東鯷人=呉系楚人について調べる中で気になった事。
「大山咋神」と「大山津見」の違い。
コノハナサクヤヒメに繋がるのは「大山津見」らしい。
<参考>
・大山咋神と大山津見神は何が違う?塚田説で見る二つの「大山」の神
あわせてきになったこと、
ならば、忌部は「大山津見」なのか?
というのも、
ヒルコさんのブログで、忌部川田は「コノハナサクヤヒメ」を大事に祀っているという話を読んだから。
忌部氏は「越系」なのか?
塚田敬章氏の整理では、
忌部氏は「越人=邪馬壱国系」
の氏族に分類されている。
「縄文の逆襲3」では、越側の後裔氏族として、
越
・物部氏
・和邇氏
・春日氏
・安曇氏
・三輪氏
・尾張氏
・穂積氏
・大伴氏
・忌部氏
などを挙げている。
つまり塚田説では、
忌部氏=秦系・呉系楚人側ではなく、越側
という整理になる。
忌部の祖神・天太玉命も越側から見る
忌部氏の祖神として知られるのが、
天太玉命(アメノフトダマ)。
そのため塚田説に沿って見るなら、
忌部氏
↓
天太玉命
↓
越系
というラインで考えることになる。
これまで、
・鷲
・麻
・祭祀
・南方的な要素
などから、
忌部周辺に秦系・呉系楚人との近さを感じることもあった。
しかし塚田氏の分類では、
南方系の要素を持っていることと、呉系楚人であることは別
ということになる。
大山津見・コノハナサクヤヒメとも同じ「越側」
ここで面白いのが、
塚田氏が大山津見も越側に分類していること。
大山津見は、
コノハナサクヤヒメの父神
として知られる。
整理すると、
大山津見
↓
越系
↓
コノハナサクヤヒメ
そして、
忌部氏
↓
太玉命
↓
越系
となる。
大山津見・コノハナサクヤヒメ
忌部・太玉命が、
塚田説では同じ「越側」に置かれる
ということになる。
南方系要素は「呉系楚人」だけのものではない
ここで少し見方が変わる。
塚田氏は、
呉系楚人にも南方系文化の要素
を見ているが、
越人にも南方系の基層
を見ている。
そのため、
・鷲(ワシ)
・蛇
・植物
・祭祀
・山
・海
など、南方的に見える要素が共通していても不思議ではない。
つまり、
呉系楚人と越人が、
まったく無関係な文化集団だったというより、
さらに古い南方文化の層を共有しながら、別の系統へ分かれていった
と見ることもできそう。
これは、
ヒラ族とサカ族は別集団として描かれていても、共通する文化要素を持っていたのでは?
という今までの疑問とも重なる。
※ヒラ族とサカ族というのは仮の名称。「消された南の島」で、坂を「サカ」という民族と「ヒラ」という民族がいたという話から
<参考>
・消された南の島の物語|黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)の謎
今のところの整理
塚田説では、
秦氏
→ 呉系楚人
大山咋神
→ 秦系・呉系楚人
一方で、
忌部氏
→越系
天太玉命
→ 忌部氏の祖神
大山津見神
→ 越系
コノハナサクヤヒメ
→ 大山津見神の娘
という配置になる。
つまり、
「南方系っぽい要素がある=呉系楚人」ではない。
忌部のように、
南方的な文化要素を持ちながら、塚田説では越側に置かれる氏族もいる
ということ。
参考
・塚田敬章氏「縄文の逆襲3」
越側の後裔氏族として忌部氏を挙げている。
・塚田敬章氏「新撰姓氏録」再編
氏族を越人系・呉系楚人などに分けて整理している。
