赤城のムカデと日光の大蛇|「水争い」から見えてきた奥日光の古層

群馬の赤城山と、栃木の日光・男体山には、神同士が戦ったという伝承が残っている。

栃木県が紹介する伝承では、

赤城山の神=大ムカデ・男体山の神=大蛇

となって戦い、その原因は 中禅寺湖 をどちらの領土にするかという争いだったとされる。

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赤城山の大ムカデと日光の大蛇

 

私は最初、この伝承を、

赤城=上毛野側(呉:ムカデ)
日光=下毛野側(越:大蛇)

という古代東国の勢力争いとして見ていた。

さらに塚田敬章氏の説では、

赤城のムカデ=上毛野の呉系勢力
日光の大蛇=越系勢力

とされるため、古代の「呉系勢力」と「越系勢力」の衝突を伝える話なのかもしれないと思っていた。

<関連記事>
・赤城のムカデ=呉、日光の大蛇=越?|塚田敬章氏の神戦譚解釈

ただ、少し掘ってみると、どうもそれだけではなさそうに見えてきた。

日光は後世には「下毛野・下野」側

まず地理を確認しておく。

赤城山は上野国=上毛野側 にあり、男体山・中禅寺湖 を中心とする日光地域は、後世の律令制では下野国に属する。

『延喜式』にも二荒山神社は、

「下野国 河内カワチ郡 二荒山神社」

として登場する。

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・

ちなみに、日光周辺にある二荒山神社 は2つある。

① 日光二荒山神社(中宮祠・奥宮)
② 宇都宮二荒山神社

① 日光二荒山神社 → 上都賀カミツガ郡
② 宇都宮二荒山神社 → 河内カワチ郡

実際には②の「宇都宮二荒山神社」が 河内カワチ郡 にある神社なのだが、日光市史は、「後世の郡境をそのまま平安時代中期に当てはめてよいか分からない」として、『延喜式』の河内郡二荒山神社が宇都宮か日光かは不明としている(→揉めている)ようだ。

現在の祭神を見てみると、①日光は後世にものすごく綺麗に体系化されているようだ。

②宇都宮には、その体系化の前後で吸収された複数勢力の痕跡らしきものが祭神の揺れとして残っているように見える。

ここらへんを深堀りすると、また話が逸れるので、ひとまずこの点については置いておく。

<関係ないけどメモ>
・常陸国にある「河内郡」は「甲知」とも書かれ「カフチ」「カッチ」「カツチ」とも読むそう

・
・

つまり神戦譚の舞台を後世の地域区分に重ねれば、

上毛野・赤城側(群馬)
vs
下毛野・日光側
(栃木)

という東西の配置になる。

ただし、これはあくまで後から成立した地域区分。

今回気になっているのは、その「上毛野」「下毛野」という政治圏が成立するより前から、奥日光に何らかの古い祭祀圏が存在していたのではないか、という点である。

争っていたのは「中禅寺湖」

この神戦譚でまず気になるのが、争いの原因が水であること。

具体的には、中禅寺湖をどちらの領土にするかを争ったとされている。

ただし中禅寺湖の水は、

中禅寺湖
↓
華厳滝
↓
大谷川
↓
鬼怒川

と、基本的には下野側へ流れていく。

そのため、

「赤城側が自分たちの農業用水を確保するために中禅寺湖を奪おうとした」

と単純に読むのは少し不自然に見える。

むしろ、

湯ノ湖・戦場ヶ原・中禅寺湖を含む、奥日光の巨大な山上水域そのもの

を誰が支配し、誰が祭祀するのか。

その聖域の領有権を争った話なのではないか、という方が気になっている。

<関連記事>
・赤城と日光は何の「水」を争ったのか?|中禅寺湖と奥日光の水系

赤城も日光も「水の山」だった

もうひとつ重要なのは、日光だけが水を祀っていたわけではないこと。

赤城山にも大沼・小沼があり、古くから山上湖と深く結びついた信仰がある。

つまりこの神戦譚は、

山+湖+水源

を中心とする祭祀圏同士の衝突として見ることもできる。

そう考えると、「ムカデと蛇の戦い」は単純な動物トーテム同士の戦争というより、

二つの山岳祭祀圏が、境界にある水の聖域をめぐって争った記憶

なのかもしれない。

さらに群馬側には、赤城神が勝つ異伝も残る。

そのため、

「赤城側が日光へ侵攻し、日光側が自分たちの土地を守った」

という現在よく知られた筋書きだけを、そのまま古い歴史の記憶と見るのも慎重に考えたい。

ムカデと蛇より前の層がいたのでは?

ここでさらに気になった。

仮に赤城側が上毛野の古い勢力で、日光側が後から成立した下毛野側の勢力だったとしても、

赤城のムカデが奥日光の最古層とは限らない。

奥日光には、

男体山・女峰山
中禅寺湖・湯ノ湖・泉・川
杉などの巨木
石

といった自然物そのものを神聖視していたように見える場所が多く残っている。

たとえば二荒山神社の別宮・滝尾神社では、本殿背後の三本杉が田心姫命の降臨地とされる。

しかし「田心姫」という神名をいったん外して見ると、

山から神が降りる
↓
杉がその依代になる
↓
近くには水や石がある

という、かなり素朴な自然祭祀の形が残っているようにも見える。

現在の日光では、

大己貴命
田心姫命
味耜高彦根命

という神々が祀られている。

ただ、その神名が付く以前から、山や湖そのものを祀る祭祀が存在していた可能性は考えておきたい。

<関連記事>
・大己貴・田心姫より前の奥日光?|山・水・杉・石に残る自然祭祀

「下毛野」より前の奥日光を考えたい

ここが今回、特に残しておきたいところ。

日光は後世には確かに下毛野・下野側に入る。

けれど、

奥日光の古い山岳祭祀
→ 下毛野という地域政治圏
→ 下野国河内郡

という順だった可能性もある。

つまり、

「日光の神=最初から下毛野氏の神」

と考える必要はない。

むしろ、もともと存在した奥日光の聖域を、後から下毛野側の勢力が自らの祭祀圏へ組み込んだ可能性まで考えてみたい。

そうすると、赤城神との争いも、

上毛野と下毛野という同族の内輪争い

だけではなく、

すでに存在していた古い山上聖域へ、複数の地域勢力が重なっていった過程

として見えてくる。

呉vs越より、さらに古い話なのかもしれない

塚田氏の説のように、

赤城=呉系
日光=越系

という勢力の衝突が、神戦譚に重なっている可能性はあると思う。

ただし、それが奥日光の歴史の始まりではない。

もっと前から、

山・水・木・石などを中心とする古い祭祀圏

が存在し、その聖域へ後から赤城側や日光側の勢力が重なった。

そう考えると、

ムカデと蛇のどちらも、奥日光では「後から来た側」だった

という可能性まで出てくる。

さらに、その古い東方世界を考えるうえで気になっているのが「日高見」。

赤城・毛野・鹿島・二荒山といった後世の地域勢力へ分かれる前に、もっと広い東方の祭祀圏が存在していたのか。

この点は別の記事で整理してみたい。

<関連記事>
・奥日光の古層と「日高見」|毛野より前の東方世界はあったのか?

今のところ、

赤城のムカデvs日光の大蛇
=呉vs越

だけで終わらせず、

その争いの舞台となった奥日光には、上毛野・下毛野という区分よりも古い「水と山の祭祀層」があったのではないか

というところまでを、ひとまずメモしておく。

参考

・栃木県「とちぎ豆知識『とちぎの伝説』戦場ヶ原の由来」
・日光市「旧日光市歴史年表(古代~鎌倉)」
・栃木県「紙本著色 男体山伝説図」
・塚田敬章「帰化人の真実4」
・日光市観光協会「滝尾神社」

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