「コシ族→ヒ族→キ族・アマ族→天孫」という古い民族層の話。
今回は最後に登場する天孫族について、この説の中での位置づけを整理しておく。
コシ族
↓
ヒ族
↓
キ族
↓
天孫族
この四層の中では、天孫族が最も新しい層になる。
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天孫族は最後に登場する集団
この説では、天孫族が日本列島へ入る以前から、すでに複数の勢力交代があったと考えられている。
まず、
コシ族
が存在し、その後、
ヒ族
が広がり、さらに、
キ族
が進出する。
そしてキ族系と推測される出雲族が列島の有力勢力となった後に登場するのが、
天孫族
という順番になる。
「天孫族以前」にすでに歴史がある
この説で面白いのは、天孫降臨を日本列島の歴史の始まりとしないこと。
天孫族が来るよりも前に、
コシ族の時代
↓
ヒ族の時代
↓
キ族・出雲族の時代
という長い前史が存在したと考える。
つまり天孫族は、
何もない土地へ初めて入った開拓者
ではなく、
すでに複数の古い勢力が存在する日本列島へ後から入ってきた新しい勢力
という位置づけになる。
天孫族の直前にはキ族・出雲族
佐治芳彦が紹介する松岡説では、
ヒ族を東北へ押し、天孫民族が渡来するまで日本列島を支配していた出雲族は、キ族系だったのではないか
と考えられている。
この説に従えば、
キ族系・出雲族
↓
天孫族
が直接の前後関係になる。
記紀に描かれる国譲りも、この民族層モデルに重ねれば、
旧勢力である出雲側
↓
新勢力である天孫側
への交代として見ることができる。
日高見国との関係
佐治芳彦の日高見国論では、天孫民族が渡来する以前には、日高見国の領域が日本列島全体にまで広がっていた可能性も考えられている。
その後、新しい勢力が広がるにつれて、日高見国は次第に東へ押され、
東国
↓
関東
↓
東北
↓
北上川流域
へと縮小していった、とする。
この見方では、天孫族の登場は単に新しい王が現れたという話ではなく、
日本列島の古い勢力図そのものが大きく組み替えられた出来事
として捉えられる。
新しい支配者が古い「日高」を名乗る?
さらに佐治芳彦は、『古事記』の日向三代に、
天津日高日子
という名が付いていることにも注目している。
日高見国が古い先住勢力の国だったとすれば、後からその土地を支配した側が、
「自分たちこそ日高見国の正統な支配者である」
と示すために、「日高」という名称を取り込んだ可能性を考えている。
この説ではつまり、
古い勢力を完全に消すのではなく、その権威や名称を新しい支配者が継承する
という支配の形まで想定されている。
この説における天孫族の位置づけ
まとめると、
・四つの民族層の中では最も新しい
・すでに複数の古い勢力が存在する列島へ後から登場する
・直前の有力勢力はキ族系と推測される出雲族
・天孫族の登場によって旧来の勢力図が大きく変化する
・古い日高見の権威を取り込んだ可能性まで考えられている
という位置づけになる。
全体の順番は、
【より古い】
コシ族
↓
ヒ族
↓
キ族
↓
天孫族 ← ここ
【より新しい】
となる。
4つを並べると
この説での役割を一言ずつにすると、
コシ族
=ヒ族よりさらに前にいた最古層
↓
ヒ族
=日高見国を担った古い先住層
↓
キ族
=ヒ族を押し、出雲族にもつながるとされる後来層
↓
天孫族
=キ族・出雲族より後に登場した新しい支配層
という整理になる。
重要なのは、どれか一つを「日本の先住民」と固定するのではなく、
それぞれが前の集団に対しては後来者となり、次の集団に対しては先住者になる
という重層構造で見ることだと思う。
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