最近気になっているのが、
島根には「出雲」が先にいたのか、それともその前にコシ系の勢力がいたのか?
という問題。
「出雲が北陸まで勢力を持っていた」という話はよく見る。
でも、逆向きに見ると景色が変わってくる。
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出雲には実際に「古志郷」がある
現在の出雲市古志町周辺は、古代には神門郡古志郷と呼ばれていた。
しかも『出雲国風土記』は、その由来について、
古志国の人々がやって来て池を築き、そのまま住み着いた
という伝承を記録している。
つまり出雲側の史料そのものに、
コシの人が島根へ来た
という記憶が残っている。
一方、出雲は高志の土地を「引く」
同じ『出雲国風土記』の国引き神話では、
「高志の都都の三埼」
から土地を引いてきたとされる。
島根県はこれを現在の能登半島にあたる地域と説明している。
つまり、
コシ人が出雲へ来る
という伝承と、
出雲がコシの土地を取り込む
という伝承が両方ある。
ヤマタノオロチも「高志」
さらに『古事記』ではヤマタノオロチが高志之八俣遠呂智と呼ばれる。
ところが有名なオロチ退治そのものは、『出雲国風土記』には載っていない。
この点については、そもそもオロチ退治が出雲土着神話ではなかったとする研究上の見方もある。
そこで気になるのが、
最初から「出雲」という一枚岩の勢力があったのではなく、古いコシ系勢力のいる土地へ、後から別の出雲勢力が入り込んだのではないか
という可能性。
「出雲が北陸まであった」のではなく、
出雲がコシの勢力圏を取り込んだ結果、北陸との深い伝承が残った
のかもしれない。
今後は特に、
西出雲
古志郷
神門郡
の古い勢力を追ってみたい。
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