「雀」は先発、「坂」は後発の海人だった?|ササベとサカベの二層仮説

最近読んだ本や調べものの中で気になった古代の話を、自分の備忘録としてメモしていくシリーズです。

今回は、雀部(ササベ)と坂部(サカベ)について考えていて浮かんだ仮説をメモしておく。

尼崎の坂部については、中世にこの地域にいた雀部氏の「ササベ」が「サカベ」に変化したという説がある。

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これを単なる発音の変化と考えることもできる。

しかし、雀と坂がそれぞれ異なる渡来集団を表しているなら、

先に来た古い海人集団が「雀・ササ」
後から来た同系の海人集団が「坂・サカ」

だった可能性もあるのではないか。

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雀と坂は、同じ集団の別表記なのか

尼崎市には、古代から中世にかけて雀部郷・大島雀部荘が存在した。

また、現在も上坂部・下坂部という地名が残っている。

坂部の地名由来には複数の説があるが、その一つが、

雀部・ササベ

坂部・サカベ

という変化である。

ササベとサカベは音が近い。

そのため、雀部という名称が発音の変化によって坂部になったと考えれば、話は比較的単純である。

しかし気になるのは、塚田敬章氏の分類では、雀と坂が同じ系統には置かれていないことである。

塚田氏の分類では「雀」と「坂」が分かれる

塚田敬章氏は、日本へ渡来した弥生系集団を、大きく、

・呉
・呉系楚
・越

の三系統に分けている。

これまでの整理では、雀・雀部は呉または呉系楚人側に関わる要素として現れる。

一方、坂上氏・漢氏・文氏・坂合部氏など、「坂」に関わる氏族は越系に置かれている。

雀・雀部――呉・呉系楚側
坂・坂合部――越側

もしこの分類を採用するなら、ササベとサカベは、最初から同じ集団を表す別表記だったとは限らない。

呉系と越系という、近い文化的基層を持ちながらも異なる時期に日本へ来た集団が、同じ地域で接触した結果、二つの名称が重なった可能性がある。

川上氏の分類なら、どちらも「呉越系」になる

一方、川上しのぶ氏のいう呉越系は、春秋戦国時代の呉人・越人だけを指すものではない。

その背景には、

河姆渡文化・良渚文化
長江流域の稲作文化
三苗系集団
海を渡った南方海人系集団

という、呉・越・楚に分かれる以前の古い文化層が想定されている。

この大きな分類で見れば、塚田氏のいう呉・呉系楚・越は、完全に無関係な民族ではない。

長江文明・三苗系の古い文化

複数の集団へ分化

呉・呉系楚・越

異なる時期・経路で日本へ渡来

つまり「雀」と「坂」は、塚田氏の細かな分類では別系統でも、川上氏の大きな分類では、同じ呉越系文化から分かれた枝と考えることができる。

最古層が「雀」、後発層が「坂」だった?

そこで浮かんだのが、

最古層の海人集団――雀・ササ・サザキ
後から来た同系集団――坂・サカ

という二層仮説である。

塚田氏の整理では、最初に日本へ渡来した弥生系集団は古い呉人とされる。

その後、呉系楚人や越人など、文化的に近い別集団が日本列島へ入った。

これを雀と坂に重ねると、

古い呉・三苗系の海人が先に渡来
=雀・ササ・サザキ

後から近縁の越系集団が渡来
=坂・サカ

同じ地域で接触・混交

ササベとサカベが重なる

という流れになる。

この場合、「ササベがサカベに変化した」という現象も、単なる自然な音韻変化ではない。

後から来たサカベ系の集団が、先にいたササベ系の集団や土地を、自分たちの名称で読み替えた可能性が出てくる。

尼崎の雀部郷と坂部は同じ場所ではない

この仮説を考えるうえで重要なのが、尼崎の雀部郷と坂部が、完全に同じ場所ではないことである。

雀部郷・大島雀部荘
――現在の今北・大島付近

 

上坂部・下坂部
――現在の尼崎市北東部

雀部郷がそのまま坂部へ改称された、という単純な配置ではない。

ただし、下坂部や隣接する久々知には、中世の雀部氏や雀部寺との関係が確認されている。

つまり、尼崎では、

・西側に雀部郷・大島雀部荘
・東側に上坂部・下坂部
・下坂部・久々知周辺にも雀部氏の痕跡

が存在する。

この配置なら、

先に雀部・ササベ系の集団がいた

その周辺へ坂部・サカベ系の集団が入った

隣接・混交によって二つの名称が重なった

という見方もできる。

丹波では「ササ」の音が残っている

丹波国天田郡にも、古代の雀部郷があった。

この雀部郷の一部にあたる地域には、現在も京都府福知山市の上佐々木・下佐々木という地名が残っている。

雀部

ササイベ・ササベ

佐々木・ササキ

丹波では、サカではなくササ・ササキの音が残ったように見える。

これに対して尼崎では、ササベとサカベが重なり、現在は坂部という地名が残っている。

地域ごとの差を並べると、

【丹波・天田】
古いササ・ササキの音が残る

 

【摂津・尼崎】
ササベとサカベが重なり、坂部が残る

となる。

丹波では古層の雀部系が比較的そのまま残り、尼崎では後発の坂部系が重なったと考えることもできる。

崇神天皇の時代に「坂」が目立ち始める

もう一つ気になるのが、崇神天皇の時代に「坂」が集中して現れることである。

崇神天皇の周辺には、

・皇子の八坂入彦命
・大和東方の墨坂神
・大和西方の大坂神
・各地の諸坂之神
・和珥坂に関わる赤坂比古神

が現れる。

八坂入彦命の母は、尾張連の祖とされる意富阿麻比売である。

阿麻を名に持つ母

八坂入彦命

その娘・八坂入媛命が皇統へ入る

崇神期に「坂」のつく人物と坂神の祭祀が一斉に現れることを、

> 坂・サカ系集団が王権の内部へ入ってきた痕跡

と読むこともできる。

そう考えると、雀・ササ系はそれ以前から存在した古い海人集団で、坂・サカ系は崇神前後に王権と結びつきを強めた後発集団だった可能性が見えてくる。

同族だからこそ名称が重なった?

雀と坂がまったく無関係な集団なら、ササベとサカベがここまで自然に重なることは考えにくい。

しかし、両者が同じ長江・三苗系文化を基層とする近縁集団なら、

・言葉が近い
・稲作や航海の文化が近い
・鳥や太陽の信仰が近い
・婚姻や同盟を結びやすい
・一方が他方の土地や祭祀を継承しやすい

ということが起こり得る。

後発の坂部系から見れば、先発の雀部系は完全な異民族ではない。

「古くからここにいた、自分たちと近い集団」だった。

そのため、雀部の土地・祭祀・名称を破壊して消すのではなく、自分たちの「坂部」という名の中へ取り込んだ可能性もある。

まとめ

尼崎の坂部には、雀部氏のササベがサカベへ変化したという説がある。

これを単なる音韻変化ではなく、渡来層の重なりとして読むと、

先発の古い海人集団
=雀・ササ・サザキ

後発の近縁海人集団
=坂・サカ

両者が接触・混交

ササベとサカベが重なる

という二層構造が見えてくる。

塚田氏の分類では、雀は呉・呉系楚側、坂は越側に置かれる。

川上氏の分類では、その両方が、さらに古い長江文明・三苗系を基層とする呉越系に含まれる。

つまり、

> 雀と坂は別系統だが、まったく別の民族ではない。
> 同じ古い文化から分かれ、異なる時期に日本へ入った先発組と後発組だった。

という可能性である。

丹波では古い「ササ・ササキ」が残り、尼崎では「ササベ」と「サカベ」が重なった。

そして崇神天皇の時代になると、八坂入彦命・墨坂神・大坂神など、「坂」を持つ人物と神々が王権周辺に目立って現れる。

雀は最古層の海人。
坂は、その後から来た同系の海人。

尼崎に残る雀部と坂部の地名は、古い海人集団が一度に渡来したのではなく、近縁の集団が時期をずらして入り、重なっていった痕跡なのかもしれない。

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