最近読んだ本や調べものの中で気になった古代の話を、自分の備忘録としてメモしていくシリーズです。
今回は、魚毒漁と瀬織津姫について。
琉球語の「ササ」を調べたところ、魚を捕るために水へ投入する魚毒と、そのササを用いた共同漁「ササイリ」が出てきた。
この魚毒漁の仕組みを見ていると、どうしても瀬織津姫の働きが重なって見える。
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目次
魚毒漁とは
魚毒漁とは、植物に含まれる成分を水中へ投入し、魚を麻痺させたり弱らせたりして捕獲する漁法である。
日本本土では、
・毒もみ
・毒流し
・根流し
・アメ流し
など、地域によって異なる名前で呼ばれてきた。
使用する植物も地域によって異なり、日本本土ではサンショウ、オニグルミ、エゴノキなど、琉球列島ではイジュ、モッコク、ルリハコベなどが使われた。
魚毒漁の基本的な構造は、
植物を採取する
↓
樹皮や葉、実、根などを叩く・搗く・揉む
↓
植物から出る成分を川や海へ流す
↓
水中の魚が麻痺して浮かび上がる
↓
浮いた魚を捕る
というものになる。
魚毒漁は琉球だけの漁法ではない
魚毒漁は、琉球列島だけに存在した特殊な漁法ではない。
宮城県では「毒もみ」、秋田県では「アメ流し」、福島県では「根流し」などと呼ばれ、東北地方を含む日本各地で行われていた。
さらに、中国南部・東南アジア・太平洋諸島・インド・アフリカ・南北アメリカにも類例がある。
盛口満氏の『魚毒植物』では、日本本土と琉球列島だけでなく、世界各地の魚毒植物や、魚毒漁の起源・伝播についても扱われている。
魚毒漁は、非常に古く広い文化だったようだ。
共同漁としてのササイリ
沖縄県読谷村では、魚毒を「ササ」、魚毒を水中へ入れる漁を「ササイリ」と呼んだ。
宇座では旧暦3月2日にササイリが行われ、字中の人々が石臼で搗いた魚毒植物を漁師のもとへ持ち寄った。
捕れた魚は、持ち寄った魚毒植物の量に応じて分配されたという。
したがって、ササイリは単なる漁ではなく、
・共同体で魚毒植物を集める
・共同体で加工する
・決められた日に水へ入れる
・捕れた魚を共同体で分ける
という、村落単位の行事だった。
魚毒漁と雨乞い
盛口満氏の『魚毒植物』には、日本本土の魚毒漁について、「魚毒漁と雨乞いとのかかわり」という項目がある。
魚を捕るという実用面だけでなく、川や雨、水の力に働きかける行為としても魚毒漁が行われていたことになる。
川へ魚毒を流すと、水面下にいた魚が次々と浮かび上がってくる。
これは古い人々の目には、
水中の異界へ植物を送り込む
↓
水界が反応する
↓
隠れていた生命が水面へ現れる
↓
人間が水界から魚を受け取る
という出来事にも見えたのではないだろうか。
琉球では「異世界への交信」でもあった
『魚毒植物』の琉球列島に関する章には、「異世界への交信手段としての魚毒漁」という項目もある。
魚毒漁は、川へ毒を流して魚を捕るだけの技術ではなく、水中の異界へ働きかける行為でもあったらしい。
水の中は、人間がそのまま暮らすことのできない世界である。
そこへ特別な植物を砕いて流し、水中の生命を地上へ浮上させる。
魚毒漁には、人間界と水界を一時的につなぐ祭祀のような性格があったのかもしれない。
瀬織津姫が大海原へ持ち出すもの
瀬織津姫は、『大祓詞』に登場する祓戸の神である。
『大祓詞』では、
高山の末 短山の末より
佐久那太理に落ち多岐つ
速川の瀬に坐す瀬織津比売と云ふ神
大海原に持ち出でなむ
と語られる。
山から勢いよく流れ落ちる早川の瀬にいる瀬織津姫が、祓われた罪や穢れを大海原へ運び出す。
瀬織津姫の働きを簡単に並べると、
山から水が流れ落ちる
↓
罪や穢れが川へ流される
↓
瀬織津姫が早川の瀬で受け取る
↓
川の流れに乗せる
↓
大海原へ持ち出す
となる。
水へ入れ、流し、浮かべ、海へ送る
魚毒漁と瀬織津姫を並べてみると、その構造がよく似ている。
【魚毒漁】
植物を水へ入れる
↓
川の流れによって魚へ作用する
↓
水中の魚が浮かび上がる
↓
使用した魚毒は下流へ流れていく
【瀬織津姫】
罪や穢れを水へ託す
↓
早川の瀬で受け取る
↓
川の流れによって下流へ運ぶ
↓
大海原へ持ち出す
どちらにも、
水へ入れる
流れによって作用させる
隠れていたものを表へ出す
最後は海へ送る
という動きがある。
「毒を祓う神」ではなく「毒を扱う神」だった?
現在の瀬織津姫は、罪や穢れを清める祓いの神として知られている。
しかし、その原像には、単に汚れを洗い流すだけでなく、
・水へ特別なものを投入する
・川の流れを利用する
・水中の生命を浮上させる
・水界と人間界をつなぐ
・作用を終えたものを海へ送り出す
という、より具体的な水辺の祭祀があったのかもしれない。
魚毒は危険なものである一方、適切に扱えば共同体へ食料をもたらす。
瀬織津姫もまた、荒々しい川の力を制御し、不要なものを海へ運び出す神である。
そのため瀬織津姫は、単なる浄化の神というより、水・毒・死・生命・再生の境界を扱う神だったとも考えられる。
ササを扱った水辺の集団
沖縄のササイリでは、魚毒植物の採取・加工・投入・魚の分配までが共同体によって管理されていた。
そこには、魚毒の量や使用場所、実施時期を判断する人々も必要だったはずである。
ササを知る人
↓
魚毒植物を採取・加工する人
↓
川や潮の流れを読む人
↓
水中へササを入れる人
↓
捕れた魚を共同体へ分配する人
こうした水辺の職能集団が、川の流れを司る女神を祀っていたとしても不思議ではない。
瀬織津姫を祀った古い集団の中に、ササを扱う人々がいた可能性も気になる。
まとめ
魚毒漁は、植物を砕いて水中へ投入し、川の流れによって魚へ作用させ、水面へ浮かび上がらせる漁法である。
日本本土では雨乞いとの関係があり、琉球列島では異世界との交信手段としての性格も指摘されている。
一方、瀬織津姫は、早川の瀬で流されたものを受け取り、大海原へ持ち出す神である。
魚毒を水へ流す
↓
水中の生命が浮かび上がる
↓
共同体が魚を受け取る
↓
残ったものは海へ流される
この一連の動きは、瀬織津姫の働きとよく似ている。
瀬織津姫の祓いの原像には、魚毒漁を含む、水へ働きかけて生命を受け取り、不要なものを海へ送る古い水辺の祭祀が残されているのかもしれない。
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