以前まとめていた中国の越人についての記事を読み返していて、あらためて残しておきたいと思ったのが、
「音」
の話。
塚田敬章氏は、中国南部の越系集団が日本へ渡来したと考える中で、
閩越(ビンエツ→ミンオチ)
東冶(トウヤ→ツヤ)
騶越(スウエツ)
などの古い音が、
日本の地名や人名に残っているのではないか
と推測している。
もちろん、音の類似だけで同一系統と決められるものではない。
ただ、
移住した人々が、故地に関係する名を新しい土地につける
ということ自体は珍しくない。
そのため、越人の移動を考える際の比較材料として、この「音」の対応もメモしておきたい。
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目次
「呉音」は呉人だけの音ではない

まず少しややこしいのが、
という言葉。
「越の話をしているのに、なぜ呉音なのか?」
と最初は思った。
ただ、ここでいう呉音は、
呉という国の人々だけが使っていた音
という意味ではない。
日本の漢字音のうち、
7~8世紀ごろに長安系の漢音が本格的に入る以前から、日本に定着していた漢字音
を、まとめて「呉音」と呼ぶ。
そのため、中国南部の越系地名や人名についても、
日本に早い段階で伝わった音
を考える際に、呉音系の読みが参考にされる。
閩越は「ミンヲチ」のように聞こえた?
塚田氏が注目する一つが、
閩越
一般には、
ビンエツ
と読む。
一方、古い音をたどると、
ミンヲチ
のような音に近かった可能性を考えている。
ここで塚田氏は、
閩=ミン
の「ミ」に注目する。
・
・
さらに、
越人の共通トーテムである「蛇」
巳=蛇
との関係も考え、
「ミ」の付く日本の地名や語との比較を行っている。
・
・
たとえば、
三島(ミシマ)
箕島(ミシマ/ミノシマ)
三好(ミヨシ)
など。
・
・
また、
水=ミヅ
神=カミ
御=ミ
など、日本語の「ミ」との関係も比較材料として挙げられている。
・
・
このあたりはかなり広い音の比較になるので、
閩越の「ミ」が日本の「ミ」地名の直接の語源
と見るより、
越系集団を追う時の音の手掛かりの一つ
として見ておきたい。
東冶は「ツヤ」と読める?
次に気になるのが、
東冶
閩越王が都を置いたとされる場所で、現在の福建省福州周辺にあたる。
一般的には、
トウヤ
などと読む。
塚田氏は、この古い音を、
ツヤ
に近いものとして見る。
そして日本側で注目するのが、
津屋崎
現在の福岡県福津市周辺。
塚田氏は、
中国の東冶=ツヤ
と、
日本の津屋崎=ツヤ
の音の近さに注目している。
さらに、『魏志倭人伝』に出てくる不弥国を、津屋崎周辺に比定する考えも示している。
・
・
つまり、
閩越・東冶
↓
越人の移動
↓
北部九州
↓
津屋崎
というつながりを想定している。
騶氏の越は「騶越=スウエツ」
越王系の人物には、
騶
という姓が出てくる。
たとえば、
など。
このため塚田氏は、
騶氏の越
を、
騶越(スウエツ)
と呼ぶ。
・
・
ここから日本側の音として、
スエ
スエツ
などを比較している。
スエツミミとの関係
日本神話・系譜に出てくる人物として、
スエツミミ(陶津耳命)
がいる。
・
・
また、
三島溝咋耳
など、大阪・摂津周辺には「ミミ」を含む古い首長名が残る。
塚田氏は、
騶越=スウエツ
と、
スエツミミ
の音を比較している。
つまり、
騶越=
=スウエツ
↓
スエツ
↓
スエツミミ(陶津耳命)
という連想。
・
・
ミミ=首長称号
という説まで重ねると、
「スエツミミ」という名前は、
スエツ系勢力の首長
のようにも読めてしまう。
ここは改めて別途掘ってみたい。
<関連記事>
・「ミミ」は首長を意味した?|耳・美豆良・神名に残る古い記号
「摂津」の摂もスエツと関係する?
塚田氏は、
騶越=スウエツ
という音から、
日本の
摂津(セッツ)
にも注目する。
摂津はもともと津国と呼ばれた地域に、「摂」の字が付けられた名称。
この「摂津(セッツ)」という音・表記について、
スエツ
との関係を考えている。
・
・
さらに摂津周辺には、
東生郡 ※
など、別の越系地名との比較対象になる地名も残っている。
(※メモ①: 現在の東成区を中心に、城東区・生野区・鶴見区などを含む大阪市東部一帯)
(※ メモ②:東越の繇王が封じられた東成・東城)
・
・
そのため塚田氏の説では、
大阪・摂津周辺も、越人系渡来人層が入った重要地域
として扱われる。
須恵・須恵器も「スエ」と関係する?
さらに、須恵 という音。
日本では、須恵器
という古墳時代以降の焼き物の名称としてよく知られている。
塚田氏は、
騶越=スウエツ
の音が、
スエ
へ転訛した可能性も考えている。
つまり、
騶越
↓
スウエツ
↓
スエ
↓
須恵
という流れ。
これも、
須恵器という名称そのものが越人由来
と確定する話ではない。
・
・
ただ、
渡来系の技術・集団名・地名が「スエ」という音で残った可能性
を考える材料として挙げられている。
越人の強制移住と地名の移動
この音の話を考える時に重要なのが、
越人が実際に大規模な移動を強いられた時期がある
ということ。
漢の武帝期、
東甌・閩越・東越系の住民は、
長江と淮河の間
などへ移住させられた。
特に、
紀元前138年前後
紀元前110年前後
には大きな人口移動が起きている。
塚田氏は、
この時、指定された内陸部へ向かわず、日本方面へ逃れた人々もいたのではないか
と考えている。
もしそうなら、
その人々が日本へ渡ったあと、
故郷の地名・王族名・集団名に近い音を、新しい土地へ残した
という可能性も考えられる。
今のところのメモ
塚田敬章氏は、
閩越=ミンヲチ
東冶=ツヤ
騶越=スウエツ
など、中国の越系地名・名称の古い音に注目する。
そして日本側の、
津屋崎
スエツミミ
摂津
須恵
東成・東生
などとの対応を考えている。
これらがすべて同じ語源なのかは分からない。
ただ、
越人が中国南部から移動し、日本へ渡った
という仮説を考えるなら、
移住先に残された「音」
も、ひとつの手掛かりになる。
特に、
騶越=スウエツ
↓
スエツ
↓
摂津・スエツミミ・須恵
というラインは、今後もう少し追ってみたい。
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