源氏の守り神はなぜ八幡神なのか?|『鎌倉殿の13人』第8話から調べる

NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第8話を見ていて、源頼朝(佐殿スケドノ)のこんなセリフが気になった。

ここに源氏ゆかりの由比若宮をお移しする。
鶴岡八幡宮じゃ。
この丘の下に社殿を築く。
八幡神は源氏の守り神。
その威光をもって坂東をまとめ上げる。

由比若宮を移し、鶴岡八幡宮 を築くという場面。

「由比若宮」という名前も気になったのだけれど、まずは頼朝が語った「八幡神は源氏の守り神」という言葉について調べてみたい。

なぜ源氏は八幡神を信仰するようになったのだろう。

そもそも、八幡神は最初から武士の神様だったのだろうか。

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八幡神は源氏より古くから祀られていた

八幡信仰の重要な発祥地は、現在の大分県宇佐市にある宇佐神宮。

八幡神は、源氏が登場するよりもずっと前から信仰されていた。

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奈良時代には朝廷との関係を深め、国家的な祭祀にも関わるようになる。

現在の宇佐神宮では、

・八幡大神(応神天皇)
・比売大神
・神功皇后

を祀っている。

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ただし、

八幡神が最初から応神天皇として信仰されていたのか?

比売大神とはもともと何者だったのか?

…など、八幡信仰の成立には検討すべき問題が残っている。

源氏の守り神としての八幡神と、それ以前の宇佐の八幡神は、いったん分けて考えたい。

宇佐から石清水へ

859年、宇佐の八幡神が 京都の男山 に勧請された。

これが 石清水八幡宮 の成立につながる。

石清水八幡宮は朝廷から厚い崇敬を受け、国家鎮護の重要な神社となった。

後に 河内源氏 が特に重視するのも、この石清水八幡宮である。

つまり、八幡神は源氏によって初めて重要な神になったのではなく、すでに 国家的な権威を持っていた神を、源氏が氏神として厚く信仰するようになったという流れが見える。

河内源氏と八幡神


源頼朝の祖先にあたる源頼義は、八幡神を深く信仰していたことで知られる。

頼義は 奥州(陸奥国ムツノクニ)での 前九年の役 (※)に関わり、1063年には鎌倉の由比郷に石清水八幡宮の神を勧請したと伝えられる。

※前九年の役
陸奥国の豪族・安倍氏と陸奥国司の争いに端を発し、陸奥守兼鎮守府将軍・源頼義が出羽国の豪族・清原氏と結んで安倍氏を滅ぼす結果となった。

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また、翌1064年には河内の本拠地にも壺井八幡宮を祀り、壺井八幡宮の創建伝承につながっている。

頼義の子である源義家は、石清水八幡宮(京都)で元服したことから「八幡太郎義家」と呼ばれた。

この頃には、八幡神が河内源氏の氏神として重要な位置を占めていたことが分かる。

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ただし、源氏と八幡神の関係は頼義の代に突然始まったわけではない。

頼義の父・源頼信も八幡神を崇敬しており、1046年には応神天皇を祖先とする系譜意識を示した願文を奉納したと伝えられている。

・八幡神を氏神とする信仰
・応神天皇を自らの祖先に結び付ける意識

この二つが河内源氏の中でどのように重なっていったのかも、気になるところ。

頼朝と鶴岡八幡宮

1180年、鎌倉に入った源頼朝は、祖先の頼義が勧請したと伝わる八幡宮を現在の鶴岡八幡宮の地へ遷した。

その後、1191年には上宮・下宮を備えた構成が整えられた。

八幡神は、頼朝個人や源氏一族の守護神であるだけでなく、鎌倉の政治的・宗教的な中心を象徴する存在にもなっていく。

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ドラマで頼朝が語った、

「その威光をもって坂東をまとめ上げる」

という言葉は、まさにその役割を表現したものだと思う。

ただし、これはドラマのセリフであり、頼朝本人が実際にそう発言したと確認できるわけではない。

史料や神社の由緒から確認できるのは、頼朝が祖先ゆかりの八幡宮を遷し、鎌倉の中心的な祭祀拠点として整備したということ。

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なお、ドラマに登場した「由比若宮」という呼称 も気になるところ。

由比若宮は、なぜ「若宮」と呼ばれていたのだろう。また、頼朝による遷座で何が変わったのだろうか。

この点は別の記事で調べてみたい。

<関連記事>
・由比若宮はなぜ「若宮」なのか?|鶴岡八幡宮の成立と頼朝の遷座

源氏が祀っていたのは八幡神だけではない

ここで気になるのが、源義家の兄弟たちの呼び名。

義綱の「賀茂」は賀茂明神、義光の「新羅」は園城寺の新羅明神との関係で知られる。

同じ源氏の兄弟でも、八幡神以外の神仏との結び付きが見える。

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「源氏=八幡神」とまとめられていても、源氏の信仰が八幡神だけだったわけではない。

これは、今後ほかの氏族の祭祀を調べるときにも気を付けたい点だと思う。

奥州との関係も気になる

(関連記事:陸奥国=奥州)

今回、特に気になったのは、頼朝より前の頼義・義家が奥州と深く関わっていたこと。

八幡信仰が鎌倉に根付く経緯にも「前九年の役」が関係している。

つまり、源氏と奥州の関係は、義経の時代に突然始まったものではなかった。

ただし、奥州に八幡神を祀る神社があるからといって、すべてを源氏による勧請と考えることはできない。

今後は、奥州に残る八幡信仰のうち、源氏の活動と結び付くものと、それ以前から存在していた可能性のあるものを分けて調べたい。

まとめ

『鎌倉殿の13人』第8話の「八幡神は源氏の守り神」という言葉には、実際の歴史的背景があった。

八幡神はもともと宇佐を重要な拠点とする神であり、石清水八幡宮を経て、河内源氏の氏神として厚く信仰されるようになった。

そして、頼朝によって鎌倉の中心的な神社となったのが鶴岡八幡宮である。

ただし、八幡神そのものの成立と、源氏が八幡神を氏神とした歴史は別の問題。

源氏の信仰を調べることで、八幡神の古い姿まで分かるわけではない。

今後は、源氏以前の八幡信仰や、奥州との関係についても調べてみたい。

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参考

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