なぜ楓・蝶・水泡・卵・鳥なのか?|ミャオ族創世神話に見る生命の始まり

ミャオ族の創世神話『苗族古歌』を読んでいて、ずっと気になることがある。

なぜ、楓(フウ)の木 から、が生まれ、水泡 と恋愛して、卵 を産み、最後に、がその卵を孵すのだろう?

黔東南に伝わる『苗族古歌』では、

楓木

蝴蝶
媽媽

水泡
との婚姻

十二個の

鹡宇鳥セキウチョウ
による孵化

姜央キョウオウ・雷公・龍・牛・虎・蛇
などの誕生

という流れで世界の生命が生まれる。

一つずつ見ると不思議な組み合わせだけれど、

「生命はどこから来て、どうやってこの世界に現れるのか」

という視点で並べてみると、かなり一貫した構造が見えてくる。

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なぜ「木」から生命が始まるのか?

『苗族古歌』で最初に生命の源となるのが、

楓木(フウボク/楓香樹)

である。


黔東南の苗族社会では、(フウ)は単なる植物ではなく、

生命樹

祖先の木

氏族を守る木

として扱われてきた。


現在でも村の入口井戸などに古い楓を残し、子どもの誕生や病気、子孫繁栄を願って祈る例が報告されている。

家を建てる際にはを中柱に用い、

「枫树能生人」=楓は人を生む

と考える地域もある。


では、なぜ生命の起源が「」なのか。

まず大きいのは、

そのものが毎年、生命を再生する存在

であること。

冬に葉を落としても春には芽吹き、

枝を伸ばし、

花を咲かせ、

実や種を生む。

一本の木から、

無数の新しい生命が出てくる。

さらに大木は、

地下へ伸びる根

地上の幹

空へ伸びる枝

を持つ。

そのため世界各地で、

地下・地上・天空をつなぐ世界樹

として理解されやすい存在でもある。


ミャオ族楓木神話も、この一般的な「生命樹」のイメージとよく重なる。

ただし『苗族古歌』の場合はさらに具体的。

楓木が伐られると、

根・幹・葉・梢・樹皮・木片

が次々と別の生物へ変化する。

具体的にどこがどの生物へ変化するのか?は、地域によって微妙に異なるよう。

一例としては以下の通り。

<湘西・湖北系の
『苗族古歌・楓木歌』>
樹根
 → 泥鰌(ドジョウ)

樹株/切り株
 → 銅鼓:祭祀用具(楽器)

樹瘤/こぶ
 → 梟(フクロウ)

樹葉
 → 燕(ツバメ)

樹梢
 鹡宇鳥(セキウチョウ)

樹心/木の芯
 蝴蝶媽媽

<異伝>
鋸屑ノコクズ・木片
 → 魚の稚魚/魚

木屑
 → 蜂蜜/蜂

樹芽
 → 蛾


鳥、蝉、蜂、魚などがそこから生まれ、

の内部からは、

妹榜妹留メイパンメイリュウ=蝴蝶媽媽

が生まれる。


つまり楓木は、

「生命を生む木」

というより、

もともと内部にあらゆる生命を抱えている母体

として描かれている。

なぜ始祖母が「蝶」なのか?

楓木から生まれるのが、

妹榜妹留メイパンメイリュウ=蝴蝶媽媽

黔東南の苗族では、この蝴蝶媽媽が

人間・動物・神々の共通の始祖母

とされる。

現在でも蝶文様は刺繍や祭祀に残り、蝴蝶媽媽は祖先・守護・子孫繁栄と結びついている。

では、なぜなのか。


ここは『苗族古歌』そのものが理由を説明しているわけではない。

ただし、という生物を考えると、

生命・変化・再生

の象徴になりやすい特徴を持っている。

は、



幼虫



成虫

と、

まるで別の生き物のように姿を変える。

特に、

動かないの内部から、突然まったく違う姿のが現れる

という現象は、

生命の変身や再生を強く連想させる。

そして『苗族古歌』の蝴蝶媽媽自身も、

楓木の内部からへ現れる

存在である。

さらにその蝶が今度は、

十二個のを産み、新しい生命の母になる。

つまり、

の内部から生まれた生命

その生命がさらに次の生命を生む

という二段階の創生を担っている。


苗族文化の蝶文様が、

生命力・繁殖・祖先

と結びついていることを考えると、

は単なる美しい虫ではなく、

生命が姿を変えながら続いていく」ことを象徴する存在

として選ばれた可能性がありそう。

なぜ「水泡」と恋愛するのか?

蝴蝶媽媽が成長すると、

水泡

と「游方」して結ばれる。

「游方」とは、苗族の若者たちが歌を交わしながら恋愛相手を探す婚恋習俗

つまり神話の中でも、

水泡として恋愛し、結婚する

形で描かれている。


古歌では、

急流の浅瀬で出会い、
渦巻く深い潭で結ばれる

という情景まで歌われる。

ここで気になるのが、

なぜ相手が「人」でも「神」でもなく、水の泡なのか。

一番わかりやすいのは、

が生命に不可欠だから

ということ。


植物動物も、

なしでは生きられない。

楓木から生まれたという「生命」が、

と結びつくことで、

初めて次の生命を生む。

そう見ると、

=生命を生む側

水泡=生命を成立させる水の力

という組み合わせになる。


しかも「水泡」は面白い。

そのものではなく、

の中に一瞬現れる、丸い膜のようなもの

である。


古歌ではその後、

丸い卵

が十二個生まれる。

さらに苗族の渦巻文様「哥渦」についても、

蝴蝶媽媽水泡が結ばれた

漩水潭=渦巻く水場

や、生命誕生の場所との関係が論じられている。


そのため、

水泡

という、

水の中丸い生命が現れる」

イメージの連続も気になるところ。

「水泡」ではなく「風神」と結ばれるミャオ神話もある

ところが、

すべてのミャオ族の伝承で相手が水泡というわけではない。

貴州省黄平県に伝わる苗族の「古歌古詞」では、

枫树心

蝴蝶媽媽

風神と恋愛

十二個の卵

となっている。


つまり、

水泡型風神型も、どちらもミャオ族内部に存在する。

別民族の神話に置き換わったわけではなく、

地域・支系による異伝

と考えた方がよい。

では、なぜ「」なのか。

これも古歌自身が理由を説明しているわけではない。

ただ、

には共通点がある。


どちらも、

姿を固定して持たない

触れることはできる

生命に不可欠

植物や動物を動かす

という自然の力。

はさらに、

植物の花粉や種を運ぶ

存在でもある。

そのため、

という生命体目に見えない自然の力

が結ばれて生命を生む、

という構造自体は、

水泡型でも風神型でも共通しているように見える。


水泡を、

の生命力」

風神を、

「空気・の生命力」

と見るなら、

どちらも

自然そのものが生命の父側を担っている

神話と読むことができる。

水泡型と風神型について

水泡型は、主に貴州省黔東南の清水江流域に伝わる型。

風神型は、同じ黔東南でも黄平県に伝わる異伝として確認できる。

つまり、どちらもミャオ族の創世神話だが、地域ごとに父側の自然神が水泡/風神へ分かれている。

なぜ「卵」から人間も龍も雷公も生まれるのか?

蝴蝶媽媽は、

十二個の卵

を産む。

そこから生まれるのは、

人間だけではない。

姜央

雷公

など、

人・神・動物が同じ卵群から生まれる。

ここには、

「万物同源」

という苗族古歌の生命観が非常にはっきり現れている。

では、なぜ卵なのか。

卵は、

外から見るとただの丸い物体なのに、
内部から生命が現れる。

つまり人間にとって、

生命の発生を目で確認できる最もわかりやすい「容器」

の一つ。

しかも殻の内側では、

外から見えない状態で生命が成長している。

そのため、

まだ姿のない生命

殻の中で成長

殻を破って世界へ出現

という、

創世神話そのものを縮小したような構造を持っている。

実際、黔東南の苗族には現在でも、

卵=生殖力

という考え方が残っている。

祭橋で子宝を願う際には赤く染めた卵を供え、

「人類始祖は卵から生まれた」という古い卵生観と結びつけて説明されている。

つまり十二個の卵は、

単なる神話上の小道具ではなく、
生命そのものを包む象徴

だったと考えられる。

なぜ最後に「鳥」が生命を孵すのか?

そして十二個の卵を孵すのが、

鹡宇鳥(セキウチョウ)

と漢字表記される神鳥。

ただし、

鹡宇鳥=現代のセキレイ

とまでは確認できない。

苗語では「继伟」などと記される神鳥で、

漢字表記にも揺れがあるため、

特定の実在種に固定しない方がよさそう

重要なのは、

なぜ鳥なのか

ということ。

これはかなりわかりやすい。

蝶は卵を産むが、

鳥のように卵を抱いて孵化させない。

一方、鳥は、

卵を抱く

温める

殻の中の生命を育てる

孵化させる

という行動を、人間の目の前で行う。

つまり鳥は、

生命を「産む」存在ではなく、
まだ見えない生命を現世へ送り出す存在

として非常にわかりやすい。

『苗族古歌』でも、

蝴蝶媽媽=産卵

鹡宇鳥=抱卵・孵化

という役割が明確に分けられている。

さらに苗族には、

鳥が天地そのものを孵した

という別の創世歌もある。

古歌『開天辟地』では、もともと小さかった天地を巨大な鳥が抱き孵し、現在の大きさになったとする伝承が紹介されている。

つまり苗族神話では、

鳥=卵を孵す生物

という日常観察から一歩進んで、

世界そのものを育て、完成させる存在

になっている。

鹡宇鳥が人類と万物を孵化させるのも、

この大きな「鳥=生命を孵す」という思想の中にあるように見える。

五つを並べると「生命誕生の工程」になる

こうして、

木・蝶・水/風・卵・鳥

を順番に並べると、

かなりきれいな役割分担になっている。

楓木
→ あらゆる生命を内部に抱える母体


→ 木から生まれ、次の生命を産む始祖母

水泡/風神
→ 蝶と結びつく自然の生命力


→ まだ姿を現していない生命を包む器

鹡宇鳥
→ 卵の中の生命を育て、この世界へ送り出す存在

そして、



生命

水・風との結合



孵化

人・神・動物

という流れになる。

これは、

神が突然、人間だけを作った

というタイプの創世神話とはかなり違う。

植物も、

昆虫も、

水も、

風も、

鳥も、

人間も、

龍も、

虎も、

すべてが同じ生命の連鎖の中にある。

だから『苗族古歌』で言われる

「万物同源」

という言葉が、ここではかなり具体的に見えてくる。

「なぜこの五つなのか?」の今のところのメモ

今のところ、


→ 毎年再生し、枝葉・種を生み、実際の苗族社会でも生命樹・祖先樹として扱われる


→ 始祖母・生殖・子孫繁栄の象徴
→ 木の内部から姿を変えて現れる生命という点も気になる

水泡
→ 生命に不可欠な水
→ 渦・水泡・卵という「丸い生命空間」の連続も見える

風神
→ 黄平などミャオ族内部の異伝
→ 水と同じく、姿を持たない自然の生命力として父側に置かれた可能性


→ 見えない生命を内部で育てる「生命の器」
→ 現在の苗族の子宝祈願にも生殖力の象徴として残る

鹡宇鳥
→ 卵を抱いて生命を完成させる存在
→ 苗族神話では天地を鳥が孵す型まで存在する

というところ。

「なぜ楓なのか」
「なぜ蝶なのか」
「なぜ水泡なのか」
「なぜ卵なのか」
「なぜ鳥なのか」

を別々に見るより、

それぞれが生命誕生の別の工程を担当している

と考えると、この不思議な創世神話がかなり理解しやすくなる。

『苗族古歌』は、

生命は一人の神によって作られるのではなく、
木・虫・水・風・卵・鳥といった自然界全体の働きによって生まれる

という世界観を残しているのかもしれない。

参考資料

・『苗族古歌』「枫木歌」「妹榜妹留」「十二个蛋」
・中国非物質文化遺産網「清水江中上游苗族刺绣文化基因的形成机制」
・貴州省博物館「苗族破線繍“蝴蝶媽媽”袖片」
・貴州非物質文化遺産網「苗族“古歌古詞”神話(黄平)」
・貴州数字出版云村寨「論苗族服飾図案中所蘊含的古歌文化」
・貴州数字出版云村寨「論黔東南苗族“二月二”節日文化」
・貴州数字出版云村寨「文化解読:“哥渦”是個神秘的大圈圈」

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