元興寺の伝承に残る「呉系楚」の要素という話

東鯷人呉系楚人について調べる中で、気になった「(ソ)」という音と、「蘇我」の「蘇(ソ)」についての話。

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そこで出てきた「元興寺」の話。

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元興寺と「呉系楚」

塚田敬章氏は、元興寺を建立した蘇我氏を「呉系楚人」として扱っている。

ただし、元興寺が楚と結びつく理由は、蘇我氏が呉系楚人だから

というだけではない。

元興寺に伝わる道場法師の伝承にも、呉系の要素楚系の要素 が重なって現れるとしている。

道場法師の伝承

『日本霊異記』に登場する道場法師は、雷神の力を受けて生まれたとされる怪力の人物。

尾張の農夫が田に水を引いていたところ、が落ち、子どもの姿となった雷神が現れる。農夫が鉄杖で打とうとすると、雷神は命乞いをし、

「助けてくれれば子を授ける」

と約束する。

その際、雷神は農夫に、楠木で船を作り、その中に水を入れての葉を浮かべるように頼み、それを使って天へ帰っていった。

その後生まれた子は並外れた怪力を持ち、のちに元興寺に入り、寺に現れる鬼を退治。出家して道場法師と呼ばれるようになる。

さらに『日本霊異記』には、道場法師の孫娘も怪力の女性として登場する。

孫娘は、美濃の市場で商人を苦しめていた怪力女「三野」を懲らしめるため、船で市場へ向かい、熊葛(クマツヅラ)で作った鞭を使って三野を打ち負かしたという。

【元興寺】
〒630-8392 奈良県奈良市中院町11

道場法師の伝承に出てくる「呉系要素」

塚田氏が呉系として拾っているのが、

楠/竹

など。

は、塚田氏の整理では呉系文化に関係する植物。

そのため、元興寺の伝承にこれらが登場することも、

呉系文化の痕跡 として見ている。

楚系の要素も一緒に出てくる

一方で、同じ伝承には、

熊/葛

なども登場する。

塚田氏の整理では、

楚系の重要なトーテム

であり、

楚系呉系楚人側の植物要素として扱われている。

つまり、

楠/竹
熊/葛

という組み合わせが、

同じ元興寺の伝承の中に見えることになる。

雷・少彦名も「秦系=呉系楚人」の要素

道場法師の伝承では、

も重要な存在として登場する。

塚田氏は、

楚系呉系楚人の重要な文化要素として扱っている。

さらに、この伝承の子どもを少彦名につながる存在として読み、

少彦名も、秦系呉系楚人

の神として分類している。

そのため、


少彦名

という組み合わせも、元興寺周辺に呉系楚文化を見る材料になっている。

秦系呉系楚人」については、以下の記事で別途まとめています。↓↓↓

<参考>
秦氏はなぜ「呉人」ではなく「呉系楚人」なのか?雷との関係から考える

蘇我氏そのものも「呉系楚人」

さらに元興寺を建立した蘇我氏についても、

塚田氏は呉系楚人としている。

蘇我氏は母系で紀氏につながり、

紀氏(姫氏)=呉系

という要素を持つ。

そこに楚系の文化要素も重なるため、

蘇我氏呉系楚人

として整理されている。

元興寺には「呉+楚」が重なっている?

整理すると、

元興寺を建立した蘇我氏
呉系楚人

さらに、

楠/竹
呉系

熊/葛
楚系

雷・少彦名
秦系呉系楚人

秦系呉系楚人」については、以下の記事で別途まとめています。↓↓↓

<参考>
秦氏はなぜ「呉人」ではなく「呉系楚人」なのか?雷との関係から考える

という要素が、

元興寺の伝承の中にも重なって現れる

そのため塚田氏は、

元興寺周辺にも「」の文化が見える と考えている。

単に、

蘇我氏の寺だから楚系

という話ではなく、

蘇我氏の系統元興寺に残る伝承の内容 の両方から、呉系楚文化とのつながりを見ている、ということ。

参考

塚田敬章氏「縄文の逆襲3」
塚田敬章氏「帰化人の真実3」

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