東鯷人 について。
東鯷人(トウテイジン)
東鯷人 は「東鞮」とも表記され、中国から東シナ海で隔たった東側に住んでいた民族の名称です。
東鯷人 については情報が少ない為、様々な説がありますが、その居住地については「九州から沖縄諸島に至る南方の島々※」という説に賛同しております。
(※といっても、そこにずっと留まっていたわけではなく、そこから「日本の本島を含めた各地」へ移動はしていると思われます。
九州周辺は大型の火山の噴火や津波などが発生する地域ですので、それらに伴う移動は必至であったかと…)
東鯷人:歴史資料
東鯷人については、『漢書』『後漢書』に、記述がのこされていますが、いずれも同じ様な内容で、情報としてはとても少ない内容となっています。
これらが資料(史実)として残されている「東鯷人」についてとなります。↓↓↓
●『漢書』地理志、呉地條(1世紀に書かれた)
會稽海外有東鯷人、分為二十餘國、以歲時來獻見云。
会稽海外、東鯷人有り、分かれて二十余国を為す。歳時を以て来り献見すと云う
(『漢書』燕地條には「倭人のこと」も記されており、その記事は東鯷人の記事と対句のような構文で、よく似ている)
樂浪海中有倭人,分為百餘國,以歲時來獻見云。
楽浪海中、倭人有り、分かれて百余国を為す。歳時を以て来り献見すと云う
會稽海外有東鯷人,分為二十餘國。
会稽海外、東鯷人有り、分かれて二十余国を為す
東鯷人は呉系楚人
- 呉系楚人
▶︎「東鯷人」の「鯷」は「鯷冠※」の「鯷」
※ 鯷冠:鯰やフグの皮で作った小さな冠
▶︎「呉人」は「鯷冠」を被っていて「鯷=大鯰」と深い関係がある
▶︎「東鯷人」は「倭人」とは違う特徴を持っていた
▶︎「倭人」と似た特徴を持っていた「越系」ではなく「呉系」と思われる
▶︎ 「BC200年頃(←超ざっくりの年代)」、始皇帝が韓を滅ぼす→ 長城を作る→逃げた人々で色々な国が興る
(東鯷人 は、この時に日本に渡来してきたと思われる?)
- 遼東郡から西に逃れたもの濊を建国→夫餘・高句麗・百済 と繋がる
- 南の箕氏朝鮮(後の楽浪郡)に逃れたものは馬韓へ南下
- さらにその西部で弁辰(弁韓)となる
▶︎ 阿蘇神「建磐龍命」は、先住の「草部吉見」の娘「阿蘇都姫」を娶った ※
※これは もともと 阿蘇を支配していた『草部=東鯷人』 が、後に阿蘇に進入してきた 一族(建磐龍命)に追い落とされたということ
▶︎AD107年に「倭の国王帥升等、生口(奴隷)160人を献じ~」と、後漢 に朝貢した話が残されている
この、生口(奴隷)は負けた「東鯷人」であり、東鯷人が 歴史から消滅していったタイミング はここ
(前漢 → 後漢 → 魏 と続く中国史の中で、魏の時代を記述した魏志倭人伝(東夷伝とも)に「東鯷人の記述が無い」のはこのためと思われる)
・
・
★ もっと詳しく知りたい場合は「堂谿氏」について知るとよさそう? ↓↓↓
・重要参考:古代史レポート:堂谿氏と金属器文化:堂谿氏(秦氏の源流)塚田敬章
参考サイト
<Wikipedia>
・東鯷人
<参考サイト>
・古代史レポート:堂谿氏と金属器文化:堂谿氏(秦氏の源流)塚田敬章
東鯷人|まとめ
以上、
「東鯷人」についてのブログ記事でした。