秦氏はなぜ「呉人」ではなく「呉系楚人」なのか?雷との関係から考える

東鯷人呉系楚人について調べる中で気になった、秦氏はなぜ「呉人」ではなく「呉系楚人」なのか?という話。

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秦氏はなぜ「呉人」ではなく「呉系楚人」なのか

塚田敬章氏は、秦氏について、

秦氏呉系楚人東鯷人

という位置づけをしている。

ここで気になるのが、

なぜ秦氏は、単なる「呉人」ではなく「呉系楚人」なのか?

という点。

塚田氏の整理では、呉系楚人とは、

の要素を持ちながら、の文化要素も強く持つ集団

と考えられている。

秦氏の「呉系」はどこから来る?呉王族・夫概から堂谿氏へ

秦氏が「呉系楚人」とされるうえで、

まず土台になっているのが「呉系」であること。

塚田氏は、秦氏の源流を堂谿氏に求めている。

堂谿氏の祖とされる夫概は、

呉王闔閭の弟

つまり呉王族の出身。

その夫概がへ逃れ、の堂谿に封じられた ことで、堂谿氏になったとされる。

つまり、

呉王族

夫概

へ亡命

堂谿氏

秦氏

という流れ。

塚田氏が秦氏を「呉系」とする大きな理由は、

もともとの祖系が呉王族につながっている

という点にある。

その根拠の一つとして、塚田氏は、

秦氏の首長の姓を「

としている。

姫姓呉王室の姓でもあり、

これを秦氏の「」の系譜を示す要素として見ている。

つまり秦氏は、

最初から楚系だったのではなく、呉王族を祖系に持つ集団がへ入り、その後に楚文化を重ねていった

というのが塚田氏の見方になる。

<参考>

そこに「楚」の要素が重なる

秦氏には、その「楚側」の特徴がかなり多く見える。

秦系に見える楚の要素

塚田氏が楚・呉系楚人側の要素として扱っているものには、

・雷
・猿
・牛
・青/緑

などがある。

これらは、塚田氏がの神話世界を考える際に重視している(キ)の特徴とも重なる。

(キ)とは?

『山海経』の「大荒東経」では、夔は東海の流波山にいる獣として描かれていて、

・牛のような姿
・蒼(青)い体
・角がない
・一本足
・出入りすると風雨が起こる
・声が雷のよう

…という特徴を持つ。

さらに黄帝が夔の皮で鼓を作り、雷獣の骨で打った、という話もある。


(キ)には、

・蛇
・猿
・牛
・青
・雷電
・石
・木
・楽器

などの要素があるとされ、

塚田氏はこれを楚文化を読み解く材料の一つとしている。

つまり秦系には、

呉系文化を土台にしながら、に特徴的な要素が重なっている

と見ていることになる。


なぜ、秦氏が繋がるのか?

については、別途いかにまとめました。↓↓↓

秦氏(呉系楚人、須佐乃男、月読、神産巣日、スクナビコナ、天之日矛、ツヌガアラシト、大山咋=虁、弁辰人)

「ハタ」と雷

秦氏と雷については、塚田氏はかなり直接的に結びつけている。

雷のことを、

「はたた神」

と呼ぶことや、

「はたく」「はたと打つ」などの言葉、

さらに魚偏に雷と書く鱩(ハタハタ)などから、

「ハタ」という音自体が雷に関係するのではないか

と考えている。

そのうえで、

火雷神を「秦系の雷神」

としている。

つまり塚田説では、

秦(ハタ)



火雷神

というつながりがある。

そして雷そのものが楚系の重要な文化要素なので、

「秦氏=呉系楚人」

という分類を補強する材料の一つになっている。

秦系の神々にも楚系要素が見える

塚田氏が呉系楚人側に分類している神には、

少彦名神
大山咋神
猿田彦神
火雷神
月読神
金山彦神
五十猛神
宗像三女神

などがいる。

特に、

大山咋神=猿

という要素は、楚系の「猿」と重なる。

また、

火雷神=雷

も楚系要素。

塚田氏の分類では、

秦系の神々そのものに、楚文化の特徴が繰り返し現れる

という形になっている。

秦氏=呉系楚人=東鯷人

塚田氏は「帰化人 秦氏」の中で、

「ハタ」という姓を与えられた呉系楚人=東鯷人=弁辰人の一部

が秦から渡来したため、後に「秦」の字を当てられた、

という筋書きを提示している。

つまり塚田説では、

中国の秦という国から来たから「秦氏」

というだけではなく、

その実体はもともと

呉系楚人=東鯷人

だった、と考えている。

その集団が朝鮮半島の弁辰などを経由し、日本で「秦」と呼ばれるようになった、という整理。

今のところの整理

塚田説を簡単にすると、

呉人
→ 呉文化を主体とする先発集団

呉系楚人
→ 呉の文化を持ちながら、楚文化も強く取り込んだ集団
→ 東鯷人
→ 秦系

という関係になる。

秦系に、

雷・猿・牛・青などの楚系要素

が目立つのは、

秦氏が単純な「呉人」ではなく、

呉+楚の文化を持つ「呉系楚人」

だったから、

というのが塚田氏の考え方のようだ。

この視点で見ると、

秦氏と雷

の結びつきも、

単なる「秦氏の雷信仰」という話ではなく、

秦氏の中に残った楚文化の痕跡

として読むことができる。

参考

塚田敬章氏「帰化人 秦氏」
秦氏=呉系楚人=東鯷人という位置づけ、「ハタ」と雷、火雷神について。

塚田敬章氏「中国、朝鮮史から見える日本1」
虁と、蛇・猿・牛・青・雷電など楚系要素について。

塚田敬章氏「縄文の逆襲3」
呉系楚人側の神・氏族・文化要素の整理。

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