最近読んだ本や調べものの中で気になった古代の話を、自分の備忘録としてメモしていくシリーズです。
今回は、古代の皇室周辺にたびたび現れる「雀」について。
八咫烏や白鳥については、太陽信仰・道案内・魂を運ぶ鳥など、さまざまな説がまとめられている。
ところが、「雀」は皇族名や氏族名に何度も登場するにもかかわらず、その信仰や系統がほとんど見えてこない。
調べてみると、雀に関する情報が少ないのではなく、
・雀(スズメ)
・雀(サザキ)
・鷦鷯(ミソサザイ)
・雀部(サザキベ・ササベ・ササイベ)
という複数の読みや表記に分かれていた。
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仁徳天皇の名は「大雀命」
溝三歳・とも
第16代仁徳天皇は、『古事記』では大雀命(オオサザキノミコト)、『日本書紀』では大鷦鷯尊と表記される。
「鷦鷯」は一般にミソサザイを指すため、ここに使われた「雀」は、現在のスズメをそのまま意味するとは限らない。
しかし、仁徳天皇の周囲には、大雀命以外にも鳥に関係する名が集中している。
一人だけが偶然鳥の名を持つのではなく、応神・仁徳王統の周囲に、鳥名を持つ皇族や土地がまとまって現れている。
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『日本書紀』には、仁徳天皇が誕生した日に産殿へ木菟が入り、同じ日に生まれた武内宿禰の子の産屋には鷦鷯が入ったという伝承もある。
二人は鳥の名を交換し、皇子は大鷦鷯尊、武内宿禰の子は木菟宿禰と名づけられた。
この伝承には、鳥が生まれてくる子どもの魂を運ぶという古い信仰が残っている可能性がある。
神八井耳命を祖とする雀部臣
『古事記』では、神武天皇の子である神八井耳命を、多くの氏族の祖としている。
その中には、
・多臣
・火君
・大分君
・阿蘇君
・雀部臣
・雀部造
・伊余国造
・科野国造
・尾張丹波臣
などが含まれる。
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ここに登場する雀部臣は、仁徳天皇よりもはるか前の神武系譜に置かれている。
一方、『古事記』孝元天皇段には、建内宿禰の子・許勢小柄宿禰を祖とする氏族として、許勢臣・雀部臣・軽部臣が記されている。
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つまり『古事記』の中だけでも、
・神八井耳命を祖とする雀部臣
・許勢小柄宿禰を祖とする雀部臣
という二つの系譜が存在する。
2026年3月には、笹川尚紀氏による「雀部臣氏をめぐって」という論文も公開されている。
これまで詳しく検討されてこなかった二系統の雀部臣について、改めて考察したものだという。
雀部は大雀命の御名代だった?
『新撰姓氏録』には、雀部臣の祖である星河建彦宿禰が、皇太子だった大鷦鷯尊に代わって御膳を管理したため、大雀部の名を与えられたという伝承がある。
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この説明に従えば、雀部は仁徳天皇の名を負った御名代に由来することになる。
雀部氏には、実際に朝廷の食事を管掌する役職に就いた人物がいた。
そのため、
大雀命
↓
大雀命に仕える人々
↓
大雀部
↓
雀部臣
という説明も成り立つ。
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・
しかし、『古事記』では神八井耳命の子孫として、仁徳天皇以前の系譜に雀部臣が置かれている。
雀部という名称が、本当に大雀命から初めて生まれたのか。それとも、先に存在した雀部という集団を、後から大雀命の御名代として説明したのか。
ここには、まだ整理されていない問題が残っている。
尼崎にあった「雀部郷」
摂津国武庫郡には、雀部郷と呼ばれる土地があった。
中世には大島郷と合わせて大島雀部荘となり、その範囲は現在の尼崎市今北・東大島・西大島・西新田付近に当たる。
雀部郷の中心は、現在の今北付近だったと考えられている。
さらに尼崎市の下坂部には、中世の雀部氏の氏寺があったという伝承があり、
ササベ
↓
サカベ
という地名の変化も考えられている。
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・
尼崎には、弥生時代前期から後期まで続いた大規模集落・田能遺跡もある。
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田能遺跡は尼崎市北東部、雀部郷は武庫川寄りの西部に位置するため、両者が同じ集落だったわけではない。
しかし、田能遺跡では白銅製釧・銅剣鋳型・多数の碧玉製管玉などが出土している。
弥生時代から有力な集団が活動していた尼崎周辺に、後世まで「雀部」という氏族名・地名が残っていたことは覚えておきたい。
丹波にもあった雀部郷
雀部郷は、摂津だけでなく丹波国天田郡にも存在した。
(天田も「尼崎」と同じく「アマ」だね~)
現在の京都府福知山市には、雀部村・雀部小学校など、その名が現在まで残っている。
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・
丹波の雀部郷は、後に松尾大社の荘園となった。
その領主職は、松尾大社と深く関わる秦氏の子孫によって相伝されたとされる。
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ここでは、
雀部郷
↓
丹波
↓
松尾大社
↓
秦氏
というつながりが現れる。
摂津の雀部郷と丹波の雀部郷が、同じ雀部氏の移動によって成立したのか、別々の御名代・部民集団だったのかは分からない。
ただし「雀部」という名が、限られた一地域だけのものではなかったことは確かである。
雀はどこへ消えたのか
雀について調べても、八咫烏のような分かりやすい神鳥伝承はなかなか見つからない。
しかし、雀が消えたのではなく、
・大雀命という皇族名
・雀部臣という氏族名
・雀部という部民名
・雀部郷という地名
・鷦鷯という別表記
・サザキ、ササベ、ササイベという複数の読み
に分散して残ったと考えると、その姿が少し見えてくる。
「雀」は、単独で祀られる神鳥ではなく、古代王権の食・農耕・出産・魂・氏族編成などに関わる鳥だったのかもしれない。
まとめ
古代の雀をめぐる情報をまとめると、
・仁徳天皇は大雀命/大鷦鷯尊と呼ばれる
・応神・仁徳王統の周囲には鳥名を持つ皇族が多い
・鳥が産殿へ入り、子どもの名になる伝承がある
・雀部臣は神八井耳命と許勢小柄宿禰の二系統に現れる
・雀部は大雀命の御名代だったと説明される
・摂津国武庫郡には、現在の尼崎市今北付近を中心とする雀部郷があった
・丹波国天田郡にも雀部郷があり、後に松尾大社・秦氏とつながる
・雀の情報は、氏族名・地名・異表記に分散して残っている
八咫烏が王を導く「一羽の神鳥」として物語に残ったのに対し、雀は雀部という人々そのものとして、氏族や土地の中に残ったのかもしれない。
今後は、垂仁天皇が見た「粟を食べる雀を追い払う夢」と、神八井耳命・多氏・阿蘇君・雀部臣の関係も合わせて考えてみたい。
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