奴奈川姫の伝承を調べていて、気になっていること。
なぜ、コシ側の土地神は「馬」に乗っているのか。
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目次
奴奈川姫をめぐる「牛と馬」の伝承
新潟県糸魚川市の根知谷に残る伝承では、奴奈川姫をめぐって、外からやって来た大国主命と、在地の土地の神が争う。
二者は駒ヶ岳の山頂から跳び比べをすることになり、
土地の神=馬
大国主命=牛
に乗って勝負したという。
昔奴奈川姫命に懸想したる土地の神が大国主命の来りたまひて姫を娶(めと)らんとしたまひしを憤り、大国主命の宮居へあばれ込み、論争の結果、山の高所より跳びくらべをなし勝ちしもの姫を得ることにせんと約す。
即ち土地の神は黒き青毛の駒に跨(またが)り、大国主命は牛に乗り給ひて、駒ヶ岳の絶頂に立つ。茲(ここ)に於(おい)て先づ土地の神馬に鞭をあててその絶頂より飛びしにかの馬の爪痕の残れる別所の一角に達す。
次に大国主命牛をはげまして飛びたまひしに、不思議にも馬の達せしところより二三町先なる地点に達したまふ。
之れ今日なほ牛の爪痕の残れる岩のあるところなり。
然るに土地の神この結果を見て更に大に憤り、今一度勝敗を争はん事を求む。大国主命快く諾ひたまふ。
仍て土地の神先づ憤激にまかせて、馬を飛ばせしが、天なる神の咎(とが)めやありけむ、僅(わず)かに駒ヶ岳の中腹に達せしのみにて、しかも馬毫(わずか)も動かず、そのまま石に化し了(おわ)る。
今なほ駒ヶ岳の中腹に馬の形をしたる岩石ありありと見ゆ、即ち之れなり。而して此の馬、石と化してもなほ時候の変り目などには折々寝返りをなすとは今日尚ほ土俗の信ずるところなり。
(引用:糸魚川市|奴奈川姫の伝説)
↑
メモ:気になるポイント→「黒き青毛の駒」
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結果は、牛に乗った大国主の勝利。
敗れた土地神の馬は、最後には駒ヶ岳の中腹で石になったと伝えられている。
名前の残らない「土地の神」
この伝承に登場する在地神には、名前がない。
糸魚川市が紹介する伝承では、
「奴奈川姫命に懸想したる土地の神」
とだけ記されている。
大国主が奴奈川姫を娶ろうとしたことに怒り、大国主の宮居へ乗り込み、最終的に駒ヶ岳で勝負するという人物である。
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一方、同じ糸魚川にはよく似た別伝承も残っている。
こちらでは、奴奈川姫にはもともと「松本の豪族」の夫がいたとされる。
この豪族も大国主と戦って敗れ、殺される。
そして、その馬だけが山へ逃げ、最後には駒ヶ岳で石になったという。
「土地の神」と「松本の豪族」が同じ存在なのかは分からない。
ただ、
奴奈川姫をめぐって争う
大国主と対立する
馬を持つ
敗北する
馬が駒ヶ岳で石になる
という骨格はかなりよく似ている。
特に「松本」という名前が出てくるのは、後で見る信濃とのつながりを考えるうえでも気になるところ。
敗れた松本の豪族を祀った「大将軍社」
別伝では、奴奈川姫の夫とされる「松本の豪族」は、現在の糸魚川市市野々付近で殺され、その後大将軍社に祀られたと伝わる。
現在、「大将軍社」という独立した神社は確認できないものの、市野々には「大将軍」という小地名が残るとされ、「大将軍の石仏」と呼ばれる石仏群もある。
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さらに現在の市野々にある日吉神社には、大己貴命(大国主命)が祀られている。
大国主に敗れた在地豪族が祀られた場所に、現在は大国主側の神がいる。
この祭祀の変化については、別記事であらためて追いたい。
コシの馬・牛関連伝承地
【伝承物:現在絞れる場所】
- 馬の足跡岩:糸魚川市別所・根知谷別所山
- 牛の爪痕岩:同じ別所山、馬岩から伝承上約220〜330m先
- 石になった白馬:糸魚川市梶山から望む頸城駒ヶ岳の黒い絶壁・中腹
- 蒲池の駒蹄岩:糸魚川市蒲池・中上方 ※別伝承
※ 蒲池(ガマイケ)の「駒の蹄跡岩」は、奴奈川姫をめぐる牛馬勝負とは別系統の伝承。
根知村字蒲池の「中上方」に駒の蹄跡岩があり、こちらは黒姫山から駒ヶ岳へ大黒様が馬で飛んだ途中に脚を掛けたと伝わる。
この「蒲池」という地名自体も、九州の蒲池(カマチ)や蒲池媛(雨宮)、鯰伝承との共通点が気になっているが、話が大きくなるので別記事で整理したい。
・雨宮といえば、長野にある「雨の宮坐日吉神社」
馬は「コシのトーテム」だったのか?
以前は、この馬も龍蛇などと同じように、コシ族の象徴動物なのかと思っていた。
でも今は少し違う気がしている。
この馬は、かなり現実的な「技術」の記憶ではないか。
日本列島で本格的な馬文化が確認されるのは古墳時代。
長野県域では4世紀後半から馬の出土例が現れ、5世紀前半には伊那谷※ で馬の歯や骨がまとまって出土する。
(※伊那谷=伊那市・駒ヶ根市・飯田市・上伊那郡・下伊那郡)
その後、信濃・甲斐・上野などは馬の生産地として重要になっていく。
つまり信濃には、かなり早い段階から馬を扱う勢力が存在していた。
糸魚川のすぐ先には信濃がある
ここで重要なのが、奴奈川姫伝承の舞台である根知谷の位置。
糸魚川は日本海側にありながら、姫川・根知谷を南へ進めば、そのまま信濃方面へつながる。
後世には、このルートが松本街道・塩の道となり、日本海側と信濃を結ぶ重要な交通路になった。
・根知といえば…福岡の「大根地神社」を連想するな…
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つまり、
日本海・糸魚川
↓
姫川・根知谷
↓
小谷・安曇
↓
松本・信濃
という道がある。
だから、
海のコシ
と
馬を使う山岳勢力
は、別に矛盾しない。
むしろ日本海側から入った人・物を、馬を使って山岳地帯へ運ぶ交通圏があったと考える方が自然に見える。
北九州の海人系氏族である安曇氏が、日本海から糸魚川・姫川谷を経て信濃へ入ったとする説もある。
安曇氏や塩の道、九州とのつながりについては、別記事で整理したい。
馬=「風」、牛=「農耕」だった?
もうひとつ気になっているのが、土地神と大国主が乗る動物の違い。
コシ側の土地神=馬
→ 速く移動する・山を越える・風のように走る
大国主=牛
→ 土地を耕す・農耕・定住・豊穣
と考えると、この伝承は単なる「馬と牛の競争」ではなく、
山岳を移動する馬利用勢力
と
土地を耕し、農耕社会を広げる勢力
の対比として読むこともできそう。
特に馬は、速さ・移動・山越えという性質から、「風」の力を可視化した存在にも見える。
一方の牛は、農耕・土地・定着との結びつきが強い。
つまり、
馬=風・移動・山
牛=土・農耕・定着
という異なる生活様式や自然観が、この勝負に重ねられている可能性も考えてみたい。
龍蛇と馬は同じ意味ではないのかもしれない
ここは、最古層のコシを考えるうえで分けておきたい。
コシには、
のような龍蛇のイメージがある。
一方、奴奈川姫伝承では在地神が馬に乗っている。
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・
龍蛇は、
水・川・海・自然力と結びついた古い祭祀的象徴
であり、
馬はもっと後に入ってきた、
移動・軍事・交通を大きく変えた実用技術
だった可能性がある。
つまり、
最古層のコシ
=龍蛇・水・海の文化
↓ 後の時代
奴奈川―信濃を行き来する馬利用勢力
という重なりがあったのかもしれない。
なぜ土地神は「馬」に乗ったのか
今のところ一番気になっているのは、
「コシ族だから馬だった」のではなく、この時代の奴奈川を守っていた在地勢力が、実際に馬を使う集団だったのではないか
ということ。
伝承ではわざわざ、
土地神=馬
大国主=牛
と乗り物を分けている。
馬=風のように移動し、山を越える力
牛=土地を耕し、農耕を広げる力
と見るなら、この勝負には異なる生活様式や勢力の交代が重ねられている可能性もある。
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・
しかも、馬の足跡の岩、牛の爪痕の岩、石になった馬まで残されている。
単なる動物の象徴というより、
「この土地の側には、馬を操る者たちがいた」
という記憶が、駒ヶ岳の伝承として残ったのかもしれない。
そして、その馬の道を南へ追っていくと、安曇・松本・信濃へ出る。
さらに途中には、蒲池という気になる地名まで残る。
奴奈川姫をめぐるこの小さな伝承は、もしかすると日本海側のコシと、古代信濃の馬文化・山岳交通を結ぶ記憶なのかもしれない。
参考リンク
- 糸魚川市|奴奈川姫の伝説
- 糸魚川市観光協会|奴奈川姫の伝説
- 奈良文化財研究所|古代日本の馬文化に関する資料
- 松本市|古代信濃と牧・馬
- 青空文庫|坂口安吾「安吾の新日本地理 飛騨・高山の抹殺――中部の巻――」
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