東鯷人=呉系楚人について調べる中で出てきた「大山咋神」について。
「大山咋神」は「大山津見神」とどう違うのかという疑問。
<参考>
・縄文の逆襲3|塚田敬章
<関連記事>
・夔(キ)と秦氏はどうつながる?「大山咋=夔」という塚田説
・東鯷人(トウテイジン)とは?いつ渡来していつ消えた?
・東鯷人(トウテイジン)は呉系楚人?
・「東鯷人」についての記事一覧
・「民族・部族」についての記事一覧
大山咋神と大山津見神は同じ系統?
大山咋神(オオヤマクイ)と、大山津見神(オオヤマツミ)。
どちらも「大山」がつく山の神なので、
同じ神の別名や、近い系統の神なのでは?
と気になる。
しかし塚田敬章氏の整理を見ると、
この二神はかなり違う系統に分類されている。
大山咋神は「秦人=呉系楚人」側
塚田氏は「縄文の逆襲3」で、
秦人(呉系楚人)の神
として、
大山咋神 を挙げている。
しかも、
大山咋(咋=夔=牛+猿+蛇)
と記している。
塚田説では、
夔(キ)
は牛・猿・蛇・雷・青など、
楚文化につながる要素をまとめて持つ存在。
そのため大山咋神は、
秦氏=呉系楚人側の山神
として位置づけられている。
さらに塚田氏は、
摂津三島の溝咋
についても、
「咋=夔」
として天之日矛系=秦人側に分類している。
つまり塚田説では、
「咋(クイ)」そのものが、秦系・呉系楚人を考える重要な手がかり
になっている。
大山津見神は「文・漢人=越」側

【補足】
・「滇(テン)」についてはこちら
一方の大山津見について、
塚田氏はまったく別の系統に置いている。
「帰化人の真実4」では、
文・漢氏(越)
が出雲・伯耆から瀬戸内海へ進出し、
伊予の大三島に大山津見神を祀った
としている。
さらに、
大山津見(大山祇)神は、物部系・越智氏の神
と明記している。
つまり塚田説では、
大山津見神=文・漢人=越系
になる。
大山津見と大綿津見は対になる
塚田氏は大山津見神について、
海の 大綿津見 と同族で、対になる神
ともしている。
大山津見
→ 山
大綿津見
→ 海
という対応。
大綿津見神は安曇氏など海部側の神とされ、
大山津見神はその「山側」にあたる。
つまり大大山津見は、
単に「山そのものを支配する神」というより、
文・漢人=越系の世界における「山側の神」
として見た方が分かりやすそう。
二神を並べると
塚田説で整理すると、
大山咋神
→ 秦人
→ 呉系楚人
→ 夔(キ)
→ 牛・猿・蛇・雷など楚系要素
一方、
大山津見神
→文・感人
→ 越系
→ 物部氏・越智氏
→ 大綿津見神と対になる山の神
となる。
名前にはどちらも
「大山」
が付くけれど、
塚田説では、
大山咋神と大山津見神は、別の民族系統が持つ別の山神
として整理されていることになる。
「山の神」が一柱だったとは限らない?
ここで気になるのが、
古代の「山の神」が最初から一柱だったのか、
ということ。
もし異なる集団がそれぞれ、
自分たちの山神
を持っていたとすれば、
秦系の山神=大山咋
越系の山神=大山津見
という形で、
似た役割を持つ別系統の神が並んで存在していても不思議ではない。
その後、神話体系が整理される中で、
どちらも「大山○○」という似た名前で見えるようになった可能性も気になるところ。
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ちなみに、「コノハナサクヤヒメ」に繋がるのは、大山津見 の方。
じゃぁ、残る(つながる)疑問は、
忌部は越なのか?
…については、以下の記事へ。
↓↓↓
<関連記事>
・忌部氏は「越系」だった?塚田説で見る天太玉命と南方文化
参考
・塚田敬章氏「縄文の逆襲3」
秦人=呉系楚人の神として、大山咋を「咋=夔=牛+猿+蛇」と整理している。
・塚田敬章氏「帰化人の真実4」
大山津見神を文・漢氏=越系、物部系・越智氏の神として整理し、大綿津見神との対応についても触れている。
<関連記事>
・夔(キ)と秦氏はどうつながる?「大山咋=夔」という塚田説
・東鯷人(トウテイジン)とは?いつ渡来していつ消えた?
・東鯷人(トウテイジン)は呉系楚人?

