文・漢人は出雲へ行く前に北九州で何をしていた?|不弥国成立まで(塚田敬章説)

出雲へ入り、大国主系の勢力につながっていく文・漢人(ぶん・かんじん)は、塚田敬章氏の説では、最初から出雲へ来たわけではない。

まず百済から北九州へ渡来し、現在の福岡県宗像地域を中心に勢力を築いていたという。

今回は、文・漢人が出雲へ移動する前の北九州での動きだけを簡単に整理しておく。

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紀元80年前後|文・漢人が北九州へ渡来

塚田氏は、文・漢人の列島への本格的な渡来を 紀元80年前後 に置いている。

百済から北九州へ渡ってきた文・漢人は、すでにこの地域にいた秦系の 宗像氏 と関係を結び、

津屋崎(現在の福岡県 福津市周辺)

に拠点を築いたとする。

塚田氏はこれを単なる協力関係ではなく、互いの娘を娶る婚姻同盟だったと考えている。

つまり、

文・漢人
+
宗像氏

という連合勢力が北九州に成立したことになる。

津屋崎を拠点に文・漢人が増えていく

宗像氏との同盟によって拠点を得た文・漢人は、その後も続々と海を渡って北九州へ入ってきたという。

これを警戒したのが、福岡平野周辺に大きな勢力を持っていた 奴国 だった。

塚田氏は、

奴国側 が 文・漢人 と宗像氏の勢力拡大を恐れ、先に攻撃を仕掛けた

と考えている。

そして、この争いを津屋崎の楯崎神社に残る伝承と結びつけている。

<楯崎神社:祭神>
・大己貴神
・綿津見神
・少彦名神

【楯崎神社の伝承】
昔、この地に「夷エビスの鬼神」=外敵(=奴国)が攻め込んできた。

・

そこで、大己貴神(オオナムヂ)と胸方姫大神(宗像の神)が自ら神軍を率いて戦い、外敵を討ち滅ぼした。

・

そのとき 楯を立てて戦った場所なので「楯崎」と呼ばれるようになった、という伝承。

・

現在の福岡県公式観光サイトでも、「(大己貴神・綿津見神・少彦名神 の)三神 が宗像の神とともに楯を立て、鼓を鳴らして戦い、外敵の侵入を防いだ」と紹介されている。

紀元106年頃|奴国との戦いに勝利

塚田氏の推定では、この戦いが起きたのは紀元106年頃。

結果は、

文・漢氏+宗像氏 連合の勝利

だったとする。

・
・

ただし奴国は、紀元57年 に後漢から「漢委奴国王」の金印を与えられた国だった。

そのため塚田氏は、翌107年に後漢へ使者を送った「倭面土国王帥升」を 文・漢人側 の王と考え、

奴国 との戦争について後漢へ説明し、調停を求めた出来事だったのではないか

と解釈している

紀元107年頃|不弥国が成立する

塚田氏は、この争いのあと奴国そのものは復活した一方、

宗像郡沿岸に文・漢人の国が正式に認められた

と考えている。

それが、

である。

塚田氏は 不弥国 を

漢人=文人の国

と位置づけている。

・
・

この頃の勢力範囲は、まず

津屋崎
↓
福間周辺

あたりの宗像郡沿岸部だったと推定する。

さらに倭国大乱後には南へ勢力を伸ばし、現在の新宮町 付近まで広がったと考えている。

それでも九州全体へは広がれなかった

つまり、文・漢人は北九州で失敗したわけではない。

むしろ、

宗像氏と同盟
↓
津屋崎
に拠点
↓
奴国 との戦争に勝利
↓
不弥国 
を成立

と、一定の勢力を築いている。

ただし、その後さらに九州で大きく勢力圏を広げることは難しかった。

・
・

そこで塚田氏は、

九州での勢力拡大をあきらめた 文・漢人 の一部が、日本海を渡って出雲へ向かった

と考えている。

その行き先(出雲)には、すでに 同族の 辰韓人=越人※a が国を作っていたという。

この続きが、塚田説における出雲 の大国主勢力の形成へつながっていく。

<補足>
※a:
八束水御神角ヤツカオミヅヌ命 など
以下の①の時期(先発)で日本に来た 越人

(越人が日本へ来た時期)

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・呉人・呉系楚人・越人はいつ日本へ来た?|渡来時期(塚田敬章)

北九州での動きを簡単にまとめると

紀元80年前後
百済から文・漢人が北九州へ渡来

・

(※後発の越人)

↓

宗像氏と婚姻・同盟

↓

津屋崎に拠点を築く

↓

文・漢人がさらに渡来し勢力拡大

↓

紀元106年頃
奴国が先制攻撃
→ 文・漢人+宗像氏連合が勝利

↓

紀元107年頃
帥升が後漢へ遣使
→ 塚田氏は戦後処理・調停と解釈

↓

不弥国成立
宗像郡沿岸を中心とした文・漢人の国

↓

九州でのさらなる勢力拡大は難しくなる

↓

一部が 出雲 へ移動

(※ 出雲では先発越系の「オミズヌ」がいた)

参考

・塚田敬章「弥生の興亡、3 帰化人の真実、3」

文・漢人と宗像氏の同盟、津屋崎への進出、奴国との戦い、不弥国成立、出雲への移動について。

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