五瀬命の「五」は「呉(ゴ)」につながる?
<参考>
・塚田敬章氏「縄文の逆襲1」
・塚田敬章氏「縄文の逆襲2」
・塚田敬章氏「男神社と男之水門(泉南市)」
<関連記事
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五瀬命の「五」は「呉(ゴ)」なのか?
塚田敬章氏は「縄文の逆襲1」で、
神武天皇の長兄・五瀬命
について、
「五瀬命(=ゴ)」
と書いている。
さらに、高千穂を流れる
五ヶ瀬川(ゴカセガワ)
の「五」も同じ材料として取り上げている。
塚田氏は、高千穂にいた大和朝廷の祖先を縄文系と考え、
そこへ弥生時代に
韓人=呉人
の稲作文化が入ってきたことで、
両者が融合して一つの文化圏を作ったと見ている。
その痕跡として、
五瀬命=ゴ
五ヶ瀬川=ゴカセ
という「ゴ」の音を挙げている。
高千穂には「呉人」の文化が入っていた?
塚田氏は『日向国風土記』の高千穂伝承にも注目している。
ニニギが高千穂へ降った際、
大鉏(おおくわ)・小鉏(をくわ)という土蜘蛛
が稲籾を撒くことを進言し、
それによって土地が明るく開けたという伝承がある。
塚田氏は、この土蜘蛛を
稲作を伝えた韓人=呉人
と解釈している。
つまり塚田説では、
高千穂の縄文系集団
+
呉人の稲作文化
↓
融合した文化圏
が形成されたことになる。
そのため、
五瀬命の「五」=ゴ
という名前にも、
呉人との融合の記憶が残っているのではないか、
と考えている。
五瀬命の死にも「呉人の国」の記憶?
塚田氏はさらに、
五瀬命が神武東征の途中で死亡する伝承
そのものにも、
別の古い歴史が組み込まれていると考えている。
「縄文の逆襲2」では、
五瀬命の死について、
2世紀の倭国大乱の際、難波にあった古い呉人の国が滅んだ記憶
が取り込まれているとしている。
塚田説では、
難波を支配していた呉人が、
漢人・秦人の連合勢力
と戦って敗北。
重傷を負ったその首長が、
泉南の男之水門付近まで逃れ、
そこで死亡したという歴史を、
五瀬命の死
として記紀が取り込んだと見る。
五瀬命の陵墓が紀伊にあることも重要
五瀬命は、
紀伊の竈山
に葬られたとされる。
塚田氏は、
五瀬命の陵墓が紀伊にあること
から、
紀伊にも古い呉人系の有力勢力が存在していたと考えている。
さらに竈山神社について、
最も古い呉系(系姫氏・韓人韓人)の神社かもしれない
ともしている。
つまり、
五瀬命
↓
五=ゴ
↓
呉
という「名前」のつながりだけではなく、
高千穂
難波
紀伊・竈山
という五瀬命伝承の舞台そのものにも、
塚田氏は呉人の痕跡を見ている。
今のところの整理
塚田説では、
高千穂の大和朝廷祖先
→ 縄文系
そこへ、
韓人=呉人
→ 稲作などの弥生文化をもたらす
ことで融合が進む。
その痕跡として、
五瀬命(五=ゴ)
五ヶ瀬川(ゴカセ)
という名前が残った可能性を見る。
さらに、
五瀬命の死
には、
倭国大乱で滅んだ古い呉人王国の記憶
まで重ねられていると考えている。
つまり五瀬命は、
単純に「縄文系大和朝廷の王族の一人」というだけではなく、
縄文系王統と、先に日本へ入っていた呉人との融合・抗争の記憶を背負った人物
として描かれていることになる。
参考
・塚田敬章氏「縄文の逆襲1」
五瀬命(=ゴ)、五ヶ瀬川、高千穂の縄文系集団と呉人文化の融合について。
・塚田敬章氏「縄文の逆襲2」
五瀬命の死を、倭国大乱で古い呉人の国が滅んだ記憶とする説。
・塚田敬章氏「男神社と男之水門(泉南市)」
五瀬命の死、難波の呉人勢力、紀伊・竈山とのつながりについて。

