ミズハノメは、『日本書紀』では「罔象女」と書かれます。
初めてこの文字を一字ずつ見たとき、かなり不思議に感じました。
罔には「網」「捕らえる」といった意味があり、象といえば、まず思い浮かぶのは動物のゾウです。
では、「罔象女=象を捕らえる女?」
……もちろん、そういう意味ではありません。
調べていくと、「罔象」は中国古典に登場する水の精・水怪の名であり、日本側がミズハノメにこの漢字を当てた背景には、中国の水霊観が関係していることがわかります。
しかも面白いことに、中国では「龍」と「罔象」は同じ水の世界に属しながらも、別の存在として認識されているようです。
以前、瀬織津姫とミズハノメについて「同じ水の女神なのに、役割が違うように見える」と書きました。
瀬織津姫とミズハノメは、何が違うのか|「祓う水」と「めぐる水」を、役割から読む
今回「罔象」という中国側の存在を追うと、その違和感を考えるうえで、さらに気になる点がいくつか出てきます。
目次
ミズハノメは、なぜ「罔象女」と書くのか
『古事記』では、ミズハノメは弥都波能売神と表記されます。
一方、『日本書紀』では、
罔象女
という漢字が使われています。
國學院大學の「古典文化学事業」の解説では、この「罔象」について、中国の古典で水の精を表す語であることが紹介されています。
『淮南子』には、
水生罔象
――水は罔象を生ず、とあります。
さらに高誘の注では、
罔象、水之精也
――罔象は水の精である、と説明されています。
つまり『日本書紀』の「罔象女」は、
罔+象+女
と一文字ずつ意味を取るのではなく、
罔象+女
と読むべき言葉です。
「罔象」という中国の水霊の名を、日本のミズハノメに対応させているわけです。
では、中国の「罔象」とは何者なのか
「罔象=水の精」とだけ聞くと、なんとなく清らかな水の精霊を想像してしまいます。
ところが、中国古典をたどると、かなり違う姿が見えてきます。
『荘子』「達生」には、
水有罔象
――水には罔象がいる、とあります。
この場面では、水・丘・山・野・沢といった場所ごとに、そこに存在する怪異が列挙されています。
つまり罔象は、単なる「水」という抽象概念ではなく、
水の中に存在する何者か
として考えられていたことになります。
さらに『国語』「魯語下」には、もっと興味深い記述があります。
木石之怪曰夔、罔兩
水之怪曰龍、罔象
土之怪曰羵羊
木石の怪には夔・罔兩、
水の怪には龍・罔象、
土の怪には羵羊がいる。
という分類です。
ここで重要なのは、
龍と罔象が別々に並べられている ことです。
<関連記事>
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「龍」と「罔象」は同じものではない
「水之怪曰龍、罔象」。
この一文を読む限り、中国側では少なくとも、
龍=罔象 とは考えていません。
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どちらも水に属する怪異ではある。
けれど、
龍
と
罔象
という二つの名前を使い分けています。
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後世の注釈では、龍は神獣として説明される一方、罔象については「人を食う」とする説まで記されています。
さらに『荘子』の古注系統では、罔象について、
小児のような姿
赤黒い色
赤い爪
大きな耳
長い腕
とする記述も残されています。
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後世になるほど妖怪らしい姿が具体化していきますが、少なくとも、
大きな龍神と同じ存在ではなさそうだ
ということは見えてきます。
同じ「水」に属していても、
龍系の水霊
と
罔象系の水霊
は、もともと別のものとして認識されていた可能性があります。
「罔象」はなぜこの漢字なのか
では、そもそもなぜ「罔象」という字なのでしょうか。
ここが一番気になったところです。
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「罔」は「網」の意味だけではありません。
古くは無・ないという意味でも使われます。
そして「象」には、動物のゾウ以外に、
形・姿・かたちとして現れたもの
という意味があります。
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古い注釈には、罔兩や罔象について、
夔や龍の形があるように見えるが、実体がない
という説明があります。
この解釈に従えば、
罔=無い
象=形・姿
として、
「形があるようで、実体のないもの」
という意味が見えてきます。
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これは、水の中に潜む、姿の定まらない精怪としての罔象にはよく合います。
ただし、これをそのまま「罔象という名の語源」と断定するのは難しそうです。
『荘子』では異本に「無傷」という表記もあります。
現代中国語では、罔象は「ワンシアン(wǎng xiàng)」、無傷は「ウーシャン(wú shāng)」に近く、現在の発音だけを見ると、あまり似ているようには感じません。
ただし、古代中国語では現在とは発音が大きく異なっていたため、こうした異表記が残っていることから、
「罔象」という漢字の意味から名前が生まれたのではなく、先に何らかの呼び名があり、それに複数の漢字が当てられていた可能性も考えられています。
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つまり、罔象=「罔」と「象」の意味を組み合わせて作られた名前とは限らない、ということです。
「罔象」という二字から名前が生まれた
というより、
もともと存在した水怪名に「罔象」という字が当てられ、その字から「形なきもの」という解釈も生まれた
可能性があります。
このあたりは、まだ一つに決めきれません。
ただ、
「罔=網」「象=ゾウ」ではない
ことだけは、かなりはっきりしています。
「水の神」と一括りにすると見えなくなるもの
ここで、日本のミズハノメに戻ります。
ミズハノメは「水の神」と説明されることが多い神です。
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瀬織津姫もまた、水と深く関係する神として語られます。
そのため、両者が同一視されることもあります。
けれど、中国側で「罔象」という語を確認すると、少し見え方が変わります。
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罔象は、龍とは別に名前を持つ水霊だった。
それなら、日本側でも、
すべての水神を同じものとして考える必要はない
のではないでしょうか。
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以前の記事では、瀬織津姫を、
祓いの中で水を流し、運ぶ役割を持つ神
として読みました。
一方ミズハノメには、
湧く水、水源、水そのものが存在し続けること
に近い印象があります。
瀬織津姫とミズハノメは、何が違うのか|「祓う水」と「めぐる水」を、役割から読む
そこへ今回の「龍と罔象は別」という中国側の分類を重ねてみると、
瀬織津姫とミズハノメも、もともと異なる種類の水の力を表していたのではないか
という疑問が出てきます。
水を動かす存在と、水に宿る存在
ここからは、私自身の考察です。
中国の龍は、後世になるほど、
水を支配する
雨を降らせる
川や海を動かす
といった、主体的な水神・神獣としての性格を強めていきます。
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一方の罔象は、
水有罔象
水生罔象
と表現されます。
「水を支配する」というより、
水に存在する
水から生じる
存在です。
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この違いを単純化すると、
龍=水を動かす側
罔象=水に宿る側
と見ることもできます。
もちろん、中国の龍と日本の瀬織津姫をそのまま一対一で対応させることはできません。
ただ、瀬織津姫が後世に龍神と結びつけられ、水を流し運ぶ神として理解される一方で、ミズハノメには「罔象」という、龍とは別種の水霊を表す漢字が与えられています。
この書き分けは、かなり気になります。
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もし『日本書紀』の編者が「罔象」という中国語の意味を理解したうえでミズハノメに当てているのなら、
ミズハノメを、龍型の水神とは違う存在として認識していた
可能性も考えてみたくなります。
瀬織津姫とミズハノメは、同じ「水」でも別の役割だったのではないか
瀬織津姫とミズハノメが後世に重ねられていくこと自体は、不思議ではありません。
どちらも水に関わる女性神だからです。
しかし、
水に関わる=同じ神
とは限りません。
中国古典の中ですら、
龍
と
罔象
は同じ水界に属しながら、別の名前を持つ存在でした。
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そう考えると、日本の水神にも、
水を動かす神
水を支配する神
水に宿る神
水そのものを表す神
といった複数の系統があったとしても不思議ではありません。
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私自身、以前から瀬織津姫とミズハノメを同じ「水の女神」として並べたときに、どうしても役割が重ならないことが気になっていました。
今回「罔象」という中国側の存在を調べたことで、
そもそも同じ役割の神として考える必要がなかったのではないか
という方向に、少し考えが進みました。
まとめ|「罔象女」という字は、水神の違いを残しているのかもしれない
ミズハノメの「罔象女」という表記を調べると、単なる難しい当て字ではなく、その背後に中国古代の水霊観が見えてきます。
罔象は、中国古典では水の精・水怪として語られました。
そして『国語』では、
「水の怪には龍と罔象がいる」
と、龍とは別の存在として並べられています。
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また、「罔象」という字については、
形があるようで実体のないもの
という古い解釈も残されています。
『日本書紀』がミズハノメに、この「罔象」を当てたことには、何らかの意味があったのではないでしょうか。
瀬織津姫とミズハノメ。
どちらも水に関わる神ではあります。
けれど、
水を動かす存在
と
水に宿る存在
は、もともと同じものではなかったのかもしれません。
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少なくとも「水の女神だから同じ神」とまとめてしまう前に、
なぜ一方には「罔象」という、龍とは別の水霊を表す字が与えられたのか。
そこは、もう少し丁寧に読んでおきたいと思います。
参考資料
・國學院大學 古典文化学事業「弥都波能売神」
・中國哲學書電子化計劃『國語・魯語下』
・中國哲學書電子化計劃『荘子・達生』
・森賀一惠「訓讀説文解字注(十六)」富山大学