東鯷人についての備忘録メモ。
「呉系の楚人」の東鯷人を含む、呉人・倭人・韓人は同じ系統だったのか?
<関連記事>
・東鯷人(トウテイジン)とは?いつ渡来していつ消えた?
・東鯷人(トウテイジン)は呉系楚人?
・「東鯷人」についての記事一覧
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目次
呉人・倭人・韓人は同じ系統だった?「呉系楚人」と東鯷人の話
塚田敬章氏の古代史レポートを読んでいて、気になったのが、
呉人=倭人=韓人(カラヒト)という整理。
この辺についてまとめます。
塚田説では「呉人=倭人=韓人」
現在の感覚では「韓人」と書かれていると、朝鮮半島の人、特に百済人や新羅人を思い浮かべてしまう。
しかし塚田説では、そういう意味では使われていない。
塚田氏は、
呉人
= 倭人
= 汗人
= 韓人
= カラヒト
という同系統の集団として整理している。
呉人は呉滅亡後、朝鮮半島や日本へ移動した?
呉が越に滅ぼされたのは紀元前473年。
塚田説では、その後、越との同化を拒んだ呉人の一部が移動したと考える。
大まかな流れは、
呉
↓ 紀元前473年、呉滅亡
↓
呉人の一部が東方へ移動
↓ 朝鮮半島
↓ 日本列島
というもの。
そして、この系統の人々が中国史書に登場する「倭人」であり、日本側では奴国・末盧国などを形成したと考えている。
つまり塚田説では、
先発の呉人系渡来集団
=倭人
= 韓人(カラヒト)
ということになる。
なぜ「倭人」が「韓人」なのか?
ここでいう「韓人」は、
百済人・新羅人という意味の「韓国の人」ではない。
塚田氏は「韓人」をカラヒトと読み、
呉人=倭人=汗人=韓人
という古い集団名・呼称のつながりとして考えている。
(「汗人」って何やねん?!っていう疑問はあって。ちょっと調べたら、色々面白そうではあったんだけど。
ここで横道にそれると帰ってこれなくなるので、ひとまず置いておきます!
また調べて繋げます→自分への備忘録★)
つまり、
「韓」という漢字から民族を判断するのではなく、「カラ」という呼び名の方を見る
という考え方。
古代日本では「から」に、
韓・漢・唐
など複数の漢字が当てられている。
そのため「韓人」と書かれているからといって、必ずしも現在の意味での「韓国人」と同じ範囲を指すとは限らない。
呉人系と呉系楚人系は別
塚田説では、ここからさらに二つの渡来集団を分けている。
先発:呉人系
呉人
↓ 韓人・倭人
↓ 呉奴国・末盧国など
後発:呉系楚人系
呉人の一部が楚へ入る
↓ 呉系楚人
↓ 堂谿氏
↓ 東鯷人
↓ 伊都国・狗奴国など
同じ「呉」の文化を基層に持っていても、
先に渡来した呉人系=倭人
と、
後から渡来した呉系楚人系=東鯷人
を別グループとして考えている。


『消された南の島の物語』の「サカ人」と似た移動経路
ここで思い出すのが、『消された南の島の物語』に出てくるサカ人の話。
同書では、
「ヒラサカ」という言葉において、「坂」を「サカ」と発音する部族と「ヒラ」という部族(琉球系)がいたと説いたとし、それぞれを仮に「サカ族」「ヒラ族」とよんでいる。
<参考>
・消された南の島の物語|黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)の謎
そして、
大陸
↓ 朝鮮半島
↓ 日本列島
という経路で入ってきた集団が想定され、その系統にイザナギも置かれている。
これは塚田説の、
呉
↓ 朝鮮半島
↓ 日本列島
↓ 倭人・韓人(カラヒト)
という移動経路とよく似ている。
現時点では、
塚田説の呉人=『消された南の島の物語』のサカ人
と同一視するのではなく、
「大陸から朝鮮半島を経由して列島へ入った古い渡来集団」という共通した構図
としてメモしておく。
今後、サカ・カラ・倭・呉・イザナギ周辺の情報が別のところからつながるか確認したい。
参考:塚田敬章氏の記事
・魏志倭人伝から見える日本5
呉人=汗(干)人=韓人=倭人という整理と、呉滅亡後の移動について。
・中国・朝鮮史から見える日本3
カラ人=呉人=倭人=汗人=韓人という整理、カラ人の移動について。
・中国・朝鮮史から見える日本4
韓人(汗人=倭人=呉人)と、呉系楚人などの系統分類。
・魏志韓伝(原文、和訳と解説)
呉滅亡後の呉人が朝鮮半島へ移動したとする塚田説について。
・堂谿氏(秦氏の源流)
先発の呉人とは別に、後発の呉系楚人=東鯷人を整理した記事。

