スズメ|皇統側に残る「雀」の話

日本神話や古代皇統を見ていると、なぜか繰り返し現れる「雀・鷦鷯(サザキ/ミソサザイ)」。

仁徳天皇の名(和風諡号:大鷦鷯オホサザキ天皇)だけでなく、皇統・氏族・神話・葬送にも登場する。

なぜ「雀(スズメ)」なのか?気になった例をまとめておく。

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皇統側に繰り返し出てくる「雀」

日本神話や古代皇統を見ていると、なぜか何度も気になるのが、

「雀」と、雀目「鷦鷯」という鳥。

「雀」は日本人に馴染み深い鳥なので、説明は割愛しますが、「鷦鷯(サザキ/ミソサザイ)」は、雀によく似た雀目の鳥。↓↓↓

『古事記』では「雀」という字をサザキと読ませる例が多く、

仁徳天皇(和風諡号:大鷦鷯オホサザキ天皇)=大雀命(オオサザキ)

のように使われている。

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・

一方、『日本書紀』では、

大鷦鷯尊(オオサザキ)

と「鷦鷯」の字を使う。

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ここで少しややこしいのが、

雀(スズメ)

と、

鷦鷯(サザキ/ミソサザイ)

は、本来は別の鳥だということ。

・
・

そのため、まずは、

「雀」という字
と
「鷦鷯(サザキ)」という鳥

の両方を追ってみることにする。

仁徳天皇=大鷦鷯尊/大雀命

一番分かりやすいのが、

仁徳天皇。

『日本書紀』では、

大鷦鷯尊(オオサザキ)

『古事記』では、

大雀命(オオサザキ)

と記される。

つまり皇統の中心人物そのものが、

「サザキ」という鳥名

を持っている。

武烈天皇にも「サザキ」が出てくる

さらに後の武烈天皇にも、

小泊瀬稚鷦鷯尊(ワカサザキ)

という名前が現れる。

『古事記』では、

小長谷若雀命(ワカサザキ)

と記される。

仁徳天皇だけではなく、

皇統の中で再び「サザキ」の名が使われている ことになる。

崇峻天皇にも「若雀」

さらに『古事記』では、

崇峻天皇

も、

長谷部若雀命(ハセベノワカサザキノミコト)

と記される。

つまり、

仁徳天皇=大雀/大鷦鷯

だけではなく、

武烈天皇=若雀/稚鷦鷯

崇峻天皇=若雀

と、

「雀/鷦鷯=サザキ」という名が皇統側で繰り返し現れる。

ここまで来ると、

なぜ皇統に「サザキ」がこんなに残されているのか?

が気になってくる。

仁徳天皇と平群木菟宿禰の「鳥名交換」

さらに気になるのが、『日本書紀』にある、

仁徳天皇と 平群木菟宿禰ヘグリノツクノスクネ(武内宿禰の子)の誕生説話。

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・

仁徳天皇と、武内宿禰の子は同じ日に生まれたという。

そのとき、

皇子の産殿
↓
木菟(ミミズク)が入る

一方、

武内宿禰の子の産屋
↓
鷦鷯(サザキ/ミソサザイ)が入る

という出来事が起こる。

その後、二人は鳥の名を交換し、

皇子
↓
大鷦鷯尊

武内宿禰の子
↓
木菟宿禰

と名付けられる。

・
・

つまり、

もともと武内宿禰側に現れた「鷦鷯」の名が、皇子側へ渡っている。

逆に、

皇子側に現れた「木菟」の名は、武内宿禰側へ渡る。

・
・

単なる珍しい命名説話として読むこともできるけれど、

もし鳥が氏族・部族を表す象徴だったとしたら、

二つの鳥を交換すること自体に、二つの集団の結びつきが表されているのでは?

という疑問も出てくる。

「雀部(サザキベ)」という氏族もいる

さらに古代氏族には、

雀部(サザキベ)

という名前も残っている。

ここでも「雀」は、

スズメではなく「サザキ」

と読む。

しかも雀部は、皇統に奉仕する氏族として伝えられている。

つまり、

天皇名 だけではなく、

皇統周辺の氏族名 にも「サザキ」が残っている。

これも、

サザキが単なる鳥名以上の意味を持っていたのでは?

と感じる理由の一つ。

皇統以外にも現れる「雀/鷦鷯」

一方で、「雀/鷦鷯」は皇統の名前だけに現れるわけではない。

記紀の中を見ていくと、

神話・葬送・食・神の衣

など、別の場面にも登場する。

少彦名神は「鷦鷯の羽」を着ていた

『日本書紀』の一書では、

少彦名神

が海から現れた際、

鷦鷯(サザキ)の羽を衣としていた と記される。

つまり少彦名神は、

「サザキを身につけた神」として登場する。

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・

なぜ少彦名神の衣が、

鷦鷯の羽 なのか?

これもかなり気になる。

天若日子の葬儀に出てくる「雀」

『古事記』の天若日子の葬儀では、鳥たち にそれぞれ葬送の役割が与えられる。

その中で、

雀

は、

碓女(ウスメ)=米を搗ツく役 を担当する。

つまりここでは、

雀=米・穀物

という関係が見える。

『日本書紀』では「雀」と「鷦鷯」が両方登場する

さらに興味深いのが、『日本書紀』の天稚彦の葬送。

こちらでは、

雀
→ 米を搗ツく役

鷦鷯(サザキ)
→ 哭者コクシャ(泣き女)

として、

雀と鷦鷯が「別々の役割を持った鳥」として同時に登場する。

つまり、

雀=スズメ

と、

鷦鷯=サザキ/ミソサザイ

は本来別物。(=別の役割を持つ)

・
・

それでも日本側では、

「雀」という字をサザキと読ませる 例が皇統名を中心に非常に目立つ。

ここも気になるところ。

「ミソサザイ」という名前も気になる

ミソサザイ(鷦鷯)には、

溝三歳
三十三才

という表記もある。

・
・

「三十三才」は後世の当て字とみられるため、
現時点では「三十三」という数字と鷦鷯そのものを直接つなげる材料は見つかっていない。

ただし「三十三」という数そのものは、

観音の三十三身
↓
西国三十三所
↓
三十三間堂

など、後世の日本宗教文化ではかなり重要な数字として現れる。

そのため、

ミソサザイ=三十三

という表記も、ひとまず気になる言葉として残しておく。

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・

一方、今のところもっと気になるのが、

溝三歳

の「溝」。

ミソサザイの「ミソ/ミゾ」は、

溝や水辺にいる小鳥

というところから説明される語源説がある。

・
・

ここから思い出すのが、

三島溝咋耳神(ミシマミゾクイミミ)

という名前。

溝
+
咋(クイ)
+
耳(ミミ)

という、気になる言葉が並んでいる。

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・

さらに仁徳天皇陵周辺には、

百舌鳥耳原(モズミミハラ)

という地名もある。

すると、

溝・咋(クイ)・耳・サザキ・百舌鳥

といった言葉が、なぜか皇統や古代氏族、墓域の周辺に集まってくる。

これらが本当につながるのかは分からないが、今後確認したい組み合わせとしてメモしておく。

「陵=ミササギ」も気になる

もう一つ、以前から気になっている言葉が、

陵(ミササギ)。

天皇や皇族の墓を、

ミササギ

と呼ぶ。

もちろん、

ミササギ=サザキ

という語源が確認されているわけではない。

ただ、古い形には「ミササキ/ミサザキ」があり、鷦鷯の古名「ササキ/サザキ」と非常に近い。

そのため、先に「サザキ/ササキ」と呼ばれる人物・集団・象徴があり、その墓が「御ササキ」と呼ばれ、のちに天皇・皇族の墓を表す「ミササギ」になったのではないか、という見方も気になる。

・
・

ササギ/サザキ

という音が近いうえに、

『日本書紀』では鷦鷯が葬送の「哭者」として現れる。

さらに、

仁徳天皇=大鷦鷯

の陵が、

百舌鳥耳原

にある。

そのため、

鷦鷯(サザキ)・陵(ミササギ)・葬送・百舌鳥耳原

のあいだに何か古い関係があるのかも気になる。

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・

「ミソサザイ」「サザイ」「サザキ」「ササキ」

そうなってくると、連想ゲームで気になってくるのは日本神話における「笹」の扱い。

ここについては、別途まとめる。↓↓↓

<関連記事>
・スズメ|鷦鷯・陵(ミササギ)の「ササ」は笹なのか?

ここまでで出てくる「雀/鷦鷯」

ひとまず、気になるものを並べると、

<皇統周辺>

・仁徳天皇=大鷦鷯尊/大雀命
・武烈天皇=稚鷦鷯尊/若雀命
・崇峻天皇=若雀命
・仁徳天皇と平群木菟宿禰の木菟/鷦鷯の鳥名交換
・雀部(サザキベ)という氏族
・仁徳天皇陵のある百舌鳥耳原
・天皇・皇族の墓を表す陵(ミササギ)

 

<皇統以外>

・少彦名神=鷦鷯の羽を衣にする
・天若日子の葬儀=雀が米を搗く役
・天稚彦の葬儀=鷦鷯が哭者を担当
・ミソサザイの表記=溝三歳/三十三才
・三島溝咋耳神の「溝・咋・耳」

となる。

なぜ「雀/鷦鷯」なのか?

こうして並べてみると、

雀/鷦鷯は、単に仁徳天皇の名前に一度出てくる鳥ではない。

皇統名、

氏族名、

神の衣、

米・穀物、

葬送、

墓・陵、

地名、

と、かなり違う場所に繰り返し現れている。

特に気になるのは、

皇統側で「サザキ」という名が何度も使われていること。

そして、

仁徳天皇の誕生説話では、

鷦鷯がもともと武内宿禰側に現れ、その名前が皇子側へ渡されている。

もし古代の鳥が、

氏族・部族・祖先集団を象徴するトーテム

のような役割を持っていたとすれば、

「サザキ」を象徴とする集団が皇統と強く結びついていたのでは?

という疑問が出てくる。

さらに、塚田敬章氏が呉系楚人に関連する鳥として挙げる一覧には、

木菟・ミソサザイ・雀

がすべて含まれている。

すると、

同じ呉系楚文化圏の中に、木菟を象徴とする集団と、サザキ/雀を象徴とする集団が存在したのでは?

そして仁徳天皇と平群木菟宿禰の「鳥名交換」は、

その二つの集団の結びつき・同盟・統合を物語化したものでは?

という見方も気になってくる。

ただ、「呉系楚人」はかなり多くの民族・文化を含む複合集団。

そのため、

では、その中の「どの集団」が雀/鷦鷯を強く象徴としていたのか?

を、もう少し細かく探してみたい。

そこで次に、

ミャオ族・ヤオ族・トゥチャ族・呉・楚・越など、中国南方の文化の中に「雀」を強く象徴とする集団がいなかったか

を調べてみる。

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