塚田敬章氏のサイト(古代史レポート)に書かれていた「ポツォ」という言葉。
塚田氏は、現在の白族(ペー族)につながる人々について、古い資料に記録された自称「ポツォ」を紹介し、この音が日本へ伝わる中で、
ポツォ → ホツ → ホト
のように転訛した可能性を考えている。
そもそも「ポツォ」と自称していたのは、どのような人々だったのか?
調べてみると、H.R.デーヴィスが19世紀末の雲南・大理周辺で記録した、
中国人から「民家(ミンチャ)」と呼ばれていた人々
が、自分たちをPe-tsö(ポツォ)と呼んでいたことが分かった。
そして、この人々は現在では白族(ペー族)につながる集団として整理されている。
では、
民家
Pe-tsö(ポツォ)
白族
とは、いったいどのような関係なのだろう。
また、ポツォとはもともと何を意味する言葉だったのだろうか?
<関連記事>
・「塚田敬章」についての記事一覧
・「ミンチャ族(ペー族)」についての記事一覧
・「民族・部族」についての記事一覧
目次
塚田氏がいう『雲南』とは?
塚田氏が「ポツォ」の典拠として挙げている『雲南』は、イギリス人探検家H・R・デーヴィス(Henry Rodolph Davies)が1909年に刊行した、
Yün-nan: The Link Between India and the Yangtze
をもとにした資料。
日本では、
H.R.デーヴィス著
田畑久夫・金丸良子編訳
『雲南―インドと揚子江流域の環』
として刊行されている。
デーヴィスは19世紀末の雲南各地を歩き、そこに暮らす民族や言語について詳しい記録を残している。
その中に、
Min-chia(ミンチャ/民家)
と呼ばれていた人々についての記述がある。
原著には「MIN-CHIA OR PE-TSÖ」とある
デーヴィス原著の該当部分の見出しは、
MIN-CHIA OR PE-TSÖ
となっている。
そして本文では、
「この人々は自らをPe-tsöと呼び、中国人からは通常Min-chiaと呼ばれている」
という内容が明記されている。
つまり、
自称:Pe-tsö
他称:Min-chia
という関係。
ここが一番大事なところ。
Min-chiaという人々とPe-tsöという人々が別にいた
わけではない。
同じ人々を、中国人側ではMin-chiaと呼び、本人たちはPe-tsöと呼んでいた。
ということになる。
塚田氏が日本語で「ポツォ」と紹介しているのは、このPe-tsöにあたる。
「民家(ミンチャ)」は他称
現在の白族に関する中国側の民族資料でも、
民家
は白族自身の自称ではなく、漢族側などから使われた他称として説明されている。
一方、白族自身の自称としては、
白子
白尼
白伙
などが挙げられている。
これらはまとめて、
「白人」
という意味だと説明されている。
つまり、
自分たち自身が呼ぶ名前
と、
周囲の人々から呼ばれる名前
が異なっていた。
デーヴィスの1909年の記録にも、その構造がそのまま残っていることになる。
「民家→白族」への単純な改称ではなかった
ここは最初、私自身も少し勘違いしていたところ。
民家(ミンチャ)という民族がいて、1956年にその民族名をそのまま「白族」へ変更した
という単純な話ではないようだ。
現在の中国側の民族資料では、白族自身の自称として、
白子
白尼
白伙
などが挙げられ、まとめて「白人」という意味だと説明されている。
一方、
民家
那馬
勒墨
勒布
などは、周囲の民族から呼ばれていた他称として挙げられている。
また、民族学資料の中には、白族を、
民家
那馬
勒墨
という三つの「支系」に分けて整理するものもある。
その整理では、
民家:約95%
那馬:約3.5%
勒墨:約1.5%
とされ、民家が圧倒的に大きな集団となっている。
つまり、イメージとしては、
後世に「白族」としてまとめられる複数の地域集団
├ 民家と呼ばれた集団
├ 那馬と呼ばれた集団
└ 勒墨と呼ばれた集団
など
↓
1956年
統一族称「白族」
くらいに考える方が分かりやすそうだ。
ただし、「民家・那馬・勒墨=必ず三つの固定された民族内部支族」というわけではなく、資料によってはこれらを他称として整理している。
なので、
「民家」と「白族」は別民族ではないが、昔の白族全員が「民家」と呼ばれていたわけでもない。
という理解が今のところ一番しっくりくる。
「民家」という呼び名自体は比較的新しい
さらに重要なのが時代。
「民家」という呼び名は、日本神話の時代までそのまま遡れる名称ではない。
明代には、大理周辺へ移住した軍屯民が「軍家」と呼ばれ、それに対して現地住民側が「民家」と呼ばれるようになった、とする説明がある。
つまり、
民家という呼称が広まるのは、おおむね明代以降。
明代は、
1368年~1644年
なので、日本神話や古代の渡来勢力を考える時間軸からすると、かなり後世の呼び名になる。
そのため、日本古代との関係を考える場合、
「民家が日本へ来た」
とするより、
「後世に民家や白族として整理される人々につながる、もっと古い祖型集団」
を考える必要がありそうだ。
Pe-tsöは「民家」という名前より古い民族名とは限らない
ここも注意しておきたい。
H.R.デーヴィスが、
自称:Pe-tsö
中国人からの呼称:Min-chia
と記録したのは、19世紀末。
つまり『雲南』が直接証明しているのは、
19世紀末に「民家」と呼ばれていた人々が、自分たちをPe-tsöと呼んでいた
ということまで。
紀元前や古代にも、同じ人々がPe-tsöという音で自称していた
ことを直接証明する資料ではない。
ただし、後世の民族研究では、
Pe-tso=白子
と対応させる例があり、現在の白族にも、
白子
白尼
白伙
という「白」系の自称が残っている。
そのため、
Pe-tsö
↓
白子
↓
現在の白族の「白」系自称
には、何らかの連続性がある可能性が高そうだ。
日本の「ホト」との関係を考えるなら、
このPe-tsöという音そのものが、どこまで古代へ遡れるのか
は、今後さらに確認したいところ。
Pe-tsö(ポツォ)は現在の「白子」につながる?
では、デーヴィスが記録したPe-tsöとは、どんな意味なのだろう。
後世にデーヴィスの民族分類を整理した研究では、
Pe-tso = 白子
と対応させているものがある。
現在の白族にも、
白子
という代表的な自称が残っている。
白語では資料や方言によって、
Baipzi
Baipzix
などと表記される。
つまり、
Pe-tsö
↓
白子
↓
Baipzi系
は、時代や転写方法こそ違うものの、同じ系統の民族自称として見ることができそうだ。
ポツォは何語?
デーヴィスがMin-chiaと呼ばれていた人々から記録した言語は、現在の言語分類では白語系に位置づけられている。
そのため、
Pe-tsö(ポツォ)
も、現在でいう白語系の民族自称と考えることができる。
もちろん、1909年当時には現在のような中国の公式民族分類としての「白族」は存在していない。
なので、
1909年のPe-tsöという名前
=
現在の公式民族名「白族」
だったわけではない。
そうではなく、
中国人からMin-chiaと呼ばれていた人々
↓
本人たちの自称がPe-tsö
↓
現在では白族として整理される
という順番で考える方が分かりやすい。
ポツォはどういう意味?
そして一番気になるのが、
Pe-tsö(ポツォ)は何を意味する言葉だったのか?
ということ。
現在の白族の代表的な自称、
白子
白尼
白伙
について、中国側の民族資料では、まとめて「白人」という意味だと説明されている。
さらに後世の研究でデーヴィスのPe-tsoが「白子」と対応づけられていることを考えると、
Pe-tsö(ポツォ)は「白の人」系の自称と考えられる。
つまり「ポツォ」は、もともと日本語の「ホト」に当たる意味を持っていた言葉ではない。
雲南側では、
「白の人」系の民族自称
だったと考えられる。
滇(テン)と民家・白族
塚田氏の説では、この人々の背景に古代雲南の滇(テン)が置かれている。
滇は、現在の雲南省・滇池周辺に存在した古代国家。
中国史料には、戦国時代に楚の将軍荘蹻(しょうきょう)が滇池方面へ進出し、その後現地に留まり滇王になった、という話が残っている。
塚田氏は、この楚から滇への動きを民族移動として重視し、
楚
↓
荘蹻の滇進出
↓
雲南の人々
↓
後世の民家・白族系につながる文化層
というつながりを考えている。
ここは一般的な白族史そのものではなく、塚田氏独自の民族系統論として分けておきたい。
日本へ来てから「ホト」へ?
そして、ここからが塚田氏の日本側の考察。
塚田氏は、
Pe-tsö(ポツォ)
という民族自称の音が日本へ伝わる中で、
ポツォ
↓
ホツ
↓
ホト
のように変化した可能性を考えている。
大事なのは、
ポツォがもともと「ホト」という意味だった、という話ではない。
雲南側では、
ポツォ=民族自称
だったものが、
日本に渡ってから音がホツ・ホトへ変化し、その音が日本語の「ホト」と重なることで、
ホトを含む神名
ホトに関係する神話
などへ展開した可能性を考えている、という話になる。
日本神話に出てくる「ホト」については、別の記事で改めて整理した。
まとめ
今回確認できたことを整理すると、
・デーヴィス『雲南』の原著には「MIN-CHIA OR PE-TSÖ」という項目がある
・そこでは、中国人からMin-chiaと呼ばれていた人々が、自らをPe-tsöと呼ぶと明記されている
・つまりMin-chiaは他称、Pe-tsöは自称
・民家(ミンチャ)と現在の白族(ペー族)は、基本的に別民族を指す名称ではない
・ただし「民家という民族がそのまま白族へ改称した」という単純な関係でもない
・白族には民家・那馬・勒墨など、地域や資料によって異なる支系・他称の整理がある
・1956年に「白族」が統一族称として正式採用された
・「民家」という呼称自体は明代以降に広まった比較的新しい他称
・塚田氏が「ポツォ」と呼んでいるのは、デーヴィスのPe-tsöにあたる
・後世の研究ではPe-tsoを「白子」と対応させる例がある
・現在の白族にも「白子」など「白の人」を意味する自称が残る
というところ。
なので、
ポツォ=19世紀末に「民家」と呼ばれていた白族系集団が用いていた、「白の人」系の自称
と考えるのが、今のところ一番分かりやすい。
ただし、日本神話との関係を考えるうえで本当に重要なのは、
このPe-tsöという音や「白」系自称が、どこまで古代へ遡れるのか?
という点。
塚田説では、その「ポツォ」という音が日本へ入り、
ホツ・ホト
へ変化していった可能性を考える。
では、そもそもなぜ彼らは自分たちを「白」の人と呼んだのか?
そこが次に気になってくる。
参考
・塚田敬章「中国・朝鮮史から見える日本、2」
・H. R. Davies, Yün-nan: The Link Between India and the Yangtze, 1909
・H.R.デーヴィス著、田畑久夫・金丸良子編訳『雲南―インドと揚子江流域の環』古今書院、1989年
・国家民族事務委員会「白族」
・上海市民族和宗教事務局「白族」
・中央研究院民族学研究所関連資料|「民家或白子(Pe-tso)」の整理
<関連記事>
・「塚田敬章」についての記事一覧
・「ミンチャ族(ペー族)」についての記事一覧
・「民族・部族」についての記事一覧

