが、一説によると上記)

  • さらに、崇神天皇の夢に 大物主神 が現れ「もし我が子の 大田田根子オオタタネコ(意富多多泥古) を以って我を祭ればたちどころに平安となる」と告げた
  • 続いて、倭迹速神浅茅原目妙姫ヤマトトハヤ カンアサジハラ マクワシヒメ(=倭迹迹日百襲姫)・大水口宿禰オオミナクチノスクネ(穂積臣遠祖)・伊勢麻績君イセノオミノキミ の三人がともに同じ夢を見た(見た夢は以下の通り)
  • 大物主神倭大国魂神(大和神社祭神)の祭主を それぞれ 大田田根子市磯長尾市イチシノナガオチ にせよという神託を受けた
  • ① そこで 崇神天皇は、おじの 伊香色雄イガシコオ に命じて 物部の 八十平瓮ヤソヒラカ を作らせ、祭神の供え物とした
  • ② そして、大物主神 の子とも 子孫とも言われる 大田田根子 を探し出して大物主神 を祭る神主とした三輪山 を御神体とする 大神神社 の始まり
  • ③ また、市磯長尾市イチシノナガオチ倭大国魂神 を祭る神主とし、八十万ヤソヨロズ の群神を祭った
  • → 上記、①②③の祭祀 をすることにより、疫病は終息して 五穀豊穣となった
崇神天皇は3世紀頃とされるが…
三輪君の祖(オオタタネコ)集団 が御諸山周辺に住み着き 祭祀族として朝廷に仕えたのは、「6世紀以降」である

ちなみに、倭迹迹日百襲姫ヤマトトヒモモソヒメ は、7代 孝霊天皇 の皇女とされるが、崇神天皇の時代の話にも出てきたりと謎が多い。


  • 即位8年:天変地異が収まった翌年、大神神社タテマツ酒の管掌(大神の掌酒サカビト)に 高橋邑の人 活日イクヒ が任命されている
高橋活日が読んだ歌
此の神酒ミキは 我が神酒ミキならず 日本成ヤマトナ大物主みし神酒ミキ 幾久イクヒサ 幾久イクヒサ

(この神酒は 私が造った神酒ではありません。倭の国をお造りになった 大物主大神 が醸されたお酒です。幾世までも久しく栄えませ、栄えませ。)

墨坂神と大坂神

  • 即位9年:崇神天皇は 神が夢に現れたと称し ④大和国の東の隅に座す 墨坂スミサカ を「赤い盾と矛」、⑤西の隅に座す 大坂オオサカ を「黒い(墨色)盾と矛」をもって祀った
  • ⑥これに続いて全ての「坂の神」や「瀬の神」に、文字通り 隅から隅まで 幣帛ヘイハクを奉った
  • → ④⑤⑥の祭祀をすることで 疫病収束(※疑問
※疑問
即位9年に ④⑤⑥で疫病収束したって言うけれど、疫病は、即位7年に 大物主神 を祀るなどの祭祀をしたこと(①②③)で収束したのでは?まだ収まってなかったの?…と疑問に思ったりしたのですが。

これは、三輪山 墨坂の神大和国の東の隅:現在の 墨坂神社 あたり)と 大坂の神大和国の西の隅:現在の 大坂山口神社 あたり)では、それぞれ 場所が離れているので、場所の違いによるものでしょうかね?

(即位7年に ①②③の祭祀により、一部=中心部=三輪山周辺 は収まったけれども、まだ収まってない場所もあった。→ 即位9年で ④⑤⑥の祭祀により 大和の東の隅~西の隅まで疫病が収まった… というような感じ?)

墨坂の神
墨坂神社 の祭神は、「墨坂大神」であり、神社の由緒曰く「天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、伊邪那岐神、伊邪那美神、大物主神」の六神を総称して「墨坂大神であるのだとか。

ちなみに、現 墨坂神社の地(宇陀市 榛原萩原ハイバラハギハラ 天野)は、天富命(忌部氏祖)の邸跡と伝えられている。

・公式サイト:墨坂神社

倭迹迹日百襲姫と大物主神(小蛇?)

  • 即位10年:倭迹迹日百襲姫ヤマトトヒモモソヒメ(孝霊天皇の娘)は、大物主神 と結婚した
  • 大物主神は夜にしか現れず、その姿を見ることができなかったので、倭迹迹日百襲姫は、大物主神 に朝まで残って姿を見せてほしいと願った
  • 大物主神 はこれを了承し、朝には 櫛笥クシゲ(化粧道具を入れる箱)に入っているので、驚かないようにと告げた
  • しかし、朝に櫛笥を覗いた 倭迹迹日百襲姫命 が、中にいた 美しい 小蛇 の姿を見て驚き、叫び声をあげてしまったため、大物主神との婚姻は破談し 悔いた姫が座り込んだ際に、箸が ホトに刺さり 亡くなってしまった。
  • そして、姫が葬られたのが「箸墓」である

11代垂仁天皇~20代安康天皇

  • 第11代 垂仁スイニン天皇活目入彦五十狭茅イクメイリヒコ イサチ天皇
  • 第12代 景行ケイコウ天皇大足彦忍代別オオタラシヒコ オシロワケ天皇
  • 第13代 成務セイム天皇稚足彦ワカタラシヒコ天皇
  • 第14代 仲哀チュウアイ天皇足仲彦タラシナカヒコ天皇
  • 第15代 応神オウジン天皇誉田天皇ホムタ天皇(在位:390~430年?)
  • 第16代 仁徳ニントク天皇大鷦鷯オオサザキ天皇(4世紀末~5世紀前半)
  • 第17代 履中リチュウ天皇去来穂別イザホワケ天皇(5世紀前半)
  • 第18代 反正ハンゼイ天皇多遅比瑞歯別タジヒノ ミツハワケ天皇(5世紀前半)
  • 第19代 允恭インギョウ天皇雄朝津間稚子宿禰オアサツマワクゴノスクネ天皇(5世紀前半)
  • 第20代 安康アンコウ天皇穴穂天皇ホアナ天皇(5世紀前半)

21代雄略天皇

  • 第21代 雄略ユウリャク天皇大泊瀬幼武オオハツセワカタケ天皇(在位:456~479年?)

大物主神=大蛇?

  • 即位7年:雄略天皇は、少子部連チイサコベノムラジ蜾蠃スガル に言った

三諸岳ミモロタケ(=三輪山)の神を見たい

一説によると、この山の神は「大物主神」だという
また一説によると、「菟田ウダ墨坂スミサカ」だともいう

この神を捉えて来い」と

蜾蠃スガルは、三諸岳で「大蛇」を捉えてきた

大蛇はのような音を立て、目は光を放った

天皇は畏れ入って、目を覆い、大蛇を見ずに、殿中に隠た

大蛇は山に放たれ、今回のことによって 蜾蠃スガルは「」という名を与えられた

大物主神の年表|まとめ

以上、

大物主神 の周辺で「いつ何があったか?」(年表)についての ブログ記事でした。

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