NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第8話を見ていて、源頼朝(佐殿)のこんなセリフが気になった。
ここに源氏ゆかりの由比若宮をお移しする。
鶴岡八幡宮じゃ。
この丘の下に社殿を築く。
八幡神は源氏の守り神。
その威光をもって坂東をまとめ上げる。
八幡神が源氏の守り神だったことについては、別の記事で整理した。
今回気になったのは、「由比若宮(ゆいわかみや)」という名前。
そもそも、なぜ「若宮」なのだろう。
若宮というと、神様の御子神を祀る社や、本宮に対する新しい宮を思い浮かべる。
では、由比若宮の場合はどうだったのか。
『吾妻鏡』と鶴岡八幡宮の由緒を手掛かりに、呼称の変遷を追ってみたい。
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由比若宮とは?|現在も残る「元八幡」
由比若宮は、現在の 神奈川県鎌倉市 材木座 にある神社。
「元八幡(もとはちまん)」とも呼ばれ、現在の鶴岡八幡宮の前身にあたる。
鶴岡八幡宮の公式由緒によると、康平6年(1063)、源頼義が奥州での前九年の役から帰還した際、京都の石清水八幡宮の御分霊を鎌倉の由比郷鶴岡に祀ったのが始まりとされる。
その後、治承4年(1180)に源頼朝が現在の鶴岡八幡宮の場所へ遷座した。
ただし、もとの由比郷でも祭祀は続けられており、現在も毎年4月2日に由比若宮例祭が行われている。
つまり、頼朝が八幡神を遷したからといって、もとの祭祀の場所が完全になくなったわけではない。
ここは興味深いところ。
1063年の創建当初から「若宮」だったのか?
まず確認したいのが、1063年に源頼義が勧請した際の名前。
現在は「由比若宮」と呼ばれているけれど、創建当時からそう呼ばれていたのだろうか。
鶴岡八幡宮の公式説明では、創建当初は「鶴岡若宮」と称されていたとされる。
一方、『吾妻鏡』治承4年(1180)10月12日条には、1063年の創建を振り返る記述がある。
そこでは、源頼義が石清水八幡宮を由比郷に勧請したことを述べ、旧地について次のように記している。
今号之下若宮
「今は下若宮と呼ぶ」という意味になる。
ただし、ここで注意したいことがある。
『吾妻鏡』は1063年当時に書かれた記録ではない。
鎌倉時代後期に編纂された史書なので、「今号之下若宮」という表現も、1063年当時の呼称を直接証明するものではない。
つまり、創建伝承は1063年まで遡るけれど、「若宮」という名前が1063年から使われていたとまでは断定できない。
1180年には「鶴岡若宮」という呼称が登場する
では、「若宮」という呼称は、史料のどこに現れるのだろう。
『吾妻鏡』治承4年(1180)12月16日条には、次の記述がある。
鶴岡若宮被立鳥居。
鶴岡若宮に鳥居が建てられた、という内容。
ここで注目したいのは、1180年の出来事を記す記事に「鶴岡若宮」という名前が登場すること。
ただし、これも1180年当日に書かれた同時代記録ではなく、後に編纂された『吾妻鏡』の表現である。
それでも、少なくとも『吾妻鏡』では、1191年に上宮・下宮が整備される以前の社を「鶴岡若宮」と呼んでいる。
したがって、「若宮」という名前は、1191年に下宮が造られたことだけでは説明できない。
頼朝はなぜ由比若宮を移したのか?
治承4年(1180)、鎌倉に入った源頼朝は、祖先が祀った八幡宮を現在の場所へ遷した。
『吾妻鏡』10月12日条では、祖先を崇敬するために小林郷の北山に宮を設け、鶴岡宮を遷したと記される。
鶴岡八幡宮の公式由緒によると、頼朝は神意を伺うために神籤を取り、遷座する場所を決めたという。
ドラマでは、頼朝が次のように語っていた。
八幡神は源氏の守り神。
その威光をもって坂東をまとめ上げる。
これはドラマのセリフであって、頼朝本人の発言を記録したものではない。
ただ、頼朝が源氏ゆかりの八幡宮を鎌倉の中心に据えたことは、史料や神社の由緒とも対応する。
源氏の祖先にゆかりのある祭祀を、新しい政治的な拠点の中心に置いたという点が重要なのだと思う。
1191年に「上宮」と「下宮」が成立する
現在の鶴岡八幡宮には、山の中腹に本宮(上宮)、その麓に若宮(下宮)がある。
しかし、頼朝が1180年に八幡宮を遷した当初から、この配置だったわけではない。
建久2年(1191)、火災によって社殿が焼失した。
その後、頼朝は大臣山の中腹に上宮(本宮)を造営し、従来の社殿の場所に下宮を整え、若宮とした。
ここで、現在の上下両宮の構成が成立したとされる。
つまり、「若宮」と呼ばれる場所が二つあることに注意したい。
- 由比若宮: 頼朝が1180年に遷座する前の旧地。現在の材木座に残る元八幡。
- 鶴岡八幡宮の若宮(下宮): 1191年の再建によって整えられた、現在の鶴岡八幡宮境内の社殿。
両者は同じ場所ではない。
また、「由比若宮」と「鶴岡若宮」という歴史上の呼称も、時期や文脈を確認して読む必要がある。
結局、なぜ「若宮」だったのか?
ここまでを整理すると、次のことが分かる。
| 時期 | 出来事と呼称 |
|---|---|
| 1063年 | 源頼義による石清水八幡宮の勧請伝承。創建当時の実際の呼称は未確定 |
| 1180年10月 | 頼朝が由比郷の鶴岡宮を現在地へ遷座 |
| 1180年12月 | 『吾妻鏡』に「鶴岡若宮」として鳥居建立の記事がある |
| 1191年 | 火災後の再建で上宮・下宮が整備され、下宮を若宮とする |
ここから考えられるのは、鶴岡の「若宮」という呼称には、1191年の下宮成立よりも古い由来がある可能性。
一般に「若宮」には、御子神を祀る宮や、新たに勧請された宮など、複数の用法がある。
由比若宮も、石清水八幡宮から勧請された社であることから、新しい宮という意味で「若宮」と呼ばれた可能性は考えられる。
しかし、創建時の命名理由を直接説明する史料は、今回確認できなかった。
また、「若宮」という名前だけで、必ずどこかに対応する本宮があったと断定することもできない。
石清水八幡宮との関係は確かに重要だが、石清水が名称上の「本宮」だったかどうかは、別に検証する必要がある。
したがって、今回の疑問への答えは、今のところ「若宮と呼ばれた理由は未確定」としておきたい。
今後調べたいこと|尼崎の大物神社にも「若宮」がある
実は、個人的に気になっているのが、兵庫県尼崎市の大物主神社。
この神社にも、かつて「若宮」と呼ばれた歴史がある。
由比若宮と直接つながる証拠があるわけではないけれど、どちらも「若宮」という呼称を持っていた点が気になる。
比較するとしたら、まず確認したいのは、「若宮」という名前がいつから記録に現れるのかということ。
そのうえで、祭神や社名が変化した経緯を比べてみたい。
ただし、これは今回の由比若宮とは別の調査テーマとして、いったん保留にしておく。
まとめ
『鎌倉殿の13人』第8話に登場した由比若宮は、源頼朝の祖先である源頼義が石清水八幡宮から勧請したと伝わる神社だった。
1180年、頼朝はその八幡宮を鎌倉の新たな中心へ遷し、後の鶴岡八幡宮につながる祭祀拠点を整えた。
さらに1191年には、上宮と下宮を備えた現在につながる構成が成立した。
ただし、「若宮」という呼称は、1191年の下宮成立だけでは説明できない。
『吾妻鏡』には1180年の社を「鶴岡若宮」と呼ぶ記述があり、鶴岡八幡宮の公式説明でも創建当初の呼称として紹介されている。
では、1063年に勧請された社が、なぜ「若宮」と呼ばれたのか。
その理由については、引き続き調べたい。
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参考
- 鶴岡八幡宮「祭り・由比若宮例祭」
- 鶴岡八幡宮「宝物・上下両宮」
- 『吾妻鏡』巻第一(Wikisource)
- 『日本歴史地名大系』「由比若宮」(コトバンク)
- 鎌倉市観光課「鶴岡八幡宮」(日本遺産ポータルサイト)
- 『鎌倉殿の13人』第8話(NHK、2022年)
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