「ミケ=御食」を調べていたら、また「土」へ戻ってきた。
福井県敦賀市の気比神宮には、主祭神・伊奢沙別命が降臨した場所と伝えられる土公がある。
そして塚田氏は、この土公と御食津大神をセットで捉えている。
現在ちょうど土公信仰について調べているため、こちら側のメモとして分けておく。
気比神宮に残る「土公」
気比神宮の公式由緒では、主祭神伊奢沙別命は天筒山に降臨し、その後、現在の土公にあたる境内の聖地へ降臨したと伝えられている。
現在もそこには神籬・磐境の形態が残るとされる。
つまり、気比神宮における土公は単なる後世の境内施設ではなく、主祭神の降臨地という重要な位置を占めている。
主祭神は「御食津大神」
伊奢沙別命は、
御食津大神(ミケツオオカミ)
とも呼ばれる。
『古事記』では応神天皇へ御食となる魚を与えたことが、その名の由来として語られている。
一般には食物を司る神とされる。
ここで、
土公
と、
食物神・御食津大神
が同じ神社の中心部に並んでいることになる。
塚田氏は「后土+后稷」と見る
塚田氏は、この組み合わせを中国古代の祭祀へつなげている。
塚田氏の整理では、
土公=土地神・后土 御食津大神=農業・食物神・后稷
となる。
そして、気比神宮では后土と后稷=社稷が祭られていたのではないか、と考えている。
これは塚田氏独自の歴史解釈として、別に拾っておきたい。
「社稷」は土と穀物の組み合わせ
ここで気になるのは、
土地
と、
穀物・食物
が一組になっていることである。
土地があって、そこで穀物が育つ。
そのため「土」と「食」が一緒に祭祀される構造自体は理解しやすい。
今回「ミケ=御食」を追っていたはずなのに、
御食
→ 御食津大神
→ 気比神宮
→ 土公
→ 后土・后稷
と、「土」へ戻ってきた。
ビツカの「土家」とも重なるのか?
さらにややこしいことに、別に調べている塚田氏の説では、閩越・東越の住民をトゥチャ(ミンチャ)族中心とし、
土家族=ビツカ族
について論じている。
そして、
ビッカ(ミッケ) → ミカ・ミケ
という転訛まで示している。
そうすると、
土家 ミッケ/ミケ 御食 土公 后土 后稷
が、一つの周辺に集まって見えてくる。
ただし、ここを一気に「同じもの」とすると整理できなくなる。
現時点では、
塚田氏がミケへつなぐ土家族の話
と、
気比神宮で土公と御食津大神が並ぶ話
が偶然とはいえ気になるほど近くに出てきた、とだけメモしておく。
白族の土公祭祀との比較は別記事へ
現在、別に調べている白族の土公祭祀にも、土地神を共同体や村落の守護神として祀る文化がある。
気比神宮の土公と直接同じものなのかは、まずそれぞれの土公祭祀を個別に整理してから比較したい。
そのためこの記事では、
気比神宮の土公 塚田氏の后土・后稷説
までを本籍とする。
五行思想の「土」や、白族の土公については、それぞれ別記事へ分けて考える。
<関連記事>
・気比神宮の伊奢沙別命はなぜ「御食津大神」なのか?
・ミケとは?|御食・神名・民族名に残る「ミケ」音を整理
・ビッカ(ミッケ)はミケになった?|塚田氏の「ミカ・ミケ」音説
今後確認したいこと
・気比神宮の「土公」という呼称が確認できる最古の史料
・土公=伊奢沙別命降臨地という伝承の成立時期
・中国の后土祭祀と日本の土公信仰の具体的な比較
・后土と五行の「土」がどの段階で接続するのか
・白族など中国南方民族の土公祭祀との共通点
・塚田氏のいう土家族/ビツカ族との関係を考えられる材料が他にもあるか