阿蘇|草部を呉系楚人=東鯷人と見る根拠

阿蘇の「草部吉見」や「阿蘇都姫」について。

鯰などの呉の特徴がみられる中、呉人ではなく「東鯷人(=呉系楚人)」では?と塚田氏が語る根拠についてのまとめ。

<参考>
・古代史レポート|塚田敬章

<関連記事>
・「阿蘇」は「楚(ソ)」を由来とする?という話
・東鯷人(トウテイジン)とは?いつ渡来していつ消えた?
・東鯷人(トウテイジン)は呉系楚人?

・「東鯷人」についての記事一覧
・「民族・部族」についての記事一覧
・「コトバと音」についての記事一覧
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草部吉見・阿蘇都姫と「東鯷人」

まず、「呉系」の特徴についてまとめるが、呉系の話ではなく『なぜ「呉人」ではなく「呉系楚人」なのか?』だけ読みたい場合は、こちらへ → ジャンプ

阿蘇伝承には、

先住側:草部吉見
↓
娘:阿蘇都姫
↓ 後来側:建磐龍命と婚姻

という構造がある。

塚田敬章氏は、この草部吉見・阿蘇都姫側を、

単なる呉人ではなく、呉系楚人=東鯷人

と見ている。

なぜ「呉人」ではなく「呉系楚人」なのか?

阿蘇周辺には、

呉の特徴

だけでなく、

楚の特徴

も重なって現れるから。

まず「呉系」と見る理由

鯰

阿蘇には有名な大鯰伝承がある。

建磐龍命が阿蘇湖の水を抜こうとしたところ、大鯰が水をせき止めていたため、これを切って追い払ったという話。

塚田氏の整理では、

鯰=呉系の代表的なトーテム。

また、中国史料に出てくる「東鯷人」の鯷(※ヒシコ)も大鯰と結びつけられる。

※鯷(訓:ヒシコ)=カタクチイワシ(音読:テイ/ダイ/イ)=中国語由来の読み方で、ナマズ(鯰)などの意味を表すことがある

呉人にも、

鯷冠(テイカン)

という鯰などの魚皮を用いた冠の風俗が記録されている。

そのため、

東鯷人
= 鯰
を象徴とする呉系集団

という読みにつながる。

「草部」のクサ

塚田氏は、

草部の「クサ」という音も呉に関連する音

としている。

そのため、

草部+鯰

という組み合わせから、草部を呉系集団と見る。

鬼八の「鬼」

阿蘇には、

鬼八(キハチ)

という土地の人物を建磐龍命が斬ったという伝承もある。

塚田氏は、

鬼(キ)

という音を、

姫・紀

などと結びつける。

堂谿氏は呉王族につながる姫姓とされるため、

鬼=キ=姫・紀=呉系

という手掛かりとしている。

では、なぜ「呉人」ではなく「呉系楚人」なのか?

阿蘇伝承には、

呉系の鯰

だけではなく、

楚系の象徴

も一緒に現れる。

牛

阿蘇の大鯰伝承では、

建磐龍命が大鯰の鼻に、

牛の鼻ぐりのようなもの

を付けて、大岩につないだという。

塚田氏はこの部分に注目している。

塚田説では、

牛=楚の有力なトーテム。

つまり同じ大鯰伝承の中に、

鯰=呉
+ 牛=楚

が同時に現れる。

これは、

呉文化+楚文化

を持つ「呉系楚人」の特徴と重なる。

阿蘇という地名

塚田氏は、

「阿蘇」という地名そのものも楚系ではないか

と考えている。

ここは、説明すると長くなるので、別記事にまとめました。↓↓↓

そのため、

阿蘇という楚系の地名
+ 鯰という呉系要素

という組み合わせも、「呉系楚人」という整理につながる。

猿

阿蘇周辺の伝承には、

打猿(うちさる)/頸猿(うなさる/くびさる)

といった土蜘蛛も登場する。

塚田氏の整理では、

猿=楚・呉系楚人の重要なトーテム。

これも阿蘇周辺に楚系文化が存在した手掛かりとして使われている。

熊

塚田氏の分類では、

熊=楚の重要な象徴。

阿蘇・熊本・熊襲など九州南部~中部に「熊」が繰り返し現れることも、

呉系楚人=東鯷人=熊襲

という塚田説の中で重要な材料になっている。

「呉+楚」が阿蘇で重なる

整理すると、

呉系要素

  • 鯰
  • 草部の「クサ」
  • 鬼=キ=姫・紀
  • 稲荷など呉系とされる要素

楚系要素

  • 牛
  • 猿
  • 熊
  • 阿蘇という地名

つまり阿蘇には、

呉だけでは説明しにくい楚系要素が重なっている。

そこで塚田氏は、

草部=呉人

ではなく、

草部=呉系楚人=東鯷人

と見る。

草部=先住の東鯷人

阿蘇伝承では、

草部吉見

の娘である阿蘇都姫を、

後からやってきた建磐龍命が娶る。

塚田氏はこの構造を、

先住部族の首長の娘を、後来勢力の首長が娶った

と読む。

つまり、

先住側
草部吉見
↓
阿蘇都姫
↓ 呉系楚人=東鯷人

そこへ、

後来側
建磐龍命

が入り、

婚姻によって先住勢力と接続した

という構造になる。

建磐龍命側は別系統

塚田氏は、建磐龍命を草部側とは別の系統に置いている。

建磐龍命について、

石龍比古神(イワタツヒコノミコト=伊和大神の子)と同神

と見て、

その父を伊和大神とする『播磨国風土記』の伝承につなげる。

さらに伊和大神を、

オオナムヂ=邪馬台国側

としているため、

建磐龍命も、

越系・邪馬台国側

に置かれる。

つまり阿蘇伝承は、

先住:呉系楚人=東鯷人
↓
草部吉見・阿蘇都姫

と、

後来:越系・邪馬台国側
↓
建磐龍命

という異なる系統の接触・婚姻を伝えているという読みになる。

大鯰退治も「勢力交代」の物語?

阿蘇の大鯰伝承では、

建磐龍命

が、

阿蘇湖の主である鯰を切り、土地を開く。

塚田氏はこれを、

阿蘇を支配していた鯰トーテムの東鯷人(草部)が、後から進入してきた邪馬台国側に追い落とされた

ことを表す伝承ではないかと考える。

すると、

大鯰=草部・東鯷人

大鯰を退ける建磐龍命=後来勢力

という構図になる。

一方で建磐龍命は、草部吉見の娘・阿蘇都姫を娶っている。

つまり、

戦い・勢力交代

だけではなく、

先住側との婚姻による統合

も同時に語られていることになる。

今のところの整理

塚田氏が草部・阿蘇都姫を、

単なる呉人ではなく「呉系楚人=東鯷人」

と見る大きな理由は、

阿蘇に、

鯰・クサなどの呉要素

と、

牛・猿・熊などの楚要素

が同時に現れるため。

特に分かりやすいのが、

大鯰+牛

という組み合わせ。

鯰=呉
+ 牛=楚

が同じ伝承の中に現れる。

そのため、

阿蘇の先住勢力・草部
= 呉文化を基層に持ちながら楚文化も取り込んだ「呉系楚人」
= 東鯷人

という整理になる。

参考

・塚田敬章氏「中国、朝鮮史から見える日本、1」
・塚田敬章氏「帰化人の真実4」
・塚田敬章氏「堂谿氏(秦氏の源流)」

<関連記事>
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・東鯷人(トウテイジン)とは?いつ渡来していつ消えた?
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