籠神社の旧祭神は彦火火出見命だった?|彦火明命と龍宮伝承の重なり

丹後の籠神社について調べていて気になったこと。

現在の主祭神は、

彦火明命(ヒコホアカリノミコト)とされている。

ところが、

旧祭神は彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)だったとする伝承もある。

しかも現在の籠神社では、この二神をかなり近い存在として扱っている。

なぜ別の神が重なっているのか?

気になったのでメモしておく。

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現在の主祭神は彦火明命

現在の籠神社では、

彦火明命

を主祭神としている。


籠神社の宮司家である

海部氏

の始祖神でもある。


籠神社公式サイトでも、

主祭神 彦火明命

とされ、

海部氏の祖神として説明されている。

火明命には、

火明命

天火明命

などの表記もあるが、

籠神社では、

「彦火明命」

という名前で祀られている。

以前は彦火火出見命を祀っていた?

ところが籠神社については、

旧祭神が彦火火出見命だった

とする伝承も紹介されている。

【補足】
彦火火出見については「」なのか?「」なのか?
が重要(?)だとされる話も見かけるがわからないので、別記事でメモしておきます。

<別記事>
彦火火出見尊と彦火火出見命は同じ?|「尊」と「命」の表記

籠神社では「彦火火出見」と記載されています。


伝えられる流れでは、

大化改新後に、
それまでの

与謝宮

から

籠宮

へと改めた際、

彦火火出見命

を祀ったとされる。


その後、

養老3年(719)

に現在地へ遷座した際、

海部氏によって、

彦火明命

を主祭神とする形になったという。


つまり伝承上は、

彦火火出見命

彦火明命

という祭神の変化があったことになる。

大化の改新のアレコレにより、祭神を「彦火火出見命」にせざるを得なかったのを、後の本来の祭神に戻したのか?

逆に、本来の祭神を祀っていたところ、その時の情勢で「彦火明命」にせざるを得なくなったのか?

理由は不明ですが、何かしらの意図があって代えたんでしょう。

彦火明命と彦火火出見命は、本来は別の神

ここが気になる。

一般的な記紀の系譜では、

火明命

と、

彦火火出見尊

は別の神として扱われている。

彦火火出見尊は、

火遠理命(ホオリノミコト)

とも呼ばれる、

いわゆる

山幸彦

ニニギの子として登場し、

海神の宮へ行き、
豊玉姫と出会う人物として知られている。

一方の火明命は、

一般には別系統の神として系譜に置かれている。

つまり、

彦火明命

彦火火出見命

というのが、
記紀をそのまま読んだ場合の基本的な整理になる。

ところが籠神社では二神が重ねられている

ところが籠神社の公式由緒を見ると、

彦火明命について、

彦火火出見命とも呼ばれる

という形で説明されている。

つまり籠神社では、

彦火明命

彦火火出見命

として扱われていることになる。

これがかなり面白い。

旧祭神として彦火火出見命を伝える話があり、

現在の主祭神は彦火明命。

そして現在の由緒では、

二神を別名関係としてまとめている。

単純に、

古い神を捨てて、新しい神へ変更した

という話ではないようにも見える。

彦火明命も「海神の宮へ行く」

さらに気になるのが、
籠神社に伝わる彦火明命の物語。

籠神社の由緒では、

彦火明命が籠船に乗り、
海神の宮へ行った

という伝承が語られている。

そして、この

籠船

が、

籠宮

という社名にもつながるとされている。

ここで思い出すのが、

彦火火出見命=山幸彦

の話。

山幸彦も、

海神の宮へ行く人物

つまり、

彦火火出見命

海神宮へ行く

という物語と、

彦火明命

籠船で海神の宮へ行く

という物語が、

かなり似ている。

名前だけでなく、

物語そのものまで重なっている

ことになる。

祭神が入れ替わったのではなく、伝承が統合された?

もし、

旧祭神=彦火火出見命

から、

主祭神=彦火明命

へ変化したという伝承があるのなら、

なぜ現在は、

彦火明命=彦火火出見命

のように説明されるのか。

ここから、

単純な

祭神の変更

ではなく、

古くから丹後にあった海神宮伝承を、
海部氏の祖神・彦火明命へ統合した

という可能性も気になってくる。

つまり、

古い彦火火出見命系の伝承

を消したのではなく、

彦火明命という祖神の中へ取り込んだ

ようにも見える。

その結果、

彦火明命なのに、
彦火火出見命と同じように海神宮へ行く

という現在の伝承になったのかもしれない。

丹後には浦島子の伝承もある

ここでさらに気になるのが、

浦島子

丹後は、
浦島伝説の非常に古い伝承地でもある。

『丹後国風土記』逸文には、

浦嶋子

が海の向こうの異界へ行く物語が残されている。

後世の、

浦島太郎が竜宮城へ行く話

につながる伝承。

すると丹後には、

彦火火出見命
=海神宮へ行く

彦火明命
=籠船で海神の宮へ行く

浦島子
=海の向こうの異界へ行く

という、

よく似た構造の物語が重なっている。

椎根津彦も浦島子と結びつけられる

さらに、

椎根津彦

についても気になる。

椎根津彦は、
神武東征の際に海上で現れ、

神武を案内する人物。

海人系の人物として見られることが多く、

その姿や伝承から、

浦島子との関連

を考える説もある。

すると丹後周辺には、

彦火明命

彦火火出見命

浦島子

椎根津彦

と、

海とこちら側を往来する人物

が何人も重なってくる。

単なる偶然なのか。

それとも、

丹後の海人集団が持っていた古い「海の異界」伝承

が、

時代や氏族によって、

別々の人物名で語られるようになったのか。

ここも気になる。

「彦」という名前も共通する

もう一つ、
名前の面で気になることがある。

籠神社の現在の祭神は、

彦火明命

旧祭神とされるのは、

彦火火出見命

どちらにも、

「彦」

が付いている。

この「彦」は、

日子

とも書かれる。

丹波・丹後周辺を調べていると、

彦坐王(日子坐王)

も登場する。

さらに神武東征では、

彦五瀬命

もいる。

もちろん「彦」は古代の男性名に広く使われるため、

彦が付く=同族

という話ではない。

それでも、

彦火明命

彦火火出見命

彦坐王

彦五瀬命

と、

今追っている人物たちに、

彦/日子

が繰り返し現れることは、
名前の手掛かりとして覚えておきたい。

彦火明命という神の中に、何が重なっているのか?

今のところ、
一番気になっているのは、

現在の籠神社の彦火明命が、
本当に最初から現在と同じ形の「彦火明命」だったのか

ということ。

旧祭神として、

彦火火出見命

が伝えられ、

現在は、

彦火明命

を祀る。

そして二神は、

別名関係

として説明され、

どちらにも、

海神の宮へ行く物語

がある。

さらに丹後には、

浦島子

という同じ構造の異界訪問伝承まで残っている。

すると、

彦火明命

という一柱の神の中に、

もともと丹後の海人集団が持っていた、

海神

龍宮

常世

海の向こうの異界

といった複数の古い伝承が、
後から重ねられている可能性も考えたくなる。

籠神社の祭神の変化は、

単なる祭神名の問題ではなく、

丹後の古い海人勢力の系譜や伝承が、
どのように整理されていったのか

を見る手掛かりになるのかもしれない。

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